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2025年1月の読書メーターまとめ

かふ
読んだ本
31
読んだページ
9286ページ
感想・レビュー
31
ナイス
967ナイス

2025年1月に読んだ本
31

2025年1月にナイスが最も多かった感想・レビュー

かふ
陶芸家の男が生活していくのに偽の骨董を作ったのが出来がいい青磁の壺で、その壺が十三人の人々の手に渡りながら語れていく短編連作。偽の青磁の壺は、美術品として眺められるのだが、逆に壺が昭和世代の生活を眺めているカメラのようで面白い。定年退職した夫が呆けて会社のデスクに座っていたり、なんとかその壺に合う花を生けたいと願う生け花の先生?だったり、白内障で目が見えない老母を介護する娘の話だったり、戦時中の食糧難で外交官時代の贅沢三昧のディナーをしたりする老婦人の思い出(これは芥川の『舞踏会』を連想させた)だったり。
かふ
2025/01/20 20:17

そして壺が修道女と共にスペインに行くのだった。そのスペインで高名な先生が宋時代の青磁の骨董を発見したと日本に持って帰るのだが、風邪をこじらせ肺炎になりながらどうしようもないガイド(役立たずの若者)のせいとしながらもその壺の為に死ねないと戻って来る。そして陶芸家はかつて自分の作った壺と再会するのだった。青い壺は本来の目的で使われるのではなく美術品として価値を増大させていくのだが、それと対比させながらの昭和世代の人々の暮らしぶりが感じられる文学になっている。短編集の悲喜劇で面白く読めた。

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2025年1月にナイスが最も多かったつぶやき

かふ

橋本治は随分読んでいる。『窯変源氏物語』と『双調平家物語』があるから。去年は(まだ今年と書いてしまうな)「源氏物語」関係が多かったのだ。あと、俳句や短歌本も。そのあと現代詩を読むようになったのが一番の変化か?一番はハン・ガン『別れを告げない』。これは譲れないだろう。2024年の読書メーター 読んだ本の数:339冊 読んだページ数:97521ページ ナイス数:9852ナイス ★去年に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/56191/summary/yearly

かふ
2025/01/01 14:13

そう言えば『ギリシア語の時間』もやっと図書館で借りれた。早く読みたい。日本文学では、川上未映子『黄色い家』で妥当だな。源氏物語もあるけど、一冊で言えばこんなところか。2024年のベストもだいたいそんなところだろう。

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2025年1月の感想・レビュー一覧
31

かふ
大江健三郎と古井由吉の対談の中で言及された小説梅崎春生『幻化』読んだ。梅崎春生は第三の新人の手本になった作家。古井由吉が言うには一人称「私」が志賀直哉らの自然文学のようにただ描写するのではなく、それが死の淵を覗いているという。つまり「私」は死者の姿を見ていて、そこに自分の姿を重ねている。そして梅崎春生にとってそれが遺作となったのだ。死の淵が彼岸である旅人の私はかつての特攻隊の友の元へというような挽歌なのだろう。「幻化」とあるが「幻花」とも読める。それは献花なのだ。特攻隊という者らがいた時代への。
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かふ
豊崎由美に対するXでの非難が見当外れなので読んでみた。豊崎由美が芥川賞受賞作を文学といっているのではなく、むしろ芥川賞の選評には批判的だった。そこの文脈がまず読めてないのでただ叩いているだけに感じる。豊崎由美以上の読書家はいない。それを書評家と言うのは文学紹介者だからである。お気に入りの本を読みたくなるような書評家は読書家にとっては貴重なのだ。それは『ガープの世界』が通俗過ぎるという毒舌はあるが、彼女ほど海外文学を紹介してくれる書評家はいない。文学というものにこだわりがあるのは彼女だけではない。
かふ
2025/01/30 16:53

