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2024年7月の読書メーターまとめ

Sora
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2024年7月に読んだ本
20

2024年7月のお気に入られ登録
1

  • 梅干を食べながら散歩をするのが好き「寝物語」

2024年7月にナイスが最も多かった感想・レビュー

Sora
本書はカフカの短編と断片からなっており、文章や物語の意味のわからなさを楽しみ、その隠された意味を想像し、ときどき現れる警句に驚き、かつ、胸を衝かれるという楽しみ方ができる内容。不思議な魅力のある断片集。
Sora
2024/07/08 21:27

「せめて、ひと言だけ。せめて、ひとつのお願いだけ。せめて、空気の動きだけ。せめて、あなたがまだ生きていて、待ってくれているという証拠だけ。いや、お願いはいらない。せめて、息づかいだけ。いや、息づかいもいらない。せめて、心の準備だけ。いや、心の準備もいらない。せめて、思うだけ。いや、思いもいらない。せめて、やすらかな眠りを」(P115「せめて」より)。

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2024年7月にナイスが最も多かったつぶやき

Sora

2024年6月の読書メーター 読んだ本の数:24冊 読んだページ数:6939ページ ナイス数:481ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/623744/summary/monthly/2024/6

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2024年7月の感想・レビュー一覧
20

Sora
ネタバレ新田と横手。巧・豪のバッテリーと、門脇・瑞垣の幼馴染ペア。両方の人物の心情と葛藤、衝突を描きながら、練習試合に備えての野球練習の風景も描く。豪は巧に苛立ちを感じながらも全力で巧にぶつかる。瑞垣は門脇に対して、幼馴染としての思いだけでなく、妬みや苛立ち等の複雑な感情を抱いていた。幼馴染として近くで門脇を見続け、また彼自身にも実力があるからこそ、門脇との実力差を思い知らされ、野球を楽しめなくなった事も語られる。野球の描写だけでなく、登場人物の心理描写も楽しめる内容。
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Sora
ネタバレ横手ニ中との試合で、巧・豪のバッテリーは門脇を三振にし、一度は打ち取る事に成功するが、豪の集中力が切れてしまう。その事に焦る豪だったが、門脇の悪友の瑞垣に言葉で惑わされ、余計に追い詰められ、潰されてしまう。豪とどう向き合えばいいのかわからず、戸惑う巧。そんな二人を見かねて友達の沢口、東谷、吉貞が動き、二人はギクシャクしながらも互いに歩み寄る。もう一度完璧な試合を作るために画策する海音寺、門脇、瑞垣。瑞垣のえげつなさや、思春期の時の心の繊細さと激しさが伝わってくる内容だった。
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Sora
ネタバレ上級生によるリンチという不祥事のため野球部は一時的に停止となるが、オトムライの訴えにより野球部は部活再開となる。オトムライ、主将の海音寺らは野球部存続のため野球部の名門、横手二中との練習試合を計画。巧と豪はお互いに衝突しつつ理解を深める。遂に横手二中野球部の中心的人物、門脇を引っ張り出し練習試合の承諾を得ることに成功する。そんな中、巧の弟の青波が、「青波は上手くなる」と言った井岡の言葉通り心身ともに成長していく。また「野球は一人では楽しめない」というオトムライや井岡の思いを、巧は理解できるのか気になった。
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Sora
ネタバレ服装や休日の過ごし方など厳しすぎる校則や、中学校なのに極端な体育会系的上下関係の徹底などが描かれている。ある価値観を強制させる共同体の中で、自分の価値観を守ることの難しさと、それでも懸命にあがくことの大切さを訴えていると感じた。また、権威主義の権化だと思われていた教師の戸村真(オトムライ)が、人一倍野球への熱意にあふれており、高校時代の恩師である井岡洋三監督に尊敬の念を抱き続けていたこと等、意外な一面も描写されている。感情をコントロールしきれず衝突してしまう、思春期特有の難しさが懐かしく感じる内容だった。
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Sora
ネタバレ大人になってから読むとまた違う感想になる内容。主人公の原田巧は小学校卒業後の春休みに母の実家がある新田市に家族で引っ越す。ある日ランニングをして道に迷った巧は、同い年の少年永倉豪と出会う。子供の時には才能あふれる巧や豪に憧れたが、大人になってから読むと祖父の井岡洋三や両親、弟の青波、豪の両親等の人柄や悩み、考え方に共感を覚える。野球が人生の全てではないと大人は考えがちだが、巧や豪にとっては野球が全てであり、自分の意見を無視され、奪われる事に大人以上に耐えられない。だからこそ全力で理不尽に立ち向かっていく。
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Sora
室町時代の陰陽師である兄弟の活躍を描く短編集。妖を「悪」として位置づけることはせず、彼らの抱える想いや無念を受け止め、宥めることで怪異を解決に導くという点と、彼らが、陰陽師物では悪役として描かれる蘆屋道満の子孫という点が興味深い。弟が怪異を見て、兄が儀式を行い、薬を調合する。最初の短編で、弟の呂秀は蘆屋道満の式神だった鬼と契約して「あきつ鬼」と名づけ、兄とともに怪異を鎮めるようになっていく。「鬼は人ができぬことをする、人は鬼ができぬことをする」。異なる存在の共存を描くというのが著者の作品の魅力だと感じた。
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Sora
『深い河』がどのように練られたかを知ることのできる創作日記と、著者にとっての宗教性が語られる「宗教の根本にあるもの」を収録。前者では、創作のメモ書きだけでなく、マザー・テレサやヒックの宗教多元主義が著者の霊性や思想に影響を与えていたことが示されている。後者では、新興宗教を批判しつつ、宗教とは思想ではなく、思想よりも深いところにある根本的な「無意識」であると述べる。また「どのような宗教であれ、その根底にあるものは一緒」であり、「人間だれもが持ち合わせている無意識の中に存在する」のが宗教性なのだと述べている。
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Sora
エゴイズム、差別意識、異質な存在への恐怖心から来る他者への抑圧など、怪異そのものの怖さだけでなく、人間の怖さも描かれている。人身御供と怪異の怖さが描かれる「禍猿」、全盛期の帯刀と若き日の木山のバディが活躍する「夢魔」、千早と大野木が、神々をもてなす旅館に招待される話「幻旅」がおすすめ。
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Sora
社会的・宗教的分断と格差を悪化させたトランプがそもそも、なぜ当選できたのか。背景にはジェンダー・移民への不満や差別意識だけでなく、アメリカ独自のキリスト教的ナショナリズムが関係していた。本書は、アメリカにおけるキリスト教的ナショナリズムを分析したものであり、現在のアメリカの情勢を理解する助けになる内容。「メガ・チャーチ」と呼ばれる保守的かつ原理主義的なプロテスタントとカリスマ性を持つ牧師からなる組織が、トランプ当選のために信者を動員した事も当選できてしまった理由の一つのようである。
Sora
2024/07/15 16:09

