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2024年10月の読書メーターまとめ

ころこ
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32
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感想・レビュー
27
ナイス
1461ナイス

2024年10月に読んだ本
32

2024年10月のお気に入り登録
6

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2024年10月のお気に入られ登録
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2024年10月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ころこ
大澤真幸の本で引用されていたのをそのまま読まずにいたら、今年ノーベル経済学賞を受賞してしまっていた。挑戦するにはいいニュースだったが、本書はもっと挑戦的な問いから始まる。なぜ世界には富める国家と貧しい国家が生まれるのか。問いはこれだけだ。この問いは昔から問われてきた。①ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』では、各々の大陸の特徴によって、植物種と動物種の歴史的発展に相違が生じることが原因だという地理説をとる。②マックス・ウェーバーの一連の仕事では、プロテスタンティズムが代表に挙げられるが、文化ごとに近代
ころこ
2024/10/31 20:18

的な内面が形成されやすいこと(エートス)が原因だという文化説をとる。しかし本書はそのどちらでもない。いくら社会システムやテクノロジーが洗練されたとしても、決められた時間に来ることが出来るひとと出来ないひとがいて、集団的に両者の傾向がはっきり分かれる以上、②文化説は否定できないのではないだろうか。また近代とは、近代的な自意識を持っているという絶対的な地点にいる(それが苦しみを生むのだが)という決定的な問題をどこまでも回避できないため、文化説に回帰してくるというのが予想なのだが…とにかくその意気や良しである。

が「ナイス!」と言っています。

2024年10月の感想・レビュー一覧
27

ころこ
大澤真幸の本で引用されていたのをそのまま読まずにいたら、今年ノーベル経済学賞を受賞してしまっていた。挑戦するにはいいニュースだったが、本書はもっと挑戦的な問いから始まる。なぜ世界には富める国家と貧しい国家が生まれるのか。問いはこれだけだ。この問いは昔から問われてきた。①ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』では、各々の大陸の特徴によって、植物種と動物種の歴史的発展に相違が生じることが原因だという地理説をとる。②マックス・ウェーバーの一連の仕事では、プロテスタンティズムが代表に挙げられるが、文化ごとに近代
ころこ
2024/10/31 20:18

的な内面が形成されやすいこと(エートス)が原因だという文化説をとる。しかし本書はそのどちらでもない。いくら社会システムやテクノロジーが洗練されたとしても、決められた時間に来ることが出来るひとと出来ないひとがいて、集団的に両者の傾向がはっきり分かれる以上、②文化説は否定できないのではないだろうか。また近代とは、近代的な自意識を持っているという絶対的な地点にいる(それが苦しみを生むのだが)という決定的な問題をどこまでも回避できないため、文化説に回帰してくるというのが予想なのだが…とにかくその意気や良しである。

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ころこ
初期から有名になる位までの村上春樹を論じた鼎談。村上の小説は主張やテーマを直接えがかない、というのは誰しも感じるところだ。では村上が描こうとしたものは何だったのか。全共闘世代の3人と同世代の村上では読み解く文脈があることが分かる。当時はこの外側に柄谷や蓮實など村上を認めない批評家が多くいた。竹田は社会の、笠井は個人の内的な、加藤は反社会的な感情に立脚した格率をそれぞれ村上の優れた才能の立脚点として見出しているが、3人の立場の違いは議論を成立させるためのもので、同世代の認識の一致を確認しているようなものだ。
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ころこ
捕食者が恐怖の対象ではなく、キン肉マンで読者投稿される悪魔怪人のような表象になっている。彼らの目的は殺戮で、それに対する人間の側は被食者としての根拠と帰還というシオニズム運動みたいに最初の印象からこちらも変質してしまっている。多くの少年マンガが陥るように、戦いの場面は妙に安定していて読者の一部にはうけるのだろうが、なぜ戦っているのか展望がみえなくなってきている。進行がスムーズだと勘違いしている作者は、楽をしていることを見抜いている読者がいることに気付いてほしい。
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ころこ
最初に『魚服記』を持ってきたのには恐れ入った。岡本かの子『混沌未分』がこの作品に近く、男性作家がこれを書けるというところが特別な才能たる所以なのだろう。悩みの青年文学というパブリックイメージを払拭するのが編集者のねらいだろう。大塚英志は女性の一人称に太宰の真骨頂はあるといっている。本当に独白している訳ではなく、ましてや書き手は男なのでフェイクなのだ。あたかもひとりの人格が立ち上がるというような気にさせるのが文学だとすれば、最も上手い書き手は太宰であり、代表例に『女生徒』を挙げている。本巻に収録されている。
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ころこ
このレーベルは随分読んできたが、未読の作家が出てきた。短編を通じて作家像を読者がつくれれば成功という感じだ。作品のセレクトに感心するが、今回は前半の並びが上手い。共通しているのは魚が出てくるところだ。最も良かったのは『混沌未分』。経済的理由による「パパ活」だが、同世代の青年に未練を残して女性がどう生きようか模索している。魚とは小初のことだ。水泳が得意な彼女の水中での身振りが薫にも貝原にも捕まえられない。『金魚擾乱』は金魚に魅せられた男の生き方と同時に、その男からみた女性の生き方が描かれている。性的な描写は
ころこ
2024/10/27 12:26