それと豊崎由美が「本屋大賞」ノミネート作家を知らなかったから本屋に行ってないとか。人は自分の関心あるところにしか目が行かないのだ。つまり、その作家は豊崎由美にとってはOUT OF 眼中であり、多分自分もそんな作家は知らなかったし、ジャンルの好みというものがあるのだった。その作家が海外文学を興味深く紹介してくれているわけでもなく、文学的には豊崎由美の方に興味が湧くのだった。それは『本屋大賞』の受賞作と豊崎由美のベスト本を較べてどっちが読みたくなるかということなのだ。

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かふ
『昭和萬葉集』全集の完成の席(1980年)で鶴見和子のスピーチで社会史・経済史・哲学史のいわゆる公の文章から現れて来ない個人の感情という側面から短歌を読み解こうとするものである。叙情(感情)性は同調圧力となってそれが短歌の定型なので、日本人の保守的な面だと思って遠ざけていたが、「感情史」はそれぞれの時代に一般庶民が持った感情の変化を記録していて面白い。それは公文書ではないが、個人の記録が文学的に歴史になるということなのかと思う。様々な個人の感情が社会と繋がっているのが面白い。
かふ
2025/01/29 08:28

「食ふ草よ草よ草よと誰もがみな花見にと来て草を摘むなり 山田尚子」戦後の食糧難の時代の花見の歌だ。北朝鮮かよ、と思ってしまうが日本にそういう歴史があったのだと短歌は残していた。この歌を詠んだのが当時小学校六年の女子というから、驚く。花見の歌では西行に匹敵するかも。

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かふ
タイトルから中年過ぎの歌人かと思っていたら30代の若手歌人だった。『うたわない女はいない』働く三十六歌仙で気になったから借りたのだがそのときの短歌も「いつもありがとう青汁 健やかな自傷行為をしてからねむる」というわかりやすい歌だと思う。穂村弘や東直子から影響を受けたと思わせるセンスは、その選者の元で投稿していたのだという。沼津という地方都市が16号沿線の郊外都市の若者と重なる。意外に家族詠や学校の歌が多い(嫌いながらも)。そこに16号沿線のヤンキー文化圏(マイルドヤンキーと言うそうだ)の姿を感じる。
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かふ
自伝五部作の二作目。『原因』の続きで暗い寄宿生生活から貧民街の団地の食料品店で働くことになる。職安ではもっといい仕事を紹介してくれるのだがベルンハルトは最低限の仕事を求めてザルツブルクの明るいほうではなく貧民街の方へ行くのだ。そこの経営者である男から商売の方法を学び商人も悪くないと思うのだが、あるきっかけで音楽の道に進む。ギムナジウム時代は祖父によって孤独さを学んだが、ここでは人間関係を学び、やりたいことの方向性が見えてくる。人々とから学んだことが綿々と書かれていて感動的。薄い本だが読み応えがある。
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かふ
古井由吉のムジールの翻訳は、まだ小説家とデビューする前のドイツ文学の研究者の頃に翻訳したのを再度見直したものだとか。古井由吉のムジールの影響が伺える。ムジールは粘着質の文体でまさに古井由吉のドイツ版という気がする。愛欲が男女間で重なり合うのを目指しながら頓挫する。その記憶からの手記というような。次のリルケ『ドゥイノの悲歌』も凄い。もとは韻文詩なのだが、それを散文詩にしている。神の愛が人間の欲望の愛へと変わっていくのだが、それはムジールのテーマでもあるし、古井由吉のテーマでもあった。
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かふ
「三国志」の時代。アニメやドラマで知っている話があるので面白い。陳舜臣の中国史は武将よりも策略家を中心に歴史を読む。『史記』の司馬遷と考え方が近いのかも。楚の屈原とか出てくるので嬉しい。屈原は楚という民族性か感情が激しい人だった。王の周りの官僚は秦との同盟論が主流で追いやられていく。楚は次第に秦に占領されていく。その恨みが「楚辞」という詩になった。「四面楚歌」の項 羽とか。漢詩や漢文の引用も多い。あと劉邦(劉備と混乱した)が女にだらしないヤクザの親分肌。呂后の残虐性は則天武后と勘違いしていた。
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かふ
第一部が太宰治のブックガイドで、何歳で読んだらいいか出ている(お遊び程度に)。太宰は「はしか」のように喩えられるが、年取ってから読んでも面白い作品があるという(文学のパロディ作が多い)。 第二部は文壇バー「風紋」は太宰の「メリイクリスマス」に出てくるバーであり令和二年まであったのだが、昭和の文壇を感じさせてくれる作家だけでなく編集者が集まるバーだった。そこに作家志望の著者が太宰の卒論を書くためにそのとき娘とされたお婆さんに出会ってからの交遊録になっている。文学青年の青春物語。
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かふ
ジョージア映画祭にて、ラナ・ゴゴベリゼ『母と娘 - 完全な夜はない』のドキュメンタリーを観て、その書籍版というような本なのだがソ連時代の粛清が生々しく語られている。というのもラナの両親がそうした粛清された人だったので、痛ましいほどの幼い時の記憶やら母と再会してからの人生(母をテーマにした映画も作られた)も語れる。何よりも凄いのは母はソ連で最初の女性監督で、そうした芸術家との出会いも多かった。「完全な夜はない」はシュールレアリスム詩人ポール・エリュアール言葉。それを確かめたくて借りたのだ。
かふ
2025/01/24 11:14

