それは、ドゥルーズ&ガタリの(1)コード化(共同体)、(2)超コード化(原子国家)、(3)脱コード化(近代国家)という風に対応しているのだが、実際に浅田彰のドゥルーズ&ガタリの整理とそれを用いた秩序発生の議論は非常に面白かった。人間は象徴秩序がなければ、想像界(浅田は「鏡像界」という言葉の方が良いのではと言っている)のなかで互いが映しあった鏡像をめがけて互いに傷つけ合ってしまうから、という話も実際に母子の密室的な空間のなかで傷つけが起こるというのも非常に私として理解できるところであった。
実際に、私たちはお互いを時に激しく傷つけ合ってしまうが、そうした想像界における傷つけ合いから象徴界のなかに入る時、何らかの仕方で私たちは秩序立っている。それは、例えば、ルーマンで言うなら、ダブル・コンティンジェンシーの議論を想起するのだが、実際に何もないところからどうやって人間という本能においては壊れている存在が社会的秩序を形成していくかという議論は社会思想においても重要であると思われ、社会思想の分野との関連においてフランス現代思想の議論を学ぶことはとても良いことではないかと思った。
ソーシャルメディア・プリズムというなかで確かに自分自身がインターネットにおいて様々なバージョンの自己呈示(ゴッフマン)をし、それが上手く行っているかいないかその度に確かめるということになるだろう。その自己呈示を行うなかで実際にインターネットによって自分の生活というのはどう変わったのか、どういう風にインターネットというメディアと付き合えば良いのか、この点に関しては谷川嘉浩さんの『スマホ時代の哲学』における記述とも並行している(なお、谷川さんもこの『ソーシャルメディア・プリズム』という著作には言及していた)。
読書の記録を再開します。
好きな作家は、マルセル・プルーストです。
死ぬまでに彼の『失われた時を求めて』を何回か読みたいです。
令和6年4月現在、大学院研究生をしています。博士論文を準備中。
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heaven of 20 さん、ナイスをありがとうございました。