忘れてはならないだろう。本書では生活者が当事者性を忘れてしまう根源的な原因については踏み込んでいないが、その議論に踏み込む為には本書の様な理解が前提になるだろう。「民族共同体」なる言葉について本書を読む前から薄気味悪さを感じていたが、それは本書の指摘する「包摂と排除の両立」よりは自分がなんとなく「排除」側にいると感じていたからだろう。逆に包摂を求める人は当人が「包摂」側に勘定されると思っているのかも知れない。あるいは当人が「包摂」される為に「排除」を正当化するのかも知れない。それこそが恐ろしいことである。
製造業。元は鋳物屋で今は分析屋。製品の加工、製品の開発・設計、CAE、鋳造技術改善を経る傍ら、必要に迫られてコツコツとデータ分析技術を磨く。現在は鋳物を離れて研究開発部門で細々と分析屋を専任。実験計画法から分析技術に入ったので、"ITな世界"が苦手。なので、恐れ多くて"データサイエンティスト"とは名乗れない(名乗る気もないが)。勿論ユニコーンではないし、セクシーでもない。くたびれたおじさん。
分析技術を得る為の手段として読書をしている。それだけではなんなので、多少でも視野が広がる事を期待して、分析関連以外も読む様にしているつもり。思想的には最近流行らないリベラルより。技術屋だけど理系では無く、実は芸大出。
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忘れてはならないだろう。本書では生活者が当事者性を忘れてしまう根源的な原因については踏み込んでいないが、その議論に踏み込む為には本書の様な理解が前提になるだろう。「民族共同体」なる言葉について本書を読む前から薄気味悪さを感じていたが、それは本書の指摘する「包摂と排除の両立」よりは自分がなんとなく「排除」側にいると感じていたからだろう。逆に包摂を求める人は当人が「包摂」側に勘定されると思っているのかも知れない。あるいは当人が「包摂」される為に「排除」を正当化するのかも知れない。それこそが恐ろしいことである。