「完全な夜はない/ 悲しみの果てにはいつも開いた窓が/ 明かりに照らされた窓がある  ポール・エリュアール」映画のことのようにも思えるが、ここでは芸術一般を指している。

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かふ
ディキンスンの評伝なのだが、著者がアマースト大学出身(ディキンスンの父が経営)で「日本エミリ・ディキンスン協会」の会長でもあるのでかなり詳しい。アマーストという土地がピューリタン的であり「自由と伝統」をモットとするような、その思想は同志社大学やクラーク(「(青年よ、大志を抱け」)の教育にもみられ、ディキンスンが宗教的でありながら個人の自由に強く拘ったのは父の影響かと思う。但し、ディキンスンの時代は男尊女卑も激しく家父長制が強かったので、世間とは相容れなかった詩が現在注目されたのだという。
かふ
2025/01/24 00:04

ディキンスンは父の影響下にありなが、女性だったので独立することも出来ずに結婚もしなかったのは、精神的に影響を与えたと思う。それは詩=神の世界という恩寵であったのだ。それは神の恩寵を信じないことで世間と対立したのだった。世間の建前というものが理解できずにそれを攻撃する。そんなときに外交的な妹との対立が映画にも描かれていて、引き籠もりにも理由があったのだ。ただそこにピューリタン的な純粋さよりも人間の欲望を抱えていたので、今なお評価されているのだという。

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かふ
谷川俊太郎の名代として日本代表詩人として詩のフェスティバルに出た四元康祐のエッセイ。詩についての本だが、連載されたのが日本経済新聞の朝刊のコラムということあって、読みやすいしわかりやすい。詩(口承詩)のパフォーマンスの楽しさや、各国の社会情勢も伝わってくるエッセイなのだ。例えば香港の民主化運動のさなかに行われたフェスティバルの詩やパレスチナ詩人の声(そのあとに死亡)がダイレクトに伝わってくる。また日本の俳諧の影響から、連詩の試みも面白い。中にはAIを混ぜての連詩とか、ニュース的にも興味深いコラムがあったり
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かふ
登場人物が複雑で読みはじめは苦労する。エミリー・ブロンテの幽霊が出てきたところで、韓国社会の様々な怨念(感情)が込められていると思うのだが謎が複雑過ぎる。最初の幼稚園の恨みはどこに行ったのかと。「大仏ホテル」は村上春樹「イルカホテル」を連想する。そのぐらいポップな感じだと思ったらけっこうどろどろな話だった。エミリー・ブロンテの怨念が良くわからなかった。『嵐が丘』が「ワザリング・ハイツ」というのも最初わからなかった。そうだケイト・ブッシュの歌だったなと後で思った次第。ゴシック・ミステリーという感じか。
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かふ
陶芸家の男が生活していくのに偽の骨董を作ったのが出来がいい青磁の壺で、その壺が十三人の人々の手に渡りながら語れていく短編連作。偽の青磁の壺は、美術品として眺められるのだが、逆に壺が昭和世代の生活を眺めているカメラのようで面白い。定年退職した夫が呆けて会社のデスクに座っていたり、なんとかその壺に合う花を生けたいと願う生け花の先生?だったり、白内障で目が見えない老母を介護する娘の話だったり、戦時中の食糧難で外交官時代の贅沢三昧のディナーをしたりする老婦人の思い出(これは芥川の『舞踏会』を連想させた)だったり。
かふ
2025/01/20 20:17