皆無で、その代わりに食べるシーンがたくさん出てくる。『鯉魚』や『河明り』もそうだが『鮨』や『家霊』はまさに魚を食べる。食べるという行為は欲望のあり様を分かり易く象徴していて、性に比べて忌避されないので、読み易さにも貢献している。自立も描かなかったため政治性が前面に出ていない。『混沌未分』の小初はもうひとりの男にも影響されている。父だ。自立して生きますといえる時代ではなかった中で、強い女としてではなく、かといって翻弄されずに生きていく魚のような生き方だ。時には捕まって食べられてしまうリアルさが描かれている。

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ころこ
詩人だが60ページ以降は文章なので臆せず読める。何とか主義や革命など時代遅れも甚だしい言葉もあるが、村をつくったり組織を運営したりする具体性と身体性は恐らく面倒くさい、それだからこそ地に足のついた活動が目に留まる。なかでも三池闘争、大正炭鉱闘争は学生の安保闘争よりも生活がかかっているだけ切実だ。エネルギー革命により石炭は時代に取り残されていくのは著者も分かっているはず。「ペンをとることが重たい」のはそうだからだが、そうだからとは書かない。
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ころこ
『不満足』非常に力の入った文章。だが重く、読み辛さがある。テーマが無いように読めるが、それが力を与えている。『空の怪物アグイ-』と比べると両者には、神経症かうつ病になった人物、その人物は作中の他の人物に分裂している、何かから逃げる、その隠喩として自転車に乗る、犬に追いかけられる、当該人物が自殺する、という共通点がある。『個人的な体験』では鳥(バード)が作者の分身だが、『不満足』では作者自身を投影しているのが鳥でも語り手でもなく、自殺した中年の障害者だと読めるところだ。障碍者をシェパードや施設外の人間が捕ま
ころこ
2024/10/24 21:23

える状況は今からすると考えられないが、鳥、菊比古もまた軍隊として朝鮮に送られることから逃げている。それを見ている私という複雑な構成をしていて、焦点がいまいち合わない。合わない不完全さに力が宿る。モラリスティックな解釈の可能な作品に比べて『ブラジル風のポルトガル語』は個人の思想や活動の可能性に見切りをつけ、集団的な深層意識へ可能性を見出すその後の展開を予告している。森の窪地の集落全員が突如消える。単にホラーとして読むことで十分だ。東京で発見した村人は明確な理由について何も言わない。それが良い。

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ころこ
今から200年前、18世紀に生きた人だが、ガジェットが異なるだけで、意外と今と感覚が変わらない。最新の通信手段・手紙を用いた『若きウェルテルの悩み』を書き、不幸な愛を発見した。自分の前半生を『詩と真実』に残したのは初老近く、『ファウスト』を長年温めて発表したのは晩年だ。結婚を先送り先送りにして、進退窮まって結婚したのはこれも初老近く。自分が後年どうみられるか過剰すぎるくらい自意識があり、我々の一生とそう変わらない現代的な意識を持っていることが描かれている。
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ころこ
日本にとってアメリカは特別な国だ。米軍に対する日本政府の対応は法的根拠を持たないものがある。日本での米軍の位置づけを根拠づけているのは日米地位協定だが、米軍の活動に関する日本政府の具体的対応は隔週木曜日の11時から行われている日米合同委員会で決めており、法整備することなく米側を運用面で優遇しており、その多くが密約として公開されていないため、日本は一方的な不利益を受けてしまっている。本書は情報公開法や関係者から入手した情報を元に、米兵の犯罪に対する日本側の取り扱いや日本領空における米軍の優遇など不平等で異常
ころこ
2024/10/22 21:35

