後藤又兵衛その生き様って感じの話。まぁ史実も講談の話なんかもいいとこどりして進んでるんだけど、やっぱり主人公だから、又兵衛アゲの長政サゲになってはいる。ウィキペなんか見ると、この又兵衛致仕の件に対する長政の項には、長政の嫌いな細川その他の大名と親し過ぎる上にそれについてヤメロつったのにいうこと聞かないから馘首にしたってことにはなってるんだけど、まぁ言うこと聞かないってのは主君を軽く見てるって点とか、他藩の人間との交流は情報の漏洩に繋がるから、まぁ分かるんだけど、当時の戦国の風習として、
君主足らざれば臣足らず(江戸期の忠孝徹底の足らざるにはなってないw)で、気に入らないなら仕えないってのは真っ当な理由で、体育会系ブラック企業徳川通商の色にはまだ時代が染まってないワケで、ソコは赤っ恥かかされたから奉公構いしたくなるのも分かるけど、他家に仕えるのを執拗に妨害したりはさすがに小物感出し過ぎで、官兵衛がセガレの胆の小ささを嘆くエピソードに沿い過ぎでしょwという感じなんよね。そういう長政の拘りとかBL臭えなぁなど思わなくもなくw
あと隠密廻りのアンチ南蛮クソヤロウは、何で南蛮塩水配布の時は来なかったの?取り締まれよwとかちょっと思った。装置としてのキャラ位置で、多分、この後徹底的に敵に回るのか、家族(親、妻、子供)の命の危機に際して南蛮憎悪がどう出るかとかまだ先の展開決めかねてるのかもだけどさ、ちょっとね、死にフラグ立てるために出すだけのもどうかと思ったのよねぇ。
屈原と道真を対比するのは面白いけど、屈原の絶望と道真の絶望はその深度も質も明らかに違うので、作品上意図的な誘導演出なんだろうけど、屈原が自らのイケなさに絶望して死んだみたいな弱虫扱いは違うよね。王から遠ざられ左遷されても尚諦めず諌止を繰り返し、それにも拘らず王は佞臣に従って敵国に幽閉され首都は陥落し祖国の前途はもはやなくなったってのが屈原の絶望で、腐敗貴族仲間連に出る杭垂れてケツもち法皇もにも見放され一族郎党左遷されまくって僻地に配流ってのが、道真なワケなんだし。
ソレが良くも悪くも「新」になった時に、佐伯さんの特色のおっさんずキモドリームに収斂して改悪されたのは、本当に残念だったね。青春グラフィティなら、政司やしほの凡ミスがあってしかるべきなんだけど、ソコが多分描かれないだろうってのも、良くも悪くも佐伯カラーなんだろうね。だからこそ、面白く読めるし、だからこそ物足りないというか。個人的には。「もう済んだ」政司のエピソードよりも、これからあって欲しい亮吉と彦四郎のエピソード読みたいね。
何で池波司馬藤沢作品の主人公が愛されるかつったら、やっぱ「ちゃんとダメなところもある『人間』」てのが大きいと思う。キャラキャラしてない部分はやっぱ大事よ。
クソヤロウの自業自得とはいえソコまでするかい?っていうのとか、他で騙されて自殺した人の分まで復讐する必要はないし、それに巻き込まれたクソヤロウの半グレ仲間にしたって死んで当然てこともねぇだろうよ、と。血の雨降らせて最後ナイス海人マンと後妻結婚してメデタシメデタシで地固まるは、ナンダカナーとは思うでしょうよwっつーか。あと、タイトル料理瞬殺プレイが面白くなってきちゃったのは問題だと思う。
こう、クソヤロウ共はもっと惨めに残酷に無様に死にさらせと思ったけど、まぁ復讐の話は自業自得とはいえ、復讐者だって所詮同じ穴の貉だったんで、そんなゴミカスチームの悪事に巻き込まれた無辜(フツー)の人々の怒りや悲しみはいかばかりかという感じなんで、逆に死んでキレーさっぱりってのは、あまりスッキリはしなかったかなぁ。ソコは前巻もそうだったんだけど、悪人は法的且つ社会的な制裁を与えられる方が納得感はあったよね。
あと、だんだんキャラが活きてきてるんで、カールの小ネタがかなり利いてて結構クスリが多かったかな。アサドの頭に適当な布を乗せるとアラファトにそっくりになるとか爆笑した。あと、まぁ、カールの女の趣味悪いよねw
だらだらだらだらだらだら~
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屈原と道真を対比するのは面白いけど、屈原の絶望と道真の絶望はその深度も質も明らかに違うので、作品上意図的な誘導演出なんだろうけど、屈原が自らのイケなさに絶望して死んだみたいな弱虫扱いは違うよね。王から遠ざられ左遷されても尚諦めず諌止を繰り返し、それにも拘らず王は佞臣に従って敵国に幽閉され首都は陥落し祖国の前途はもはやなくなったってのが屈原の絶望で、腐敗貴族仲間連に出る杭垂れてケツもち法皇もにも見放され一族郎党左遷されまくって僻地に配流ってのが、道真なワケなんだし。
そこから怨の一字でってのイメージを払拭したのは、この話の軽さといいイメージだけども。