アッシジのフランシスコの平和の祈りにあるように、「憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を」もたらせるようにするのが、キリスト教の目指すべき理想であるのに、原理主義や保守主義に近づけば近づくほど、ナザレのイエスの精神から遠ざかっているように感じます。

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Sora
今はもう亡くなっているカトリックの司祭による「日本人のためのキリスト教入門」。フランスでの修道院時代にヨーロッパのキリスト教的価値観に馴染めず苦しんだ著者だからこそと思える内容。和歌や仏教、西田幾多郎の思想とイブン・アラビーの思想等を使いながら、神とは何か、日本人にとってのキリスト教とは何かを考えていく。著者によれば、神を「主」とし、自分を「従」とすることは窮屈で不自由だということではない。自分を超える何者かを認める世界には「大きな命に生かされている」という思いと、そこで得られる自由があるのだとしている。
Sora
2024/07/28 17:21

自分を「神」とするのではなく、自分を超える「絶対無」と出会うこと。「絶対無」とは、「何もない」という意味での「無」ではなく、言語や思考を超えた存在、「常に全てのものの根底にあって、存在と生を支える」存在という意味であり、個人がその「無」と出会うときに「人格神」としての「神」と出会う。そういう意味では偽ディオニュシオス・アレオパギテスの『神秘神学』で表現されている、「光を超えた闇に隠れて」いる三一の神と類似した考え方なのかもしれない。

Sora
2024/07/28 17:21

第六章では、イエスがなぜ十字架にかけられ死んだのかを説明する理論をいくつか述べている。その中でイエスは私たちの罪を背負ったのだとする「身代わり理論」と、イエスの死によって奴隷の状態から「贖い出され」、正しい関係に戻ったとする「贖い理論」を説明している。しかし、その二つの理論は日本人にはわかりにくいとして、「初穂理論」を紹介している。その理論は、「死んだ者の中から、神がイエスをご自分の御手のうちに初穂として迎え」たことによって、「私たち人類全体が神に迎えられた」のだとする。

