積ん読本がまったく片付かない… 2024年9月の読書メーター 読んだ本の数:36冊 読んだページ数:11213ページ ナイス数:600ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/981424/summary/monthly/2024/9
『骨壺のカルテット』。この中の耳鼻科医の先生の「皆様はご自分の声が喉から発せられると思っておられる。しかし心に浮かんだ言葉は、耳に棲むものたちによってこそ、音になるのです」というのが素敵だった。何かを見て「思うこと」を自分の耳の奥に棲まわせて、思い出すときには耳の奥でカルテットを奏でてくれたら…そんな「蒐集部屋」が私も欲しいね。そういや思い出したが、息子が小さい時、ポケット一杯のダンゴムシを拾ってきた時はびっくりしたなあ…生きているダンゴムシだったので、ひと夏飼いました…世話しているうちに可愛くなったな…
もう一つ思い出したのは、子供の頃うちの近くにもいつも見てくれる耳鼻科の先生がいた。昔の子供達が熱を出すのはほとんどが中耳炎だったから、今みたいに熱が出たら小児科内科に行くんじゃなくて、みんなまずは耳鼻科に行っていたな。さらに子供はアホだから、鼻や耳の奥に余計なものを詰め込むので、そういう時も駆け込んでたなあ。ちょっとした怪我も縫ってくれたりしたし、スーパー先生だったなあ。私の従妹はほぼ毎日のように耳鼻科に通っていたので、医者になりたいと志して、今や有名な(?)耳鼻科医です(笑)
人(日本人)は元来そうやって「生きて」来たのだろう。「死生観を基として仏教には時制があるが、そもとも生命の概念と無縁の神道には、過去も現在も未来のないのである」と浅田氏は言うが、日本人が「無宗教である」といいつつ、何かを祀ったところで「神」を感じるのは、それゆえなのかもしれない。「不思議」なものであったとしても、「ああ、まあ、そういうこともあるよね」と思えることも多いので。どの話も「人」の生き様を山が見守ってくれるようなお話で、鳥肌が立ちながらも決して不快な感じがしなかった。
『赤い絆』『兵隊宿』『天狗の嫁』『』見知らぬ少年』『山揺らぐ』などどれが一番か決めがたい…でもやはり『山揺らぐ』かな…浅田氏のストーリーテラーのルーツが伯母さんの寝物語であった、というのがなんともいいなあ…どうでもよいが、御嶽山の奥が雲取山なのだという。たんじろうの修行の場は御嶽山かしら…とふと思ったり。
リアルさを感じたのは、戦場と化した街なかを姉妹二人が逃げ回るシーンではなくて、「いつ国外に退去するか」を家族が迷うシーン。特に、一企業の関係者だとしたら、こうなる可能性はとても高そう…10年前は海外旅行もなんの心配もなく行けたけれど、今は本当に日本政府が海外の日本人の生命を守ってくれるかということに疑問を感じるし、もちろん世界情勢も楽観を許さない状況なので、非常にリアリティを感じてしまった…ヨーロッパは「国境を歩いて超える」ってことができるとは聞いているので、自分のこの立場になったらこうするしかないな…
ウクライナ戦争は始まった当初はここまで長引くとは思ってもいなかった。どの時代でも同じことを言われるけれどね。「もっと早く戦争が終わると思っていた」と。ゼレンスキー大統領の言い分もわかると思っていたけれど、今の彼の行動(アメリカに資金援助を求めて戦争を長引かせる)を見ていると、どこを終着点に考えているのかがわからなくなる。北朝鮮も参戦してきているのに、日本はどうするんだ?ってことが決まる大事な選挙なのに、あまりにも低い投票率でがっくりきているよ…
ミステリ仕立てであるが、謎を解くのがメインではなく、「どこから」「誰が」「なんのために」を説くことが本質なので、なんというか、もはや誰もその由来を知る人もいない朽ちた寺の中になぜ摩耗した地蔵が立っているのか…を「知る」怖さ、という感じかな…知ってもいいことはあまりなのだが、「知らないと気持ちワルイ」と思う人は嵌ってしまう。が、やはりいいことはないのだ。間違っても心が洗われる真実は隠れてはいないから。…恩田さんの「ホラーミステリ」全開でございました(笑)私は黒田くんが好きなので、彼を主人公した長編読みたい。
埴輪に馬がいるので、当時日本でも馬を生育していたとわかる。今までそれはどこなんだろう?と思っていたけれど(中世は奥州)、榛名山の麓、群馬あたりらしい。自然馬もいたんだろうか?当時の人達の「死生観」というのがとても気になったのだけれど、これも「日本書記」でよく書かれるように「鳥」であったと予測できる。鵜飼いというのが古墳時代から神聖なものであったとは知らなかった…「能」で鵜飼をモチーフにしたものはいくつかあり、神社からみの不思議な話もあってなぜだろう?と思っていたけれど、この時代の名残かも。