そして壺が修道女と共にスペインに行くのだった。そのスペインで高名な先生が宋時代の青磁の骨董を発見したと日本に持って帰るのだが、風邪をこじらせ肺炎になりながらどうしようもないガイド(役立たずの若者)のせいとしながらもその壺の為に死ねないと戻って来る。そして陶芸家はかつて自分の作った壺と再会するのだった。青い壺は本来の目的で使われるのではなく美術品として価値を増大させていくのだが、それと対比させながらの昭和世代の人々の暮らしぶりが感じられる文学になっている。短編集の悲喜劇で面白く読めた。

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かふ
読み応えがある年末特集。全歌人の歌が出ているのか?とても読み切れるものでもなかったが。100年10年1年と区切って短歌を振り返るという特集はおもしろかった。あと「数の歌」も有名なあの歌とかこの歌とか。あと石川啄木が好きなんだなとあらためて思った。https://note.com/aoyadokari/n/n27983982c68c
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かふ
特集が「lux poeticaの詩人たち」と「抑圧に抗して 世界からの声」の二本立て。「lux poetica」は新商品のセールスのような言葉でルックスがいい詩人たちみたいな感じか。印象派というような、色彩表現の中にセンスを見出す言葉派みたいな感じなのかと思った。それと対立するような実存的な戦争詩を語る詩との乖離を感じてしまう。分断世界と言えばいいのか、その間に宇野邦一の『光のまちがい、時間のめまい(下)』があるような。宇野邦一はドゥルーズの翻訳者なので『消尽したもの』というような詩。
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かふ
『平家物語』の各章の解説がわかりやすく書かれている。漫画は付け足し程度で、ほとんど文章という感じだが、理解できる。平家が藤原家に変わって摂関政治をするのだが、実際の清盛より悪人に描かれているとか。それと源氏の駄目さとか。頼朝とかの前の世代はダメな源氏だったのだ。ちょうど前半は平家の天下となる時代で半分ぐらい読んだが、『双調平家物語』は進み方が遅いのでここまでストップ。まだ保元の乱でゴタゴタしているが、このへんは一番わかりにくいと思った。
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かふ
俳壇に批評がないと言われるが高齢化問題も含めて若手が出にくい状況ならば衰退していくしかないんだろうなと思ってしまう。普通に日記のように俳句を作る人は膨大にいるのだが、そういう人と批評は別物のような気がする(文学と文芸の問題)。もはや伝統芸能化していくのだろうか?ほとんど人の俳句は読む気がしないのは求めているのが違いすぎるからだろうか?https://note.com/aoyadokari/n/n83901866b726
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かふ
安堂ホセが読みたいと思って借りた。『迷彩服の男』はすでに読ませる小説だった。 前回の芥川賞候補作『迷彩色の男』が掲載されていたので読んだ。同性愛小説なのだが千葉雅也が書いた作品よりは肉体派というような、千葉雅也の現代思想的な部分を社会的な事件(ニュース)として描いているので彼よりも描写もかなりハードだと思う。そこに殺人事件も絡むからだろうか。小説としてはリアリティを感じるものの喜劇性がないので、それほど好みではなかった。三島由紀夫とか好きな人は面白いかも知れない。
かふ
2025/01/16 07:52

