読書メーター KADOKAWA Group

読書グラフ

3/263/294/14/44/74/104/13445226445695446164446633447102447571448040ページ数121812191220122112221223122412251226122712281229冊数読書ページ数読書冊数
フェードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(7)芥川 龍之介(4)夏目 漱石(4)ドストエフスキー(3)猪木正道(2)ジョセフ・C. グルー(2)チャールズ・テイラー(2)ジョルジュ ソレル(2)マックス ウェーバー(2)バルザック(2)23%フェードル・ミハイロ…13%芥川 龍之介13%夏目 漱石10%ドストエフスキー6%猪木正道6%ジョセフ・C. グル…6%チャールズ・テイラー6%ジョルジュ ソレル6%マックス ウェーバー6%バルザック著者グラフ上位10名
もっと見る

最近の感想・レビュー

データの取得中にエラーが発生しました

最近の感想・レビューはありません

てれまこし
新着
音楽理論に通じない者にはついていけない内容だが、ウェーバーがこんなものを書いたのは趣味以上の理由がある。「合理化」とは資本主義経済や官僚制の発展に止まらない西洋文化全体にわたる傾向で、宗教や音楽も例外でない。西洋においてだけ合理的な音楽(和声中心の音楽)が生み出された。それは何故か。やはり宗教と音楽の合理化過程のあいだに並行的な論理が働いてる。宗教と同様に、まずは「達人」向けの玄人芸が発展するが、万人向けの理論の対象になってはじめて「合理化」が起こる。前者は世界的で起きたが後者は西洋にしか起こらなかった。
てれまこし

近代西洋音楽ではオクターヴを6全音と2半音に分割した。これでも不完全なんだが複数の音のあいだの調和を容易にするだけの合理性を備えてた。どうしてそれができたかというと、一つのは合理的記譜法の発明(ちょうど資本主義経済と近代的簿記法の関係に相当する)と楽器の発達が挙げられてるけど、根本的には「歌手」のメロディ中心の間隔的原理に対して、多数の声を組み合わせる「作曲家」のハーモニー原理が勝利したことによる。個別の実践的結果を無視して全体を調和させる視座を頭の中で構想してそれを実現しようとする人たちの勝利。

04/12 12:14
T. Tokunaga

てれまこしさん、日本でも合理的な音楽、すなわち能楽の謡などは現れているという認識です。能の謡って節といわれる一定のメロディがあるんですが、個々で声の質が異なる(殊に、近年は女性能楽師の進出により、多様化が進んでいる)ため、自ずとハーモニーにならざるをえないという計算があるわけです。

04/12 13:58
4件のコメントを全て見る
0255文字
てれまこし
新着
『作家の日記』第三巻。ロシアの帝国主義的拡張を熱烈に擁護するFD。西欧の内政や外交を現実主義的な視点からかなり正確に観察できる目をもっているにもかかわらず、ロシアにだけはそれが適用されない。ロシアだけは無私の心で迫害されるスラヴ同胞、そして人類全体のために奉仕してることになってる。その根底にはキリスト教的歴史哲学みたいのがあって、ローマの教権拡大論者の国際的陰謀が語られる。堕落したローマ教会と社会主義から西欧を救うのがロシアの正教。ヨーロッパ化した知識人ではなく、まだキリストの教えを保ってるロシアの民衆。
てれまこし

今日、プーチンがDSを国民的英雄として持ち上げるだけの素地があるわけなんだが、その陰謀論めいた政治評論の根底には、大地主化して大地や民衆から自らを切り離して、農民の肩におぶさりながら「ヨーロッパになり切れないロシアは終わってる」などと愚痴ることしかしらない知識人階級への反発がある。近代化に耐えうるくらいの民衆の主体性を見るところは柳田国男なんかに近い立場。しかし、民俗学的なものへの関心は高いけど、それが柳田のような人類学・人間学的広がりをもたない。贖罪のため放浪する漂泊者をロシア固有の現象と思ってる。

04/07 16:58
0255文字
てれまこし
新着
ブロンクスの東欧系ユダヤ人の移民コミュニティに生れついた絵画の神童。だが偶像崇拝を厳禁する正統派ユダヤ教は見るべき宗教美術を育まなかった。学者は尊敬されるけど、芸術家には冷たい。神に見捨てられた世界に美を見いだすこと自体が不信心と見なされかねない。政治学修士号を持ち教団のカリスマ的な導師の代理として世界中を旅して教徒たちをオーガナイズする父は、勉強もせず絵ばかり描いてる息子を時間の浪費する愚か者、果ては悪魔の誘惑された者としか見られない。二つの伝統に板挟みになった主人公は苦悩するが、和解は不可能に見える。
てれまこし

著者はポーランド出身のラビ(トーラー学者)であるが、小説家でもあり画家でもある。おそらく、主人公のように二つの伝統に挟まれつつも、どちらかも切り捨てなかった。主人公もまたユダヤ教徒であることを捨てない。世界の苦しみや悲しみを色や形を用いて表現することもまた真理の追求である。その才能もまた神が授けてくれたものである。そう信じたい。