な日米関係の問題を指摘している。資料の整理や事実関係の指摘が多く、飛ばせば意外と早く読める。関係者の証言が皆無なのが気になる。日本側の責任者は政治家ではなく、外務省をはじめとした行政組織であり、問題を国民に訴えて改善することをしない。更に問題は米側のカウンターパートは米軍だということだ。占領によって米大使館設置以前に食い込んだ米軍の権益として継続しているからだ。著者は安保体制と憲法体制の矛盾を指摘しているが、むしろ憲法9条は世界最大の暴力装置である米軍が実現を担保しているという意味で共依存なのではないか。

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ころこ
自伝というタイトルだが、著者は自分語りが苦手だ。祖先の出身地をめぐる紀行文になっていたり、人間関係があった相手のことを書いている。黒田清輝の画が何枚も飾っていた家に住んでいるにもかかわらず、その画を突き放して客観的に批評する。彼女の周囲はその時々で変わる自然であり、自然の鏡のように映る彼女の応答に作為は無い。非常に彼女の特質が如実に出ていて、彼女が見えない自伝は読んでいて退屈さを誘う。自分が出ないのはプライドだろうし、自己プロデュースがこの殻から出ないというのだから諦める他ない。
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ころこ
文章は平易だが、何が物語を駆動しているのかはっきりしない。SFは大抵そうだが、社会通念とのズレを演出することによって設定を語外に示す。「来訪」によって「ゾーン」がつくられ、厳しい警戒を潜り抜けて残していった珍しいモノを、違法に持ち出して金儲けする者たちの総称をストーカーと呼ぶ。ストーカーは命知らずだというのは、もうひとつの意味もある。遺物に触れると本人と近親者に突然変異が起こるのだ。主人公レドリックの娘はサルのように変貌していっている。ファーストコンタクトものだが、地球外生命体の名称は出てこない。4章立て
ころこ
2024/10/20 20:54

で、レドリックが収監された間の第3章だけ、ヌーナンが話者になる。後半の会話において設定の全体が明らかになるのは、決してレドリックの妄想などではなく、科学的な背景を明らかにすることで、本作がSFだということが明確になる。しかし、よく分からないものに魅入られて、惹き込まれるというのはまさにホラーであり、フェティシズムの行き着く先を批判した寓意にもみえる。忌み嫌われる存在を主人公にしたのも、科学技術の礼賛でないことは明らかだ。冒頭の引用にこうある。「きみは悪から善をつくるべきだ、それ以外に方法がないのだから。」

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ころこ
絶望の、もっと絶望の先に希望が見える。鬼と一緒に見る森の静謐さは王蟲とナウシカの世界観に近い。小さな子供たちを預けたママが今となっては敵か味方か単純に区別できないように、鬼の中にも自分たちと同じ生活形式を持つ者がいる。本作で少し疑問なのは、言語で会話が可能な鬼の中に、人間を捕食者とみなす種類と社会の構成員だとみなす立場があることだ。作中では宗教上の問題だと説明しているが、会話が可能ならば概ね生活形式が一致しており、それならば気持ち悪くて人間を捕食しないのではないか。
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ころこ
『かかとを失くして』三島由紀夫『太陽と鉄』で、言葉は身体に対する言葉の腐食作用によって機能するというようなことが論じられていた。言葉は身体性を伴うが、身体の全能感はむしろ言葉を損ない、身体の不全感こそが言葉を生み出す。腐食作用は世界に対する諦めから始まり、超越性に代わり言葉の世界を獲得する。かかと(身体)を失くす(腐食される)ことにより、言葉により描かれた世界は立ち現れる。かかとを失くすことは前に進めなくなってしまうことなのか、新たな発見の呼び水なのか。本作を読んでもどちらかはっきりしないという印象なので
ころこ
2024/10/18 19:30

