「特攻」を美化する動きは現在もあるが、それを命令した側と命令されて死んでいった側を、きっちり分けて考える必要がある。著者も書いているように<特攻隊員を「英霊」「軍神」と無条件で讃える>ことで、<「命令した側の存在が曖昧に>なってしまう。戦後、特攻を命じた側の生き残りが、特攻を正当化し続けていることにも、著者は鋭い批判を加えている。
2021年10月の読書メーター 読んだ本の数:5冊 読んだページ数:1580ページ ナイス数:101ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/466409/summary/monthly
「十死零生」の特攻作戦がなぜ行われたのか。保阪氏は「戦争目的の曖昧さ(何のための戦争か)」と「戦争終結の計画のなさ」の2点を繰り返しあげている。緒戦の快進撃から半年もたたないうちに劣勢に転じ、勝てる見込みのなくなった戦争をずるずると続けていったのはなぜか。今ならいろいろ言えるが、著者とおなじく私も許せないのは、学徒兵を中心とした特攻兵に命令をくだした司令官、隊長、高級参謀たちが「いずれは私もいく」と言いながら、戦後になっても「あれはしかたがなかった」とか「特攻兵は自ら志願したのだ」などと逃げまわったこと。
終章(5章)にある「特攻作戦が大西瀧次郎=第一航空艦隊司令長官の発案による」という通説への反論。軍令部(海軍)作戦部長中沢佑少将(のち中将)や源田実(真珠湾攻撃にも参加した軍令部作戦課の作戦担当)らが深くかかわっていたという話。しかも、大西瀧次郎が敗戦とともに自決したのと対照的に、この二人は、戦後も自分たちの責任回避にあけくれたという。憶えておきたい。
<あの戦争についていえば、基本的に「命令」には「責任」が伴っていなかった。もっと言うと、どのようなコトバにも責任はくっついていなかったのだ。ただひとり、ミコトノリを発した天皇を除いては。>(P.227 第3部 五島列島へ行く)・・・明治以降、教育勅語・軍人勅諭・戦陣訓によって「国のため」=天皇のために命を投げ出すように(幼少から)教育されてきたのが戦前の日本人だった。軍隊で理不尽なビンタを食らったり、戦地で餓死したり、空襲に逃げ惑った兵士や庶民に対して、誰も責任をとらないのがこの国の姿だったのだ。
昭和天皇が、戦後に受けた外国記者のインタビューで戦争責任について問われた際、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答え出来かねます。」と答えたのは有名(P.71脚注)。また、「鬼畜ルメー断じて怖れじ」(1945/3/13付朝日新聞見出し)と名指しされた憎き敵だったはずのマリアナ基地司令官ルメーに、日本政府は戦後、天皇からの最高レベルの勲章「勲一等旭日大綬章」を与えている(P.72)。
著者が佐々木友次さんを知ったきっかけになった本。『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』朝日文庫(大貫健一郎・渡辺考)朝日新聞出版2018。地元の図書館にあったので借りて読んでみたい。
「特攻」を美化する動きは現在もあるが、それを命令した側と命令されて死んでいった側を、きっちり分けて考える必要がある。著者も書いているように<特攻隊員を「英霊」「軍神」と無条件で讃える>ことで、<「命令した側の存在が曖昧に>なってしまう。戦後、特攻を命じた側の生き残りが、特攻を正当化し続けていることにも、著者は鋭い批判を加えている。
雑多な読書をしています。年間100冊読破を目指すも、なかなか。とくに好きな作家と作品は、池澤夏樹(静かな大地)、船戸与一(蝦夷地別件)、宮部みゆき(時代小説群)、五木寛之(初期の小説群、エッセイ)など。民俗学、社会学の本もよく読みます。南方熊楠、塩見鮮一郎、赤坂憲雄、内田樹など。エンタメノンフと呼ばれるジャンルも好き。なかでも高野秀行、角幡唯介。関野吉晴、長倉洋海なども好きな書き手です。最近は桐野夏生の小説に嵌っています。
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著者が佐々木友次さんを知ったきっかけになった本。『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』朝日文庫(大貫健一郎・渡辺考)朝日新聞出版2018。地元の図書館にあったので借りて読んでみたい。