04/07 16:40
0255文字
てれまこし
新着
「代表」とは? ポピュリズムにおいてはこれが問題になった。既存の政府、政党、政治家は人民(国民)を代表してないというのがポピュリストたちの主張だったからだ。それで代表概念研究の古典である本書が再び注目を浴びたらしい。代表(representation)の語源はラテン語だけど、ローマ人たちはぼくらが使うような政治的代表にも法的代理の意でもこの語を用いなかった。そうなったのは歴史的偶然なんだが、「代表」は多義的な語。しかし、代表に関するいずれの政治理論もそのうちに一面だけを切り取ってるがゆえに不十分なもの。
てれまこし

著者は政治的代表の枠を越えて日常で用いられるrepresenation の意味の解析に広げて多義的だけど無限定ではない意味を画定する。「代表とは代表されるものとは独立にそれに代って行為するもの」と「代表とは代表されるものの言いなりになるだけの代理人」という二つの極が考えるられるけど、ぼくらが通常「代表」というときには、代表するものと代表されるもののあいだのズレが前提とされてる。政治家が有権者を「代表する」のは、有権者たちをそのままそっくり再現するのでないし、かといってその意向を全く無視するわけでもない。

04/07 16:23
てれまこし

日本語だと同じ語根をもっていても文脈によって「代表」「表現」「模範的」「典型的」とか訳し分けられてしまうから、かえって統一性が見えにくい。re-presentとは文字通りには「再現」という意だけど、「今ここににないものを、今ここにあらしめる」という意で用いられるようになったらしい。「ないもの」を「あるもの」にするから代表という行為には主体性が含意される。なぜこんな語が必要とされたか理解に苦しむけど、推論するに勇気とか知恵みたいなイデーがあって、それが誰かの表情なんかに現れるのを指したんじゃないかと思う。

04/07 16:25
0255文字
てれまこし
新着
19世紀シチリアを舞台に山猫を紋章とする地主貴族の一族が没落していく話。革命とともに台頭するブルジョワと並んで後にマフィアとなる農園管理人みたいのも出てくる。身体的必要を満たす苦痛をまったく知らず、数学が得意だが家計には無関心、邸内に天体観測台を具えて小惑星の発見者として欧州中に知られてるサリーナ家当主ファブリーツィオ。自らの欲望に忠実な暴君でもあるが、イエズス会士が家庭祭官として住み込んでもいる。革命を支持はしないが抵抗もしない。心の底では蔑んでる新興ブルジョワ勢力家の村長と姻戚関係を結ぶのも厭わない。
てれまこし

だが、それは近代的な精神をもつ柔軟な進歩派であるからじゃない。外国から何度も侵略され支配層が変わったシチリアは、経済社会のレベルにおいては太古から何も変わってないし、これからも変わらない。自分たち一族の地位はそうしたシチリア的宇宙の秩序の一部。そう信じてる。だから革命とも新興階級とも鷹揚に妥協しえた。こういうプロテスタンティズムなんかとは正反対の世界観をもった人々がいたんだな。南伊は特に経済格差が大きいところだが、どうやらこうした不平等がクローチェのような自律的な知性を育てたんだ。

04/01 10:08
てれまこし

そうした貴族階級の末裔の一人である無名の作家が書いた懐旧的で反動的とも言えそうな小説が、彼の死後に出版され、戦後のイタリアで人気を博し、ヴィスコンティによって映画化された(ヴィスコンティ自身が貴族出身だ)。1980年代にはイタリアの一番好きな小説の第一の座も獲得してる。不思議な現象だが、民主化というのはイタリアでもちょっと胡散臭いもの、多分貴族に代わって俗物が支配するようになっただけという感覚が民衆のあいだにもあった。加えて中産階級も成熟すると、その娘息子たちの間に貴族趣味に惹かれる者が出てくる。

04/01 10:18
0255文字
てれまこし
新着
大正2~5年、『行人』連載から絶筆となった『明暗』を書いてる時期。仕事で一応小説は書くけど、書画や骨董品集めなど高等遊民的生活を楽しんでる。もう文学にはあまり期待してない。だが一方で、『草枕』のような過去の高等遊民的作品は完全否定されてる。矛盾があるようなんだが、痔や胃病に苦しめられ寝たり起きたりで、いつ死ぬかもしれないという自覚がある。そして、大患の神秘的経験から死は恐れるものというより、狭い自我から解脱と結びつけられてる。大患を経て求めるものが、いわば中国読書人風教養から仏教的悟りへと変わっている。
てれまこし

この時期は手紙も挨拶や事務的なものが多くなって、あまり長い手紙を書かなくなってる。自分の作品を他人にわかってもらうために言葉を尽くそうとしない。小説は半分は仕事、もう半分は自分の修業のために書いてる。漱石の「自己本位」はまずは文壇の評判とか読者の興味に左右されないということ。弟子たちとのやりとりも突き離すような発言が多くなってる。最晩年には久米正雄や芥川のようなまだ文壇ズレしてない若手文士に親切な助言をしてるが、それ以上に漱石にとって意味があったのは神戸の祥福寺というところ若い禅僧の二人との文通。