外部性といことではリービ英雄に近いのかもしれない。同性愛と外人であることという主体性のテーマが重なるのでテーマとしては面白い作家性みたいなものはある。もしかしたら芥川賞あるかもしれない(次作で芥川賞)、とこの作品では思わせるのだが、これで取れなかったんだよな。同性愛小説も在日小説も珍しくなくなったからか?(2024年12月28日)

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かふ
最初のエイリアンの詩でハマった。エイリアンの世界にワープする詩で他者の言葉は全てエイリアンだからそれとの格闘から詩は始まるというような。ポップなメタフィクション系の詩で好みだった。だいたいが妄想的な過去の詩人や芸術家と対話するような詩でわかりやすいと言えばわかりやすい現代詩であった。作家の高橋源一郎、歌人の穂村弘系の詩人で谷川俊太郎の名代として国際詩人フェスティバルに参加した人でもある。その体験が『偽詩人の世にも奇妙な栄光』を書かせたと思った。わかりにくい現代詩を誰にでもわかりやすく提供する。
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かふ
カルチャーラジオ「文学の時間」で聴いていたのでざっと読んだ。実際にその作品を読んだりしたのだが韓国文学の魅力はメッセージ性の強さだろうか。それは弱者の立場から来ていて自然フェミニズムが多くなる。日本では行き過ぎフェミニズムとされているが、韓国は日本以上に儒教色が強く男尊女卑だった。その疑問が村上春樹などの日本のポップな作品を読んだ世代が日本では女性が自由だと感じたようだった。さらに女性作家の発言が強まって、ハン・ガン(この本では出てこない)とかファン・ジョンウン(一番好き作家)とか出てきたのだろう。
かふ
2025/01/15 05:54

読書案内的なガイドブックの本だが、出てくる作家が若く、また日本の作家との関連も書かれていて興味深い。上間陽子とコン・ジヨン『椅子取りゲーム』の共通性とか。あと親ガチャが韓国では泥のスプーンと呼ばれていたり(ブルジョア階級は銀のスプーンをプレゼントされるということから)。

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かふ
言葉が親の口真似から覚えるように詩人も誰かの模倣から入るという自己模倣という表現は、キーツ『詩人の手紙』にあるようにあたかも固有性があるように振る舞うが、それは代々受け継いだ他者の言葉の応答であるように、一概に剽窃とは言えないのではないか?言葉が他者の言葉である以上に詩人はそれを利用するのであり、漱石の則天去私はそうした固有性というものを持たない日本の思想だった。それは日本の和歌の本歌取りの思想や俳句の無私なる自然の写生ということに繋がっていると思う。剽窃を暴き出し過去の文学にも言及するとき、それは剽窃と
かふ
2025/01/14 01:46

現代思想なんてほとんど西欧の翻訳をわかりやすく語り直したものだろうと思ってしまったり、批評はそれ自体で作品をわかりやすく分析したものだ。それはそもそも誰の言葉かというと母なる言葉ということなのかもしれない。「大文字の詩」というその根源性を問うとき言葉の模倣から始まったのが詩人であり偽詩人であるのかもしれない。

が「ナイス!」と言っています。
かふ
ベルンハルトの本はけっこう積読になっていたので、集中的に読もうかと思って。まず手始めに自伝5部作というやらを。音楽祭で有名なザルツブルクの裏側というような。ナチス時代と入れ替わったカトリックのギムナジウムの寄宿学校のネガティブな記憶。軍国教育のナチス的教官と敗戦後もカトリックがそれに入れ替わったような教育システムの青春時代。絶えず虐められる弱者が生贄となるとういうような。その中で祖父の反権力と祖母の思い出などが多少明るさがあるが、祖母が精神病院に入れられる状況とか今の日本にも通じるのかもしれない。
が「ナイス!」と言っています。
かふ
「崖のにおい」が死、「こぼれ落ちる猿の声」が生、「紅水晶」が性(セックス)をテーマとした短編なのか興味深い。詩人ならではの言葉のきらめきや面白さはあるのだが、掴みどころがない感じで読んでいてイライラさせられる。それはテーマがなかなか見えてこないからなんだけど、めくるめくる展開は案外ストーリーテラーな人なのかもしれない。三篇しか読まなかったが「こぼれ落ちる猿の声」が良かった。漢詩の秘境の山道の猿の鳴き声というような孤独感の中、人類が神の領域を犯してしまった体外受精というテーマの中に語り手の恐怖が描かれている
かふ
2025/01/12 05:03

