弱者配慮の偽善・欺瞞への問題提起は、どうしても「配慮疲れ」や「多様性疲れ」を連想させる。読者としてそこを繋げてしまうのも不平不満に満ちたSNSの弊害だろうか。我々の向き合わねばならない問題の一つであり、文学が問うのは必然かつ必要と思うが、社会的配慮の未熟なこの段階でこうした方向のものが受賞するかあとも思った。芥川賞のおかげで出会ったが、別の文脈で出会いたかったかもしれない。
以前は無知に対する焦りに追い立てられるような気持ちでしたが、最近は結構気の赴くままに読んでいます。
読むジャンルは近年ほとんどが文学(近現代)です。
2022年から英語多読に挑戦しています。でも背伸びした本も選びますし、引きたい時には辞書も引きます。
ドイツ語の書籍も時々。韓国語も独習していますが、読書にはまだまだ足りないので、今はもっぱら漫画です。
読了は全章に目を通した本に限定する方針です。その代わり(?)内容は全然理解できていなかったとしても、とりあえず読んだということにしています。
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弱者配慮の偽善・欺瞞への問題提起は、どうしても「配慮疲れ」や「多様性疲れ」を連想させる。読者としてそこを繋げてしまうのも不平不満に満ちたSNSの弊害だろうか。我々の向き合わねばならない問題の一つであり、文学が問うのは必然かつ必要と思うが、社会的配慮の未熟なこの段階でこうした方向のものが受賞するかあとも思った。芥川賞のおかげで出会ったが、別の文脈で出会いたかったかもしれない。