昔から人が「人外のもの」と考えるものってなぜか憎めないものが多い。むしろ「死者」のほうが怖い、というのは「今昔物語」…あるいは「日本霊異記」あたりからのお約束ですねえ…
『べらぼう』美しさだけでなく、吉原で働く遊女たちの苦しみやつらさがいつもさらりと出てきて、本当に脚本うまいわ…大河ドラマって戦闘シーンなくてもこれだけ面白くなるのか〜当時の人気本を現代訳にしたの読んでみたい…
これなんてどうでしょう。付録の『江戸生艶気樺焼』目当てに「サライ」と言う雑誌を購入してしまいました🤣 まだ全部読み終わって無いですが………🌠
伊歩ちゃん、意外とあっさり雪風から降りてちょっとびっくり。もうちょっと零も抵抗するかと思ったけれど…成長したんなあ…とちょっと感慨深い。1作目を読んだ当時は零は年上だったのに、今は遥かに年下だもんなあ…「零と仲良くしてくれてありがとね」って伊歩ちゃんや桂城くんに握手したくなる(笑)でも、ジャム戦、いいところで終わっちゃった。続きは何年後かな~昔、ボージャー何号だかの宇宙探索で、「人類は宇宙の彼方に向かって、こんにちは…というメッセージを出して宇宙を移動しています」っていうのをどこかで読んだのよね。
その時に、「宇宙人が地球人の言葉なんてわかるわけがないのに、ナンセンスだわ」と思ったの。でも、雪風シリーズを読んでいると、相手が誰であれ、「言語」というものが「なんらかのコミュニケーション」を求める手段であるとわかれば、それを「理解」しようとする「意識」をもつもの、というのはどこかにいるのかもしれない。それがタコ型宇宙人であろうとも、ネコ型であろうとも、「意識」があるというのはそういうものなのかも。神林さんのSFは「言葉」による思索SFなので、広がる世界が本当に楽しい。来月はもう一つ文庫がでるので待つ。
ドラマで出てきた『金々先生夢栄華噺』は恋川春町作ですが、この雑誌の付録には『江戸生艶気樺焼』の超訳が。この本は当時ベストセラーになったそうで、山東京伝作です。蔦重も後に彼に書かせた『箱入娘面屋人魚』という本を出版し、これも大当たりします。粗筋だけでも面白い。この機会に当時の人気黄表紙の超訳アンソロジーとか出してみたらどうかしら…やがて幕府の発禁処分をうけて黄表紙本のブームは去ってしまうのですが、矢継ぎ早に出していく手法がさすがですね。浮世絵の時代の蔦重も楽しみなので、これからワクワクしながら待ちましょう。
神林さんの「時間」の考え方も好きなんだよねえ…神林さんの作品には古典的な意味での「タイムスリップもの」が出てこない。「人間」は過去、未来は「時間の流れ」としか認識できないけれど、機械は違う。「時間」というのは、「たとえいつであっても」、あくまでも「ある一点」である、というのが前提だから。そして私の嫌いな(笑)量子力学を一刀両断にしてくださってありがとうございます。「わからないものをなんでも量子力学にするな」。大賛成であります(笑)
今思い出しだが、この「ジャム人間」の描写がどこか既視感があったのだが、『死して咲く花、実のある夢』だった。「死」とは何かを考えてさせてくれた名著(笑)。「死とは元の世界とコミュニケーションが成立しないこと」「意識があるから脳は死んでいない」「われ思う、だから死んでない」という理論が展開する。「脳が死んでもなお意識が存在するなら、脳というもの自体が仮想であり」「生死の境は曖昧である」。ゾンビくんでも「自分は生きていると思う限りは生きている」ということになるのでメイル中尉にはまた会えるかもしれない。
おそらく、人魚伝説は「ある一つの事象」から語りつがれたものではなく、謎の魚→天災、津波などの記憶→不老不死のお話→江戸時代の脚色で完成された時代を超えた「作品」だと思う。西洋のバンパイア伝説みたいな感じ。だから時代を特定する意味はあまりないと思う。朝倉氏と沖縄の関係はスルーしていたのはなぜ?竹生島は朝倉氏が援助をしていたところなので、もう少し掘り下げてもよかったのにあっさり終わりになったのはなんでだろう?それから蜃気楼を生み出す「蜃」は蛤の怪物って説の方が有名だと思いますよ…読むのに疲れた…
「青はラピスラズリを砕いたもの」というのはよく知られているが、砕くだけでも大変で、その後もさらに工程があるとは知らなかった…「昔の人はそうまでして青色が欲しかったんだね」という言葉に深く同意。マヤブルーの作り方や、浮世絵のベロ藍もすごいな~埴輪ってもとは色が塗られていたんですね。青で塗られた埴輪って綺麗だろうなあ…「忘れられた青」の話も面白かった。錬金術でつくられた「青」ってだけでドキドキしますねえ。古い絵本の挿絵調の挿絵も良かった。