表題作の「紅水晶」はセックスを扱った小説だがコミュニケーション不全なのかなと思う。石屋の彼との愛なきセックスを嘆くのだがだらだら一緒にいるのが理解出来ない。自意識が強いのか、相手が見えてない女性で一緒に墓に入ろうという時点で相性最悪と気づけよと思ってしまう。結局他の男とのセックス(情事)があり石屋の彼から合いそうをつかされる。性的描写はリアルなので読者サービスなのかなとも思う。それでセックスが嫌いとかかまととかよと思ってしまう。墓石がベッドから最後棺桶に変わっていくのは見事なストーリーだと思うのだが。

が「ナイス!」と言っています。
かふ
藤原家の摂関政治の終焉で武士の時代へ。頼長は勉学で上がってきたが恋の作法に慣れていなかったので、タガが外れるとどんどんのめり込んでいくタイプのようで、愛が力(権力)であることを知らなすぎたのか、田舎侍(義仲の父)から拒絶されるとか男色にのめり込んでいく。娘を天皇の嫁にしようとするが、美福門院に敗れていくのは母なる力の方が強かったのか。『西行花伝』で西行が出家することになったのもいろいろありそうな話だった。天皇が摂関家よりも身近な武士を好んだというのは武力もあったが性欲もあったのだろうか?白河院が乱れすぎ。
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かふ
鵜飼耳『紅水晶』の「崖のにおい」を読んで岡本かの子『金魚撩乱』を想い出した。崖の下の金魚屋の息子の話だった。彼が山の手のお嬢様に恋をして、どうのこうのという話だったか?そのあとにその金魚屋の息子が金魚作りの虜になるのだが、それはまさこ(お嬢様)の投影だったのだが、妊娠して幻想が終わるという話だったか?そのあとに金魚作りになっていくようだった。なんか腹ボテ金魚はらんちゅうを連想させたのかもしれない。
が「ナイス!」と言っています。
かふ
中動態は古典ギリシャ語にあったが、ローマ時代(ラテン語)になると受動態に置き換えられて消えていく。その中動態が今求められる。中動態はローマ・カトリックのストア哲学によって意志(能動態)と受難・受苦(受動態)に成り代わっていく。それはヨーロッパ文明が見出した自然を支配・コントロールするあり方だったのではなか。俳句をやっていると個人の主体を消し去って自然と一体感を求めるような、受動態とは違う様態が中動態なのかもと思った。それは自然の力が大きい日本では運命を受け入れる悲劇性というものが賞賛されていく。
かふ
2025/01/08 16:36

せっかくナイスをもらったのだけど、とんでもない間違いが一箇所あったので、書き換えました。

かふ
2025/01/08 16:38

ソクラテスが法の前に死を受け入れるのも運命的なもので、それはキリスト教世界では意志を持って戦うということになっていくのだ。その受苦(パッション)がストア学派によりキリスト教的な意志として賞賛されたのだが、すでに世界は人間の意志ではどうにも出来ない世界になりつつあり、能動態と受動態ではどうにもなず自然を受け入れる思想が求められる。それはもともと自然は中動態であって、あとから能動態(外に求める動作)と受動態に分けられていったという。その中動態が求められるのは、ベケットのあるがままの状態なのかも。

