著者も私と同様、当時は小学低学年で、おそらくこの二つの漫画はテレビから入り、後から単行本で夢中になった世代であろう。当時、現実の野球界とシンクロしながら週刊連載されていた「巨人の星」を今、改めて現実と漫画の記録を並べながら再読するのは、かなり楽しかったに違いない。こちらもこの野球編は読んでいてとても馬鹿馬鹿しくて楽しかった(褒め言葉)。(さらに以下コメントに続く)
著者は膨大な当時の雑誌やその後の文献をレトロスペクティブに検証し、そこからある対象にスポットを当てることで浮かび上がる物語とともに時代を再構築しており、個人の思い出としての1968年ではなく、活字によって大衆にもたらされた大衆の記憶にある1968年が蘇ってくる。
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(P300)永田も堀も、理性的な判断ができない。ワンマン体制で社内に意見を言える者がいない点でも大映と日活は似ていた。七〇年代に入り五社の中で脱落するのが、日活と大映なのは偶然ではないだろう。(P303)石原裕次郎と三船敏郎は、既存の五社ではできないスケールの大作を作り、斜陽化している日本映画界を何とかしたいという思いで『黒部の太陽』を始めた。別に五社協定をぶっ壊してやろうと思って始めたのではない。しかし五社協定が予想以上に難攻不落な要塞だったと思い知ると、「打倒・五社協定」が映画作りの目的になっていく。
(P303)五社協定は、いずれは破綻・崩壊したであろうが、『黒部の太陽』がその時を早めたのは間違いない。(P323)こうして一九六八年に、三船敏郎、石原裕次郎、勝新太郎、中村錦之助の四人の、東宝、日活、大映、東映を代表するスターによるプロダクションが揃ったのである。松竹のスターだけが、いない。というよりも、戦後の松竹からは、この四人に匹敵する大スターが生まれなかったのだ。