はないか。外国語は言語の可能性と、使用の困難さによる不可能性との間にある。書類結婚とは、性愛関係をつくらずに婚姻関係をつくるという関係と無関係との間にある。『三人関係』三角関係は性愛関係だが、性愛関係のようにどこに「熱」(焦点)があるか分からないようにわざと書かれている。物語を立ち上げるのは予測可能なストーリーではなく、聞いた話を語る第三者の機能だけあれば小説は生まれる。谷崎潤一郎『吉野葛』、丸谷才一『樹影譚』と同じ試みにみえる。他方で、作者の意識的な態度が気に入らないという読者は一定数いるのではないか。

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ころこ
書棚にあった本。インタビュアーは立花隆だが、やはり表面的というか、勘違いしているのに埴谷が適当に付き合ってしゃべっているという印象だ。巻末の年譜に「ツルゲーネフ『オネーギン』を読み」とあり、昔の本も校閲していないどころか、基本的な知識に欠けたひとたちが本をつくっていたのだなと思った。
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ころこ
『性的人間』人物相関が複雑で、紙に書かないと理解できない。書かれるのは年齢と職業、それと性的関係だ。血縁関係も性的関係だとは言える。だが社会的な関係を結ぶ上で、血縁関係(対抗価値として登場する漁民)と他者との性的関係が同列に並ぶことは、この時代なら尚更おかしい。そもそも性的関係が他の人間の活動と違う、が敢えて同列視してみることの奇妙は少年時代に抱く観念だ。作者はそれを言葉にして、何度も確かめるように書いている。後半は倒錯した関係が極北に行く。「痴漢は、ホモ・セクシャルよりもっと反社会的だ。」図らずも痴漢と
ころこ
2024/10/15 23:48

ホモ・セクシャルは当時と現在で社会のとらえ方が最も変わった。「いまかれにとって友人という言葉が正当に喚起する実体は死んだ少年と、いまも雑踏のなかを孤独な痴漢として彷徨しているはずの老人だけのように思われた。」『セヴンティーン』自涜の罪悪感から解放されたが、彼は何かに囚われている。日本は戦後に解放されたと思ったが、アメリカに囚われていた。父と兄が家父長的でなく(アメリカ民主主義)、姉(自衛隊)がその代わりを果たす。主人公と社会の鬱屈がシンクロしている。主人公の個人的な問題を、今度は政治的に解決しようとする。

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ころこ
田中功起の連載で、再演とは参加者や時代や場所を相対化することで、その出来事を現在の文脈に置き直すことによって批評性を獲得する方法という定義をしている。なるほどその通りだ。巻頭では東浩紀の平和についての一連の論考の続きがある。ウクライナ戦争後、平和を守るためにこそ銃をとるべきだという機運が高まっているときに、東の脱構築は平和を政治的思考の停止の場、平和ボケの場をつくることによって真に政治的に平和を考えるということを試みる。今回訪れたボスニア・ヘルツェゴビナとセルビアは冷戦後に分裂と紛争が起こった地域だ。現在
ころこ
2024/10/14 11:29

のウクライナと重ねていて、このときに国際司法裁判所が設立されたことと、他民族の混住から民族ごとに住み分けのための隔離が行われたことを指摘している。戦争犯罪人となったプーチンは、果たして政治的な妥協をすることができるだろうか。後者の問題は難しい。多民族共生の平和が本物で、隔離の平和は偽物だといって良いのだろうか。ここはまず、偽物の平和について考えるべきではないか。真の理想は一歩間違うと危ない。人類はあえて「かのように」振舞うことによって社会をつくってきた。ここに平和ボケと通底する哲学的技巧が使われている。

