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ラストはそのまま、本編は田中の妹が想像で再現した釈華だったんだと思います。釈華が残したツイート、コタツ記事、TL小説、Evernoteなどから想像で再現した。作中にコルバン『身体の歴史』の話が出ていることも示唆的で、彼は村の出生記録から無作為に選んだ男を当時の行政資料や社会情勢などから想像でよみがえらせる『記録を残さなかった男の歴史』を発表しています。釈華の固定ツイ通りに娼婦となり、Twitterアカ名である紗花を源氏名とした彼女はいずれ、釈華の物語を小説にするかもしれない。それはきっと救いなんです。
ラストが賛否分かれていますが、必要だったのだと思います。基本的に作品と作者を同一視してしまうのは不誠実です。創作と現実は違う。しかし、重度障碍者が書いた重度障碍者の小説、である本作品を見てしまうと、人は容易に主人公と作者を重ねてしまいます。すると創作である小説と、現実の作者の距離が近づきすぎて、批判しづらく評価せざるを得ない状況になります。これは被爆者でありながら被爆小説を書いた林京子のことを、中上健次が原爆ファシストと称したことと重なります。作者はそれに自覚的で、最後に自ら誠実に距離を取ったのでしょう。
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