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Sora
本書は親鸞の『浄土和讃』、『高僧和讃』、『正像末和讃』の三つの和讃、つまり「三帖和讃」の現代語訳を収録。和讃とは「和語をもって讃嘆する詩という意味」ということ。最初の詩では浄土や阿弥陀如来について、次の詩では高僧(龍樹や曇鸞、法然等)を讃えている。最後の詩では浄土の教えに帰依しているが、未だに煩悩や罪深さが消えない事への嘆きと、だからこそ全てを救おうとする阿弥陀如来の本願が尊いのだと訴えている。本書では和讃の後で現代語訳で意味を説明してくれているので親鸞がどんな思いを込めて作った詩なのかを知る事ができる。
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Sora
渡海征司郎が「オペ室の悪魔」と呼ばれ、佐伯教授を憎悪するに至った経緯が語られる内容。時系列としては、世良雅志が主人公の「ブラックペアン1988」の前日譚にあたるが、高階権太(後の高階講師)や盟友の坂田、「モンテカルロのエトワール」と呼ばれるようになる天城雪彦や、『極北ラプソディ』で登場する久世先生等、懐かしい人物も登場する。「ブラックぺアン」ではやさぐれた感じのする手術職人として登場する渡海だが、本書では天邪鬼なところはあるものの、それなりに理想に燃え、佐伯教授を慕っていた様子が描かれており切なく感じた。
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Sora
好奇心、優越感、不倫、弾圧、悪等、人間の負の側面に焦点を当てた作品が多い印象。また、人の人生を横切り、最後まで寄り添う存在という、著者の描くイエスのイメージもいくつかの短編で登場している。著者のユーモアを感じられる、「天国のいねむり男」が特におすすめ。
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Sora
排他主義とナショナリズムの行末を描く、寒気のする「おとぎ話」。領土が極端に狭い内ホーナー国と領土が極端に広い外ホーナー国で人々はそれぞれ暮らしていた。そんなある日、地震が起きて内ホーナー国の領土が更に狭くなってしまう。ヘイトを更に高めた外ホーナー人に、平凡な中年男フィルは言った。「税金を取ればいいのさ」。税金徴収、人権侵害、クーデター、弾圧、処刑。しかし、フィルの暴走は突如として終わりを迎える。舞台が機械の国だからか、物語の最後はデウス・エクス・マキナの登場でハッピーエンドとなる。では現実はどうだろうか。
Sora
2024/07/11 22:23

「あとがき」によると、フィルのモデルはいないものの、様々な独裁者のカリカチュアであり、「自分たちの敵をモノに貶めておいてから大手を振って抹殺しようとする人類の習性の象徴」として描いたのだそう。独裁者フィルは、私たちの心の中にいるという事実が恐ろしいと感じる読書になった。

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Sora
本書はカフカの短編と断片からなっており、文章や物語の意味のわからなさを楽しみ、その隠された意味を想像し、ときどき現れる警句に驚き、かつ、胸を衝かれるという楽しみ方ができる内容。不思議な魅力のある断片集。
Sora
2024/07/08 21:27

「せめて、ひと言だけ。せめて、ひとつのお願いだけ。せめて、空気の動きだけ。せめて、あなたがまだ生きていて、待ってくれているという証拠だけ。いや、お願いはいらない。せめて、息づかいだけ。いや、息づかいもいらない。せめて、心の準備だけ。いや、心の準備もいらない。せめて、思うだけ。いや、思いもいらない。せめて、やすらかな眠りを」(P115「せめて」より)。

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Sora
本書は、かくれキリシタンについて知ることのできるブックレットであり、約50ページと短いので読みやすい内容です。かくれキリシタン信仰は、神道や仏教と混合したものとは単純に言えず、それぞれの信仰を使い分けているということ。よって、「かくれキリシタンはキリスト教ではない」とは簡単には言えないのではないかと著者は訴えています。また本書では、かくれキリシタンのおらしょ(祈り)の紹介の際に、日本語の唄のおらしょ「だんじく様の唄」にも言及しています。著者によると、元々は挽歌のようなものだったのではないかという事です。
Sora
2024/07/06 17:06