04/01 09:29
0255文字
てれまこし
新着
「人格」というのは西欧文化の鍵概念の一つだが、輸入されただけでぼくらにはピンとこない語の一つ。ラテン語では元来役者の被る「仮面」を意味したが、ここから「役割」、さらにはスコラ哲学の影響で世界で与えられた役割を演ずる「人間一般」という意味が生じてくる。また裁判のドラマにで役を演ずる「権利義務の保有者」という法的な意味も生じた。ここまでは解る。だがキリスト教でたまたま父・子・聖霊が神という一実体の三つのペルソナ(位格と訳される)と規定され、これが人間の人格概念にも波及したらしい。肉体と魂の二本性の複合的実体。
てれまこし

人格とは神性と人間性という二つの本性を束ねる単一で統一された個的実体。実体とは他に依存せずに自身において存在する単一かつ統一された存在だから、どうやらこれが近代個人主義の「個人」へとつながっていく。人格概念の歴史も、広い意味でギリシャ・ローマの伝統とキリスト教の伝統の混淆の一事例で、一つの領域における語彙の意味の転移が他の領域まで波及していったものらしい。西欧言語でもかなり多義的な語なんだが、日本語体系(少なくとも日常離される日本語)においては意味確定が未完成だ。だから慣用句以上には使いこなせない。

03/29 10:33
てれまこし

神学上の人格論は自分にはチンプンカンプンなんだが、これを理解しないと近代の個人主義も理解できないし、「自我」とか「教養」なんていう言葉も理解できないのかもしれない。著者はカントの人格主義から出発した人で、どうもぼくらの(人格主義的)人格観の直接のご先祖はカントやヘーゲルあたりみたいだな。自分にとってはあんまり難しいからうんざりさせられる分野なんだが、まずそこから勉強し直さんといかんらしい。

03/29 10:40
0255文字
てれまこし
新着
邦訳は予約に行列ができてるが英語版が空いてたのでそっちを借りた。ハリウッド映画みたいな小説で二時間くらいで終わってくれるとありがたいんだが、千頁を超える大著。特に烈火のごとき長ーい説教が繰り返されるのには参った。だがこれが本書を清教徒たちの末裔たるアメリカ産業家たち、そしてグローバル時代の世界のリバタリアンたちの『天路歴程』にした。金儲けしか頭にないような「卑猥なくらいの金持」こそ理性を有し思考する最良の人間。人類の闇を照らす光であり、野蛮の深淵から引き揚げる救世主。彼らがストを起すと文明は野蛮に戻る。
てれまこし

混沌、無秩序の自然に人間の精神を刻印しその内容を実現したのが文明。これをするのが理性だが、理性を受け入れる者はごく少数の選ばれた者だけ。あとは救いようがないし、救えなくても救えない。勤勉、節約、慎慮といったプロテスタント的禁欲派、ニーチェ的な生命主義で緩和されて、生の喜びも肯定されてる。だけども、彼らの恋愛は妙に潔癖。チェルヌイシェフスキーの『何をなすべきか』みたいに、自分の愛する女でも嫉妬なしに他人に譲る。同じだけの価値をもつ者同士がそれを交換するの愛で、これがつり合わないとどちらかが依存する関係になる

03/26 18:21
てれまこし

ちなみに全体主義の衝撃から生まれたディストピア小説であるが、他のディストピアものとちがって、山上のユートピアも準備されてる。だけどもこのユートピアはそんなに遠い理想ではない、かなり世俗的なもの。国家がな市場だけの社会で、金本位制を採用していて、「$」が国章。要するにニューディール前のアメリカ。清教徒の末裔(と移民。著者自身も移民)の多くにとっても、全体主義に包まれていく世界において、アメリカは世界で唯一まだ完全に堕落してない特別な丘の上の御国だった。

03/26 18:47
3件のコメントを全て見る
0255文字

最近のつぶやき

データの取得中にエラーが発生しました

最近のつぶやきはありません

てれまこし
新着
若いころの漱石は学歴エリートではあったが、劣等感が強く内気な青年。優等生だったが、卒業しても田舎の英語教師くらいにしかなれない。で世の中を恨んでいるんだが、自分に自信がないから腹をくくれない。そんな漱石がいかにして「人格者」になったのか。 エラくない「金ちゃん」は いかにしてエラい「漱石」になったか(漱石ノート㈡) https://note.com/telemachus/n/n5dde5778a5fe
0255文字

読んだ本
1227

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2017/09/03(2780日経過)
記録初日
2015/10/02(3482日経過)
読んだ本
1227冊(1日平均0.35冊)
読んだページ
447901ページ(1日平均128ページ)
感想・レビュー
983件(投稿率80.1%)
本棚
1棚
自己紹介

フォロバされるのがいやな方もおられるらしいので、自動的なフォロバは中止しています。フォロバを希望される方は一報ください。

読書メーターの
読書管理アプリ
日々の読書量を簡単に記録・管理できるアプリ版読書メーターです。
新たな本との出会いや読書仲間とのつながりが、読書をもっと楽しくします。
App StoreからダウンロードGogle Playで手に入れよう