イリッチの脱病院・脱施設を読んでなくて、中身を知らないんだけど、違うことが前提でつながることもありそう。疲れたから、そろそろメモは終わり。いま、大田区の図書館のサイトで見たら、3冊あるんだけど、待ってる人が23人もいる。早く返さなきゃ。統計と神秘主義と関係を書いた部分の怪しさとかにも触れたいような気はしたんだけど。 そうそうメモを書き終える頃に、腰が低くて、いつもニコニコしてる栗原くんの顔が浮かんできた。このはちゃめちゃな文体とリアルの栗原くんのギャップも楽しかった。ま、彼のことは表面しか知らないけど。
ぼく自身は、大きな歴史の流れの中で、しかし、経済の大きさを争うような流れにはついていけなかったし、ついていこうとも思えず、同時にさまざまな潮流のなかでもまれて、あっちにいったり、こっちに来たりしながら、表現しにくい何らかの大きな流れには抗いきれずに流され、乏しいとしか思えない思考力とともに、あんまり無理せず、いろんな社会運動に中途半端に参加しながら生きてきた。そう、ぼくを動かしてきたのは、たぶん怒りじゃなくて好奇心。84年から働いていた場所を離れて初めての朝に、松井君の本がそんなことを思わせてくれた。
社会運動が非制度的な営みであるという記述(167-168)には違和感が残った。社会運動は制度を求めたり、制度を使って行うこともある。【「制度」の枠内に収まり得ない】というのはその通りだと思うが、それを「非制度的」と表現するのが適当なのかどうか? 確かに制度を超えた広がりがそこにはある。このあたりに名前をつけるとしたら、どう呼べばいいのだろう。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
イリッチの脱病院・脱施設を読んでなくて、中身を知らないんだけど、違うことが前提でつながることもありそう。疲れたから、そろそろメモは終わり。いま、大田区の図書館のサイトで見たら、3冊あるんだけど、待ってる人が23人もいる。早く返さなきゃ。統計と神秘主義と関係を書いた部分の怪しさとかにも触れたいような気はしたんだけど。 そうそうメモを書き終える頃に、腰が低くて、いつもニコニコしてる栗原くんの顔が浮かんできた。このはちゃめちゃな文体とリアルの栗原くんのギャップも楽しかった。ま、彼のことは表面しか知らないけど。
いいま、気づいたんだけど、この読書メモも栗原くんの文体に影響されてるかも、と思えてきた。