が「ナイス!」と言っています。
かふ
視力を失いつつあるギリシャ語講師と言葉をはなせなくった女性とのギリシャ語レッスンは愛のレッスンでもあり、そこにプラトンの洞窟の比喩のイデア論があるのだろうか?つまり視力を失いつつある教師は洞窟の中で光を求めているのであり、それが女性なのかもしれない。それは失われた言葉を取り戻すレッスンであり、ラストは詩のようになっていく。そして彼女の口から言葉が発せられたときに彼の消えつつあるイデアが話されていくというストーリー。ハン・ガンの中では光ある話だというが、氷の世界だった。霙が溶けていくぐらいの寒さか。
かふ
2025/01/06 07:56

ここでのギリシャ語は古代ギリシャ語でそれはプラトン時代のもので今では古語になっている。そのなかに能動態でも受動態でもなく、中動態という動詞の状態があり、それが失われたのはローマのストア派のカトリックの教義であるようだ。プラトンのイデア論はオカルト(グノーシス)的なものもあるし、ギリシャの哲学が運命論であり悲劇なのだ。そこに光を見出すのは、祈りの形態なのかもしれない。

が「ナイス!」と言っています。
かふ
作家の西加奈子が短歌に興味を持ちせきしろを誘って一年間短歌に挑戦するという「anan」の連載企画。最初は字余りばかりのせきしろ(自由律俳句の影響か)が最後の方は定型に収めてきて進歩の過程が伺える。せきしろは文学的センスもあるので、短歌の勘所はもともとあって、歌心のツボを持っていた。むしろ西加奈子の大胆さの歌が面白かった。ゲストも歌人ばかりではなくミュージシャンとかお笑いタレントとか一緒に短歌を作る回が面白い。最初と最後は穂村弘が指導するのだが。
が「ナイス!」と言っています。
かふ
最初に谷川俊太郎の詩が掲載されていて驚いた。去年の号だから一昨年の詩なのだった。今月の現代詩手帖には谷川俊太郎の詩はなく、しかしその空白は現代詩のようでもあり、また追悼詩もあるので、谷川俊太郎の詩のように思えたものだ。一昨年はイスラエルのガザ侵攻があったのか、そうした詩が目立つ。宇野邦一の長編詩(上下に分けて上だけ)や四元康祐「雲の調停」などが良かったのだが、ガザの壁があっても空は見上げられたのに空爆はその空をも奪ってしまうのだと感じた。
かふ
2025/01/02 15:28

ガザの詩以外では多和田葉子「わたしだけの本棚」が面白かった。架空の本の背表紙のタイトルを並べただけの詩なのだが、真似したくなる。詩は対話だから、創造力を刺激する詩が好きだった。

が「ナイス!」と言っています。
かふ
中国の神話時代の殷の宰相伊尹の波乱万丈の伝説物語。中国の話だから人名や土地の名前など漢字が難しい。そこをクリアすれば案外アニメ「キングダム」のようで面白い。伊尹は最初夏に滅ぼされそうになる属国の料理人に過ぎなかったのだが、霊的な力で王妃を夏の生贄として王に捧げ、民衆を救う。その夏に商(殷)が責めてくるのだが、敵国になるのだが、そこでも王妃のお抱え料理人となって、助けるのだ。敵対関係が複雑なのだが、伊尹は国よりもそこに住む住民を助けるということなのか?脇役の武将とかの話が『三国志』のような話。
が「ナイス!」と言っています。
かふ
NHKラジオ「朗読」で。エッセイよりも日記のようなとりとめのない話の随筆だった。面白い話もあるが、よくわからない話も多い。芥川は西欧文学かぶれで俳句好きということはわかった。また小説家という職業は当時下に観られていたようだ。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2010/03/16(5522日経過)
記録初日
2010/03/24(5514日経過)
読んだ本
2644冊(1日平均0.48冊)
読んだページ
655819ページ(1日平均118ページ)
感想・レビュー
2521件(投稿率95.3%)
本棚
28棚
性別
現住所
神奈川県
自己紹介

note https://note.com/aoyadokari

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