2024年9月の読書メーター 読んだ本の数:20冊 読んだページ数:7059ページ ナイス数:436ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/623744/summary/monthly/2024/9
一方、正義、勇気、節制、知恵と、信仰、希望、愛という徳を備えた君主は、本人の備えた徳により、人民から愛される善き統治を行うことができる。そして、臣民の忠誠と愛を勝ち取ることができるので、「善き王の統治が安定した統治になるということである」。マキャベリズムの理想とする冷酷な統治者が望ましいか、それとも、アリストテレスやトマス・アクィナスの理想とする統治者が望ましいか。対立と戦争が絶えない現代社会で生きる私たちだからこそ、あえて、考える必要があるのではないだろうか。
彼の理想とする国家は人民の自由、平和、安全を保障する国家であり、「その平和が臣民の無気力の結果にすぎない国家、そしてその臣民があたかも獣のように導かれてただ隷属することしか知らない国家は、国家というよりは曠野と呼ばれてしかるべきである」として、人民を恐怖によって支配する政治体制及び国家を批判している。スピノザのこうした主張は、国家のために人民がいるのではなく、人民のために国家は存在するという論理に正当性を与えるものである。
本書以外にも全訳はここ最近になって翻訳・出版されているが、頁数が多く、かなりの値段のため、ゾロアスター教に興味のある初心者は、本書をまず読んでから全訳に進んだ方がいいと思われる。
バラモン教と、それを受け継いだヒンドゥー教の負の側面としてカースト制度が挙げられる。ゴータマ・シッダールタやガンディーはカースト制度を強く非難しており、インドの歴史においてもやはり非難されるべき悪しき風習である。本書の解説によると、今では法的な差別は撤廃されたということだが、差別撤廃の実現というものは、東西関係なく困難なのかもしれない。
著者によると、全体主義はイデオロギーという「見せかけ」を必要とするが、イデオロギーは現実から乖離するだけでなく、現実を「偽の現実」とすり替えてしまう。そのうちイデオロギーはただの「見せかけ」の儀式、支配するための口実となっていくが、誰一人、その儀式に反する言動は許されなくなる。その支配体制の指導者も例外ではなく、個人が権力闘争に勝利するには、イデオロギーという儀式や口実に逆らうことは許されない。違反した者は異端者として組織から追放されることになる。
全体主義という構造は虚偽で成立しているため、その世界が成り立つのは「人間が嘘の中で生きようとする時に限られている」。市民の普段の行動(例えば、スローガンが書かれているものを店のショーウィンドウに置くといった行動)によって体制が維持されるので、窓に旗を掲げない、形式だけの選挙に行かない、体制を擁護する上司に意見を言うといった、普段の何気ない、しかし、意志のある行動によって崩壊していく。
最後に詩論を述べて終わりとなる内容。歴史学の序説で言語学や詩論について記述するというのは珍しいが、その理由は著者であるハルドゥーン自身が学問の世界と政治の世界のはざまで活動していたという事と、本書自体が学術書というよりも君主の教育のために書かれたという事のようだ。また、ハルドゥーンが波乱万丈の人生を送っていたようなので、興味がある方はハルドゥーンについての文献を参照することをお勧めする。
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