また、「だんじく様の唄」は、遠藤周作の短編、「母なるもの」でも引用されています。

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Sora
社会や関係性を分断しようとする利己主義やイデオロギーにゆだねることなく、他者を受け入れ、ともに生きるよう訴えている社会的回勅。善い社会や文化の形成には、意見や価値観の異なる他者の存在と共存が不可欠であり、自国第一主義と他者を拒絶するイデオロギー(外国人や特定のジェンダーへの差別、ヘイト等)を厳しく糾弾する。また、「ゆるす」ということは「尊厳を傷つける者」、つまり抑圧者の抑圧をそのまま容認するということでは決してないということ。平和と共存を追求するよう訴える内容。
Sora
2024/07/06 18:31

また付録として、イスラーム教のグランド・イマーム(指導者)アフマド・アル・タイーブとの共同文書も収録。対立や戦争は宗教が認めるものでは決してなく、宗教心を政治利用しようとする思想への糾弾も含んだ内容。

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Sora
本書は、異国の地パリで暮らすある日本人女性の話、夫婦共に修道院に入った、ダニエルとアニーの話、ダニエルによる手記の3部からなる長編。自然描写が多く、マグマ、火、亡命者等、抽象的な表現が作品の中で何度も繰り返されるのでしつこく感じ、頁をめくるのが億劫になった。また、この抽象的な表現は作品の中で重要な言葉でもあるため、著者の主張を把握するのが難しい内容だった。精神を重視するあまり肉体に関しては軽視(もしくは軽蔑)するという、著者の思想及び作品は私には合わないと感じた。
Sora
2024/07/05 23:46

また、「亡命者」とは信仰の世界へ逃避した者ではなく、「あちら」(信仰の領域)に回帰した者だということだが、今私たちが生きている現実を軽視しているのではないか、また現実を軽蔑し、「あちら」の世界に帰るという思想は、グノーシス主義に一歩近づいているのではと感じた。

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Sora
オイディプス王の絶望と妃(母)の自死、兄弟間での後継者争いによる共倒れの後の悲劇。王位を継いだクレオーンは、祖国を滅ぼそうとしたポリュネイケースの埋葬を禁止。その一方で国を守ったエテオクレースは儀式に則り埋葬するよう命じる。そのことに主人公アンティゴネーは反発。妹のイスメーネーの忠告に耳を貸さず、一人で亡き兄の埋葬を行い、遂には自ら命を絶ってしまう。解説によると、思慮という徳の重要性を訴えた劇との事だが、実定法(クレオーンの命令)と自然法の対立、独裁制とそれへの反発の劇とも読み解くことのできる内容。
Sora
2024/07/06 18:02

また訳者によると、アンティゴネーの亡き兄への思いは家族愛を超えている可能性があるとのこと。もしそうだとすれば、この物語はオイディプス王から始まる業の悲劇とも受け取れるのかもしれない。

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Sora
「惻隠の心無きは、人に非ざるなり」という言葉がある。すべての人間には、人を思いやることのできる力があるということを表す言葉だが、「あわれみ」という感情は、場合によっては残酷になりうるものであり、傲慢さとも結びつきやすい。本書は、男女の不倫と三角関係、主人公スコービーの破滅までを描く。物語の結末には、スコービーの絶望と自死という悲劇が描かれるが、彼の救いの可能性という、一筋の光も暗示されている。彼の死を通して、ヘレンの心の中に神を信じてみたいという欲求が生まれる。本当のキリスト教文学の一つといえる内容。
Sora
2024/08/04 17:51

スコービーの妻、ルイーズは常識的で貞潔な人。模範的なカトリックの信徒。だからこそ、不倫というスコービーの裏切りを許すことができず、裏切りを暴くため、秘跡を利用するという涜聖の罪を犯してしまう。「模範的」だからこそ自分で命を絶つという罪を犯したスコービーに救いはないと断罪する。しかし、本書の中でランク神父が述べているように、神の慈悲の限界について私達は知る事ができず、また、「一人の人間の心のなかで起こっている事については教会も知らぬ」し、私達の誰一人として知る事はできない。ただ神のみがそれを知る事ができる。

Sora
2024/08/04 17:52

スコービーは確かにいくつもの罪を犯した。しかし、「罪人はキリスト教の核心にいる……罪人ほど教える力をもつものはいない、聖者をのぞいては」という、エピグラフとして引用されたペギーの言葉の通り、私たちはスコービーという罪人の生涯を通じて、罪と救いについて学ぶことができるのだ。

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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2015/11/01(3398日経過)
記録初日
2015/11/01(3398日経過)
読んだ本
719冊(1日平均0.21冊)
読んだページ
224141ページ(1日平均65ページ)
感想・レビュー
713件(投稿率99.2%)
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