表紙の、ほとんど見分けがつかない三人。ブレザーの扉子が手にしているのが『鶉籠』の初版本だろうけど、ずいぶん分厚いからそんな持ち方で手首とか大丈夫なのか。手前のセーラー服は黒の冬服が智恵子さん、白の夏服が栞子さん……夏服は半袖のはずでは?べ、別に本代を捻出するためにしょっちゅう昼食抜いて腹ペコなJK智恵子にキュンとなったりしないんだからねっ。
今夜だけは、悲しみの涙と酒に溺れよう。自分がいまだに喪失感で涙を流せるとは。忌々しい。明日からは平常運転に戻って、残りの人生をちゃんと楽しく生きよう。
主演はボリウッドの〈3カーン〉の一人サルマン・カーン。『タイガー』シリーズなど、派手なアクションで人気だが私生活については素行不良も多く、その悪いイメージを払拭しようとしてか、今回は底抜けに善良で正直な青年を熱演。いい歳していまだ就職もままならない(親戚の家に居候中)くせに敬愛するハヌマーンの祭りでハッスルしていたところ、迷子の少女と出会う。少女は口がきけず、読み書きも出来ない。手がかりゼロ、警察も頼りにならない。それでも面倒をみているうちに、少女がパキスタン人(当然ムスリム)であることが判明する……。
『母をたずねて三千里』に比べれば、隣の国へたかだか数百km。物理的な距離は大したことがなくても、そこには宗教、そして元々はひとつだった国が分離独立するにあたって設けられた政治的な壁が立ちはだかる。物語の大筋はシンプルながら、インド(とパキスタン)ならではの事情を盛り込んだ魅せるドラマは素晴らしく、そもそも本作の発案と脚本は『バーフバリ』や『RRR』も手掛けたラージャマウリパパ!近年のインド映画はいわゆる「南高北低」傾向にあるが、こうした南北の交流もまた、業界全体のさらなる活性化と飛躍に繋がるに違いない。
『RRRをめぐる対話』『新たなるインド映画の世界』『ガンディーの真実』……といった具合に、求めるテーマによってもっと深堀りしてくれる本はたくさん存在する。本書ではほとんど触れられなかったヒンドゥー教および『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』も、『RRR』を深堀りするなら避けることは出来ない要素。というわけで、本書一冊で『RRR』とインドのことが丸分かり!とはいかず、むしろ本書を読むことで今後自分がインドをより深く知って楽しむためのポイントを探るのが良いかもしれない。
自分の場合、とりあえず次はインドと日本の関係を考える上で悪名高きインパール作戦とそこに関わった「カルカッタの情熱の雄牛」ことチャンドラ・ボースについての本を読んでみたくなったのと、映画でいえばアミール・カーンの『きっと、うまくいく』と『PK』が観たい!どこかでまたインド映画まつりやってくれないかな。幸い『バジュランギ〜』はもうすぐ観られるぜ。『RRR』の続編はどうなるんでしょうね?
「ふでさん おはようさん」「あれ のぶちゃん、けさも さむいねえ」みんな まずは みちの ゆきかきから。「こうてくだー。あかがれい いらんけ。こもちやぞ」「こぬかいわし どうねー。よう しおと ぬかに つけこんだある。だいこと にれば うめえげに」「あれ あのおじじ、とうふをわすれて いてもうた」「うちで こたつのもりを しとっても つまらんしねえ」「どらやき いらんけー。もう こんだけしか のこっとらんぞー」「かれい のこったわ。ふでさん たべてくだ」「おおきに。のぶちゃんも みずな もっていくまし」
キリスト教をはじめとするカルトのおぞましさ、メディアと商業主義の過熱といったいわゆる「アメリカ社会の暗部」的な要素を、人格が破綻した主人公の軽妙かつ虚無的なひとり語りで膨大な無駄知識を交えながらドロドロと垂れ流してゆく。『セブン』や『NBK』あたりも連想しつつ、アクロバティックな構成や「運命の女」との出会いは、いかにも『ファイト・クラブ』の作者らしいと感じた。章立てやページ数が逆(カウントダウン)なのは、本作同様「ゼロへと至る物語」である冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』でも真似してたような。
そして荒木飛呂彦先生はスタンド名にも使ってたし、ドッピオの「ボスからの電話」やプッチ神父とDIOの天国論にも影響してそう。読んでいる間は脳内でずっとマリリン・マンソン『This Is The New Shit』がエンドレスリピートされていた。【なにもかもとっくに語り尽くされてる。ぐだぐだダベってパーティ、パーティ、セックス、セックス、バイオレンスも忘れずに。くだらねえことばかりほざきやがって。新しい明日なんか来やしない。分かってるだろ?認めろ、これが新しいクソだ!せいぜい楽しめ!】
残念なことに、ろくに本を読んでいない人を揶揄するつもりで、文学的でないと勝手に決めつけた未読の作品(ジャンル)を挙げる人や、ダニング=クルーガー効果の見本みたいな人は読書メーターにもいる。そもそもまるで本を読んでいない人もいる。「つまらない書物」というものもなくはないけれど「つまらない読書」というのはあると思う。面白いものは面白いなりに、面白くないものも面白くないなりに面白がれると、人生はいくらでも楽しくなるのではないだろうか。
倍速コナンマラソンが描き出す無限地獄でハイになってしまうしおりんも『サバイバー』の新版眺めてニヤニヤしてるしおりんも大変けしからん。私は大好きだ。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』もそろそろ文庫来そうだし、それまでに少しでも積読を消化せねば。てか、ガチの歴史的名作ともなれば刊行されてから何十年何百年経っても面白いし、むしろ時を重ねることによってさらに面白くなるまであるから読書はやめられんのですよ。飽きるなんてとんでもない!