古墳時代後期の「古墳、埴輪は忽然と消えて行った」理由がやや納得できないなあ…当初は一部の王族のものであったのが、全国展開し、埴輪がどんどん大量生産されるうちに粗雑化し、その本来の意味が失わていった…全国平均的な現代社会なら納得がいくけれど、地域で区切られているのだから、むしろ各地で「別のもの」に「進化」していくんじゃないだろうか?工房による特殊化はもちろんあったらしいけれど、ごく一部のようだし。それよりも、「別の王権者」がはいってきて、過去の技術や歴史が「消去」されたんじゃないかと思うのだが…
展覧会の資金を募るためアメリカでパトロンを求めている。あまり知られていないが、ナチスのチェコ侵攻時につかまり尋問を受けている。解放されてほどなく亡くなっているので、おそらくナチスに精神的にも身体的にもかなり痛めつけられたのだと思う。故郷を思って描いた『スラブ叙事詩』はアメリカで公開後には、プラハ市に寄贈されたものの、長く展覧する美術館がなく、とある宮殿に所蔵されていた。プラハ市で全20点が公開されたのは、実に2012年のことである。彼がデザイン家か画家という問いは確かにあまり意味のないものかもしれない。
クフ王のピラミッドの傍に埋められていた「太陽の船」は1954年に1号船が発見され、さらに2011年に吉村作治氏の率いる日本人チームが2号船を発見した。これは実物そのものであり(使用できる)、復元されて展示されている。エジプト人にとっての船は、太陽神ラーのもとへ魂を運ぶアイテムで、墓からも模型(木彫りが多い)がたくさん見つかっているのだ。日本の古墳時代でも、葬祭と舟が結びついていたと思われるが、当時の人達はどうやって考えていたのだろう…「魂」という考え方があったのか、たどり着くべき「どこか」があったのか。
時代が下ると、「補陀落渡海」という考え方で、船の中に人を閉じ込めて海に流す信仰が出てくるが、おそらくそれとはまた違うだろうし…それとも単なる「権力の象徴」だっただけなんだろうか。などなどいろいろ知りたいものの、いまのところすべて「謎」というのがなんとももどかしい。宝塚一号墳は、人型の可愛らしい埴輪は出土していなくて、これ以外には家型や壺型、あるいは円筒などである。動物はあるけれど…人型が出てくるのは時代が新しいんだろうか?あまり詳しくないので、もう少し別の埴輪の本を読んでみよう。
たぶんだけれど、中世の写本は、「文字」の装飾が第一で、絵というのは二の次だった気がする。装飾文字、いわゆるカリグラフィーに、修道士たちは全精力を注いでいたのであって、絵は息抜きだった、ともいえるだろう。想像力豊かな絵が多いのも納得なのであった。でも、地獄の想像力は、仏教画の方がはるかに上だと私は思う。
確かに働きだして本を読む冊数もスピードも格段に落ちた。一時は、2Pを読む集中力すらないくらいになったが、「読書って楽しい」という記憶があるからこそ、「またいつか読めるようになるよね」って待っていられたと思う。読書っていうのは一生をかけてすることだと思うので、焦らなくていいんだ、って最近思えるようになれたので、この著者が言うようにその時々で好きなように読めばいいと思うのね。そして、増えた本の扱いは私も著者の意見に賛成。数か月ごとに「取っておくべき本」を見直して、本棚を整理するのは大事だと思う。
積読本がたくさんあるのは幸福であるのだけれど、それはキチンと整理整頓できる時だけ。京極さんのような書斎を作る財力のない人は自分の部屋の中の本棚に収まるだけにしておいたほうがいいと思う…私自身は、背表紙が見えないのと、床に直接本を置くのは嫌い。本当に貴重な本(古本でも入手できないもの)以外は古本に出してますねえ…まあ、ここらへんは考え方だと思うけれど。
生まれた時に纏うおくるみの「白」、結婚式の白無垢の「白」、葬式の時の死に装束の「白」。日本では「白」は”雪”として歌に多用されるので風流な感じがしてしまうけれど、本質的にはかなり生々しいものだと思う。だからこそ、「覆い隠すためのもの」として意識操作されるのかもしれないけれど。ワルシャワという街と、ソウルという街。どちらも隣の狂気の国に蹂躙された街。今もまた「境界線」で戦争と対峙している。そう思うと、「白」に覆い隠されず漏れ出てくるものたちが「死」でないことを祈るのみだ。