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ころこ
敵だったものが味方になり、味方だったものが敵かも知れない。敵・味方がはっきりした世界こそ、どういう状況で敵になり、あるいは味方になるのか分からない。なぜなら、相手は私のゲームのキャラなどではなく、相手もこの世界のプレーヤーだからだ。敵だった者と協力関係を築く間に、少しずつ外の様相が明らかになる。その立場の者が知らない、ということも外に関する重要な情報だ。
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ころこ
「告解者にして裁判官」とあるが、重要なのは言うまでもなく裁判官の方だ。偽善を告白することで悪を捏造し、審級になってしまえば、あとは相手を裁くだけとなる。現在でも、少し前は政治系の討論番組で、現在ではSNSの泥試合で使われている。解説にあるように、本作のモチーフがサルトルとの間で交わされたのは政治的な立場の違いについてだというのはむべなるかな。タイトルの転落はまずは溺れる女、一人称話者クラマンス。そしてこの詐術に陥った一人称の聞き手である読者というオチが本作の持ち味だ。
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ころこ
著者の本には初学者のために読み易い本があるが、本書は出版社のレーベルで読み易くしているのだろう。文字が大きく、短文で、誰でも読める。こういう本の良いところは、著者がレトリックで誤魔化せないということにある。読者の理解を促すことが、著者がどこまで理解しているか試されることになる。以前の対談本『げんきな日本論』で論点になっていたのは、非欧米圏で唯一、近代化に成功した日本の秘密のひとつには、江戸時代にあるというものだ。幕末の反幕運動のスローガン尊王攘夷の思想的な源流は、最初に登場する水戸光圀から始まっている。本
ころこ
2024/10/11 20:03

書は12人の思想家を取り上げて、日本の近代化を胚胎していた江戸時代を描いている。熊沢蕃山、荻生徂徠、本居宣長と数人並べれば想像できそうなラインナップだ。同じ問題に取り組んだ丸山眞男の本が著者にあるが、本書の方がはるかに読み易い。江戸時代の学者のどこに注目するかというと、思想そのものではなく生き方である、というのが著者の考えだ。したがって、思想が難しく書いてあるというよりも、その人物の生涯が書かれている。当時は学問をする余裕など誰にもなく命がけだった。それでもなぜ彼らは学問をしたのかということに迫る。

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ころこ
孤児院を一歩外れると荒野だという設定は、最も身近な見方が内通者だったという形で、同じ構造として繰り返されている。ノーマンとレイがゲーム理論のように状況に応じた利得の取り合いを行っているが、それは実際には疲れる。最も楽で、じつは結果的に利得が得られるのは、エマのように一旦ひとを信じることをしてみることだ。相手との駆け引きは、結局、相手にその気が無くても抜け駆けの誘因を与えることになり、その相手とは長期的な信頼は築けないことに、やってみると気付くことになる。
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ころこ
第7章は前半にあれだけ固有名を連呼していたはずが、一人称の話者が誰か分からなくなっていく。これはあくまで小説だが、小説である必然性が乏しい箇所が山場とは、いよいよ破綻していることを認めざるを得ない。水のイメージから津田夫人の肥った表象が登場するのだが、水死体を意味するのではないかと想像する。作者はユーモアのつもりなのだろうが、三輪与志や黒川建吉が影の長さから長身だと描写されるのとは対照的なので、自らの衰えに対する自己防衛的な幼稚さ(女の子をイジメる男の子)の表れではないか。
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ころこ
思想が建築の隠喩によって組み立てられているため、建築と思想は相性が良いし、社会インフラをつくる建築家が思想を語ることが社会から求められているのだろう。レム・コールハースのS・M・L・XLに代表される発展段階的なボリュームの建築を、点・線・面に漂白された日本的な視線で分解し、著者の仕事の実践が第2章から思想と共に論じられている。第1章は「方法序説」と名付けられた著者のエッセンスだが、言葉が硬い。無理をしているのは明らかだが、建築家がどの様な分野の言葉を近接して考えているのか発見がある。
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ころこ
思いのほか外界の描写が多く、内面の描写は少ない。ロマン主義とは、発展段階があったならば近代化の途上で歴史的に必ず通るものであり、そこがフランス革命であり、日本に輸入されたときに明治の近代化と言文一致の時代的な必然だったということだろう。したがって訳文と共に受容され、受容された時代の文脈でいま読まれていないのも必然だ。訳者はロマン・ロランも訳していたことからも容易に想像がつく。
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ころこ
平穏な生活の意味があるきっかけで反転して、悪意に満ちた囚われの身だったことを悟る。壁の外に本来の生はあるのか。『進撃の巨人』に似た設定で、外に対する野心の無いカズオ・イシグロ『わたしを話さないで』とは異なる。『進撃』は壁の内側に閉じこもる方が合理的だ。しかし脱社会の意志によって、新たな外の世界の意味を知る。他方で本作は社会を維持するために脱出を試みている。エマは能力の高い3人だけ生き延びるのではなく、全員の脱出を試みる。社会を守るためにこの世界を飛び出すので、ゲーム理論の様にプロットがこじんまりしている。
が「ナイス!」と言っています。
ころこ
著者を前後半で変えることによって、政治的な意見によってバイアスが掛かりそうなテーマを、事実は事実として伝えることによって読者の間口を広げることに成功している。前半の事例で、中国の監視社会が国民に不満を抱かせずにそこそこ上手くいっていることに驚く。後半では、西洋的な価値の絶対性に対する暗黙の前提が、テクノロジーの発展がそれを相対的な条件に変質させたことの思想的な意味を考察している。第5章では、西洋型は「私」の上に「公」をつくることを「市民社会」というが、中国では「公」と「私」が「天理」の思想により予め分離さ
ころこ
2024/10/05 23:57