つまるところ、「生きる」というのは厳しく容赦のないことであり、人と人が理解し合うことはとても難しい。だからこそ宗教に救いを求める人は少なくないし、良くも悪くも多くの事業が宗教の力によって成し遂げられてきた。不勉強な自分からすると、なんだってアイスランドという春の襟裳以上に何もなくて厳しすぎる環境に行かなきゃならんのかと思う。そこは、いわゆる人跡未踏の秘境とも異なる、人が人として暮らしてゆけるかどうかギリギリの「狭間の世界」であり、だからこそ人という存在が問われるのか。
茫漠たる氷河を思わせる白いパンフレットも、丁寧な作りで内容充実。チラシや公式サイトからまとめられたイントロダクションやストーリー紹介の他、主要キャストとスタッフの紹介、監督インタビュー、アイスランド文学研究者朱井晶併、映画評論家高橋ヨシキ、摂南大学教授好井裕明のエッセイなど。天国へ行くには、キリスト教の洗礼を受けていることが絶対条件らしいけど、ヴァルハラへ行くにはそんなの関係ないよね。
「暴力」は遍在する。関係者の全てが納得して行使されるもの以外、つまり意に反したり無視してなんらかの「力」が行使される場合、それは「暴力」と呼べるだろう。それは合法的なものもあれば非合法なものもあるし、強い者が弱い者に対して一方的に振るう場合もあれば、窮鼠が猫を噛むような場合もある。人類の歴史は暴力の歴史と言っても過言ではないだろう。それはもちろんある意味では悲劇だが、別の見方をするなら、このろくでもない世界をほんの少しでもマシなものに変えようとしてきた抵抗の軌跡でもある。
社会的不正義に対していわゆる非暴力で立ち向かった歴史上の偉人もいる。だが、それらの活動は戦略的戦術的な意味で本当に「非暴力」だったのか。ガンディーは「臆病か暴力のどちらかしか選択肢がないならば、私は間違いなく暴力を選ぶ」と言った。本書では、様々な社会運動(革命)を通して「暴力」の在り方を論じているが、現実に暴力が遍在するからこそ、特定の権力構造に暴力を委ねることを避けるアナキズムを推すのだろう。でも、その理屈を世界規模で実現するのはやっぱり無理があると思う。まあ、結果が全てではないけれど。
古書がらみのミステリという縛りでシリーズを続けるのはなかなかに大変なことだろう。今回も多くの参考文献が並び、費やされた労力には素直に感心するのだが、物語としては毎度のことながらごく狭い範囲の人間関係にすごく息苦しさを感じてしまう。シリーズの着地点は既にある程度固まっているのだろうか。扉子にはどうか頑張って、このふさぎがちな物語世界に晴れやかな新風を吹き込んでほしい。樋口くんも、主にアオハル的な意味で頑張ってくれたまえよ。
表紙の、ほとんど見分けがつかない三人。ブレザーの扉子が手にしているのが『鶉籠』の初版本だろうけど、ずいぶん分厚いからそんな持ち方で手首とか大丈夫なのか。手前のセーラー服は黒の冬服が智恵子さん、白の夏服が栞子さん……夏服は半袖のはずでは?べ、別に本代を捻出するためにしょっちゅう昼食抜いて腹ペコなJK智恵子にキュンとなったりしないんだからねっ。
徒然なるままに関西を徘徊する
野良サタニスト。
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〈 読メ開始 2014.10 〉
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古書がらみのミステリという縛りでシリーズを続けるのはなかなかに大変なことだろう。今回も多くの参考文献が並び、費やされた労力には素直に感心するのだが、物語としては毎度のことながらごく狭い範囲の人間関係にすごく息苦しさを感じてしまう。シリーズの着地点は既にある程度固まっているのだろうか。扉子にはどうか頑張って、このふさぎがちな物語世界に晴れやかな新風を吹き込んでほしい。樋口くんも、主にアオハル的な意味で頑張ってくれたまえよ。