烏山響一くんって、他のに出てきたっけ?この子も常野の一族かな。ねえちゃんと母ちゃんは常野一族だろうな。響一はどっちかっていうと途鎖国の一員のような感じにも思えるけど、この二つはつながった話だと思っているので…もっとこういうの読みたいねえ。橘さんは無事でいて欲しかったなあ…
探偵役を兼ねるワトソン、いやどちらかっていうとアリスってところか(笑)最後のアーネストの選択が好きだな、と思った…この方は、「家族」というものをすごく信じているんだろうな。それもまたよし。
不思議なのは、出産、育児でも同じように眠れない日々が続いたのに、結構上手にこなしていたんだよねえ…人間の身体って本当に不思議だ。最近は、老化のせいか朝が早い。この本で「朝、以前よりもすっきり目が覚めるようになって、起きるのが辛くなくなったというのが、もっとも早く認められる老化の兆候だ」って(笑)一時期、寝つきが悪かったので、睡眠導入のためにお酒飲んでいたけれど、これはかえってよくないのだという。うん、確かに。お酒飲むと夜に目が覚めるし、太る(笑)本当によくない。最近は睡眠はスマートリングで管理しています。
どういう仕組みかよくわからないけれど、睡眠潜時時間、REM,ノンREM時間を測定してくれる。このお陰で睡眠負債などもわかるので大変重宝しています。生き物である限り、睡眠は大事なのでこの分野の研究がもっと進みますように…夜更かしして勉強しなくても、寝ながら勉強できる方法を早く開発してくれ!
近代史は、戦争までの道のりまでもあまり詳しくないのだが、戦後昭和のいわゆる赤狩りのところはもっと知らなかった。でもなんとなく、その時の雰囲気というのが朧気ながらもわかった気がする。自分でもう少し歴史を勉強せねば。著者は私よりも18歳年上。まさにこの本では終了しているところで私が生まれている。その後の昭和史について、社会的な出来事の記憶があるのが、自分が中学校に入ってからなのでいつか自分でも「自分史」と「歴史」を重ね合わせてみる必要があるのかもとも思う。
そういえば祖父も「下手な玄人」級の絵描きだった…そんな二人に「とてもああはなれないなあ…」と思っていたので、リンボウさんの本を読んで、同じことを思ってしまった(笑)とはいえ、ここ数年、珍しくハマったのが能楽で、あまりに面白くて、お稽古始めて、背景を知るために古典を読み始め、歴史を勉強しなおし…昔小説家になりたかったよね…能が絡む何か書けないか、いや、伝奇ものとか…とストーリーを練ったりしているので、やはりちょっぴりは祖父、父の血を受け継いでいるんではないかと思う次第。リンボウ先生、私もがんばります!
なぜかその後、一気に「軍事化」へと突き進んでいく、ということはよく言われてきた。単に、復興が半ばであること、世界的なインフレが起こり貧富の差がさらに進行してしまったことによるものだと理解していたのだが、著者は「災害を<自然現象>として捉えるとともに、自然の脅威を忘れようと、素朴な郷愁に身を寄せ」、それを「基盤とする<郷土>への愛は、<国土>にたいする依存に安易に結びついて」しまったという。「<中央>が<周縁>(ここでいうのは地方都市)を従属、隷属させていく」ことで復興としてしまったためである、と述べる。
東京(江戸)の都市機能の一極集中は近代に始まったことではないので、一概には納得できないのだけれど…どちらかというと、「情報」を集中させたことではないのか、という気もする。それまでは「各地で自主判断」することが可能であったのに、明治維新によってそれができなくなり、そこに関東大震災が起こった。首都とはいえ、都市機能の破壊自体は地方にはあまり関係しないはずなのに、それが「日本全体の災害」のように思われるようになったのは、それ自体が政治の失敗のように思うけどなあ…
積読本を解消するためにせっせと本を読んでいるつもりですが、どんどん積み上がり中。紙の本が好きです。ミステリ、SF、歴史ノンフィクションが好きですが、なんでも読みます。最近は能楽にはまっています。書いている感想は、歴史的な考察、関連する他の本、趣味である映画や能などの伝統芸能の感想と絡めた雑文、長文です。
旅行記、能楽鑑賞録はnoteに投稿しています。https://note.com/shinonome55asahi
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それにしても、驚くほど「パンデミック」の時の記憶が忘れられていくのに改めてびっくりする。今や「コロナ」っていっても誰も怖がらないもんねえ…