れているので、強権的なパターナリズムになってしまうという整理がなされる。第6章の吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』の読解が見事で、凄いことが書かれているのではないかともう一度、第5章から読み直した。この2つの類型を徹底的にテクノロジーで解決しようと試みているのが面白い。「市民社会」とは大澤真幸のいう第三者の審級であり、メタ合理性とは偶有性のことだと直感的するが、その言い方ではそれこそ西洋が上から押し付けているだけで、構造はレベルが異なるだけで万事が変わらず分かり合えないということに気付く。

が「ナイス!」と言っています。
ころこ
カント『純粋理性批判』に無限判断という言葉が出てくる。無限判断とは、存在そのものを一旦否定する(存在を神に預ける)ことによって、否定性が逆説的に更に強い肯定性を獲得することだ。虚体について「-その耐えがたさはどのくらいなのだろうか。-無限大といっても好い…」と第1巻の第3章にある。本巻では第5章で超越性へと無限について、革命とその行動中に起こった『悪霊』を思わせる仲間割れのような描写、『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」のような対話形式の宇宙論とも言いようのない無限と存在についての思弁が続く。この2つの章
ころこ
2024/10/05 19:04

から作者の目指したものは無限判断の存在論だったということが推測できるようになる。三輪高志にとって革命とは、他者に働きかけて社会を変えることではない。「存在の革命」と言っている通り、自らの存在が虚体であることを遡行的に見出すことであり、虚体を目指して何かを行うわけではない。登場人物がことごとく何もしない人たちだということにそろそろ気付いてくる。文体も同様に、言葉を連ねるが文章の終わりを先に引き延ばすような、それら文章の先にある結論めいたものも、文章を連ねることによってかえって遠ざけているような印象すらある。

が「ナイス!」と言っています。
ころこ
実務力と実行力に乏しいが、自意識だけが肥大して妄想ばかりが先行する。もどかしさが溜まる自分と社会の関係が敵対的にみえるのは誰しも起こり得ることであり、時として社会に対する正当なアプローチの原動力になることがある。しかし、若者の中には絶対的な矛盾だと観念的に思い込み、性急に処理しようとして失敗する。「私は私である、という表白は、如何に怖ろしく忌まわしい不快に支えられていることだろう!」はカントの分析判断と総合判断から存在論を導出しており、男の子がいかにも好きそうな文章だ。意匠が陳腐で今読むと古色蒼然としてい
ころこ
2024/10/02 19:21

て、むしろわざとパロディを演出しているのかと錯覚する。ドストエフスキーに影響を受けているのは明らかだが、ロシア人の長い名前に影響を受け、呼称がフルネームな表面上のことに留まっているくらいではないか。物語性が薄く、会話だけで成り立っている。三輪与志、首猛夫、黒川建吉たちの間の会話は作者の中の深夜の妄想そのものだ。男の子は同じ妄想を抱くため、イタいことに気付かない。世代の違う津田夫妻、三輪夫人との方が、中身が無いが会話が成立している。ヒステリーと簡単に女性を表象してしまうところに作者の限界をみた第1巻だった。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2016/03/01(3191日経過)
記録初日
2016/03/01(3191日経過)
読んだ本
2715冊(1日平均0.85冊)
読んだページ
797373ページ(1日平均249ページ)
感想・レビュー
2433件(投稿率89.6%)
本棚
9棚
性別
現住所
東京都
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