フィクションという形で、「中華人」と「日本人」という立場からの視点には戦争当時の日本への憤りを感じる。明治から昭和の前半にかけては、中国からの人達が日本にもやってきていたのに、どこで日中関係は狂ってしまったんだろうなあ…先日読んだ『裏路地の2.26事件』では相沢事件を取り上げているが、この時殺害された永田鉄山は「中国の制圧」を主張している。こいつを殺しても歴史は変わらなかったわけだ…中学校の時は、先生の歴史書を読むことはできなかったけれど、今にして先生のミステリを読みながら戦前史を勉強している…
先生ミステリは「密室」ネタがお好きなんですねえ。私は、ミステリではHOWはあまり重視しないほうですが、先生の歴史知識いっぱいのトリックに「へえ」と思ってしまいました。一つだけムガル帝国、シャーザハーンの時代のミステリ「獣心図」がありましたが、これは面白かった。思わず歴史を調べてしまった…
昔から人が「人外のもの」と考えるものってなぜか憎めないものが多い。むしろ「死者」のほうが怖い、というのは「今昔物語」…あるいは「日本霊異記」あたりからのお約束ですねえ…
因みにカフカのエピソードでお気に入りなのは、自分の執筆時間を確保するためにあえて公務員を選んだってところ。親父さんは典型的なユダヤ人(実家が肉屋で、商売に邁進)だったけれど、プラハという街で資産階級だったお陰で職業を選べたというのは当時としては素晴らしいことだと思う。
それにしても、こういう話(後書きでは、「シュルレアリスム的」と述べられているが)を、カフカやアイヴァスに「書かせる」のは、もしかすると、「プラハ」という街そのものなのかもしれない。だとすると、「謎の言語」というのは、街のささやきそのものなのかも。ああ、行きたいなあ、プラハ。
今や映画のみになってしまったNATOやKGBは本当にリアルだったんですよ…ドイツ統一後にドイツや、ソ連崩壊後のロシアに旅行しましたが、直後はみんなすごく表情が明るかった。でも今は…?また混沌とした時代がやってきていて、これから世界はどうなっていくんだろうなあ、と最近思います。少佐やミーシャが仲良くスパイ合戦してくれていた時代のほうが平和な気がしてしまうのは、私だけかしら…
死ぬまでには、「青の都」サマルカンドに行ってみたい。絵で好きなのは、フェルメールの「青いターバンの少女」フェルメールブルーはやはりデルフト焼きの青だ。そして、広重ブルーや巴水ブルー。絵の青はいい。手もとに置いていつでも見ることができるから。もう少し大きな版の本だったら、言う事なしだったんだが(価格を抑えるために仕方ないか)。
少し暗い気持ちになってしまったのは、東北の人の「優しい」「辛抱つよい」「無口」と評価は決して誉め言葉として使われ始めたのではなく、「吉原の遊郭の主人が」「遊女を探す時の条件にして」謂れ出したのだ、ということ。口減らしのために東北の少女たちが売られたのが、江戸の遊郭であり、食い詰めた男たちが行ったのが、佐渡の金山であったというのはよく知られたことである。今大河ドラマで「べらぼう」と江戸っ子たちが「文化」を享受できているのは彼女、彼等の「労働力」故かと思うと…土地の産物を搾取するだけでなく人としての誇りをも→
踏みにじられた「蝦夷」の人達に希望を与えることができるのはやはり「物語」の力であり、過去からの記憶であり、その歴史を一人でも多く人が知ることだと私は思う。高橋先生の「蝦夷」の物語の続きを待つ。
積読本を解消するためにせっせと本を読んでいるつもりですが、どんどん積み上がり中。紙の本が好きです。ミステリ、SF、歴史ノンフィクションが好きですが、なんでも読みます。最近は能楽にはまっています。書いている感想は、歴史的な考察、関連する他の本、趣味である映画や能などの伝統芸能の感想と絡めた雑文、長文です。
旅行記、能楽鑑賞録はnoteに投稿しています。https://note.com/shinonome55asahi
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「瀬を速み~」の歌も歌だけど、崇徳院って選択もすごい…日本三大怨霊の一人やん…きっとエリマキは、崇徳院の時代にはもういたんだろうなあ…