『ドン・キホーテ』がいまさらながら面白く、大江健三郎月間もとりあえずここまで。工藤庸子『大江健三郎と「晩年の仕事」』『世界の名作を読む 海外文学講義 』が良かった。田中優子『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』から石牟礼道子萌え。2023年9月の読書メーター 読んだ本の数:28冊 読んだページ数:7378ページ ナイス数:820ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/56191/summary/monthly/2023/9
純粋言語としての詩が例えば古典派エリオットのように人種差別的になるのに対して、アイルランド詩人であるイェーツは日本の古典能にも繋がりを見せる。そのへんにマイノリティの可能性を感じる詩論である。全体的としては家父長制にあがなう女性詩が多いようだ。https://note.com/aoyadokari/n/n08af7fa62cd0
平気でそんなことができる貫之こそ、「天の原」歌の真の作者ではないだろうか。」 と仮説を述べた。」p.79 「[古今集撰者が]作者を阿倍仲麻呂としていること、詞書に「唐土にて月を見てよみける」とあることが、この歌の解釈を強く規定(方向付け)している。『古今集』では国内の他郷ではありえず、中国で詠まれた歌として解釈することが求められている。『古今集』成立の時点で、既に仲麻呂が中国で没したことは知らされていたであろうから、それを踏まえて「羇旅」に配している。多くの遣唐使達の望郷の思いが込められたものであり、
彼こそがホロコーストの最中、壜に詰めた詩を地中に埋めて彼岸からの詩を伝えた詩人だったのだ。またツェランの詩は音楽的であるのは日本でもツェランが読まれた理由かもしれない。ツェランは語学的才能があったのにも関わらず母語であるドイツ語で詩を発表したという。それは失われた世界にあってただ言葉だけが彼を癒やしてくれたからだ。ただ戦後はそのドイツで誹謗中傷の憂き目に逢う。それぞれの作家の詩を交えながら魅力的な「投壜通信」になっていた。
佐野周二は同級生の学友とのホモセクシャルな関係で、フェミニズムの欲望の三角形で解いて見せる。小津の映画はオヤジギャグがセクハラだというのは、あまり映画評論家も指摘しない。あと高倉健のゲイ説とか東郷健の歌で聞いた。目が誘っているとか。
「殺鼠剤食ひたる鼠が屋根うらによろめくさまをおもひてゐたり 『飛行』」この頃の短歌の壮絶な歌は『幻視の女王』という言葉で片付けられるものではない。その敗戦体験と対峙するキリスト教世界の美との向こう側に日本の美を見出すのだ。それは彼岸である美なのである。
内容ではカフカの父に宛てた手紙は文学そのものだし、ケルアックがマーロン・ブランドに宛てた手紙とかポーは「鴉」の詩について、有名なフレーズ「ネヴァーモアー」がでてくるし、ランボーは足を切断して亡くなる直前の手紙だったりいろいろヴァラエティに富んでいる。日本からは与謝野晶子は事務的な内容だが草書の字体が美しい。彫刻家の野口イサムの父親は詩人で小説家だったのか。セルバンテスのドン・キホーテを彷彿させるような手紙やらあらゆる作家が載っていて面白い手紙の本である。
小島ゆかりとの対談は圧倒的に小島ゆかりの知識に負けていた。歌人ならではなのか、小島ゆかりの話は小町の重要性と和歌の時代の流れがよくわかった。小町がいなければ『源氏物語』の「もののあはれ」もなかっただろうと。https://note.com/aoyadokari/n/n0c5d74829fa7
それは皇太子時代にヨーロッパに視察に行き、君主の威厳的閲覧する姿を見せて国民の中に君主の権力を目に見える形にするということがあった。それから天皇を現人神として拝見する形になっていくのだった(白馬に乗った王子様的な)。占領時代は米軍やイギリス軍のパレードとして使われ(外国の軍隊の記念式典)、一時期はメーデーも行われたが、米軍が朝鮮戦争に関わるようになると赤狩りの影響でメーデーは取り締まることになったという。その騒乱が「血のメーデー」事件で、それ以後は公用の広場としての使用はなくなっていくのだが、最近はまた
ロシア文学好きなのは一緒だけど、トルストイの方が好きなのかもしれないな。断然ドストエフスキー好きなんだが。あとゴーゴリは『外套』をみんな褒めるのだが、それも『死せる魂』の方が好きだった。私は未完の小説好きなのだと気がついた。だから『明暗』も好きなのだが『続明暗』を書いた水村早苗には正直がっかりした。未完小説はその先を自由に考える余地があるのだ。ドストエフスキーの小説もそんな気がする。完結しない小説が好きなのかもしれない。ただ読書談義は嫌いではない。
芭蕉と同時代だそうで、まだ散文が確立してない時期の詩作品であるが、バロック的難解詩から、心情をわかりやすい言葉で発露した詩は急速に広まっていく。それに妬んだのか、脅威に感じたのか、カトリック側から非難の言葉が出たと思うが、黙っていない彼女だった。そうした手紙は散文作品のようにも読めるという。光文社古典新訳文庫は解説が充実しているので、それを読むと彼女の重要性が理解できる。最終的には彼女も教会側に従属されるようなのだが、この頃の手紙は彼女が輝いていた時期なので今読んでも新鮮である。
戦争時に補給部隊もいずに現地調達としていた軍部の先行きのなさ。そして聖戦を煽って、占領地での略奪、殺人、強姦の数々。今のロシアより酷いかも。まあ、それが戦争と言ってしまえばそれまでなんだが。補給せずに戦争に勝とうとした上層部とそれに従属していくしかなかった大衆。軍国主義を信じて中国行って敗戦で反省して労働組合の長になり、社会党で議員になったけど離脱してというオヤジの行き先がわかるような気がする。流されるままなんだよな。
そこに俳諧からの流れとして「滑稽」「挨拶」「即興」という文芸(文学ではない)としての俳句があるのではないか?それはダイアローグ(対話)の諧謔ということであり、モノローグ(告白)の象徴性(これは言って無かった)ではないということなのかと思った。俳句を文芸として内輪での楽しみとしてあるのか?それと文学として個人の表現としてあるのか考えさせられた。
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