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贈与の系譜学 (講談社選書メチエ 726)

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余剰生産されたエネルギーを(無償で)損失する力、そしてそれを善とするにあたっての宗教観的な前提など、贈与や生贄などがどうやって人類史とともに歩んできたのかが丁寧に分解されていく。そして余剰をまた”生きられるもの”に変換する贈与のシステムというが、他者を迎え入れ共存する術になっているのだろう。 そう思うとレヴィナスの言っていた「語ること」が持つ自身の内省を普遍化して発露するというリスクも、言わば贈与に等しい行為であって、それこそ他者を迎え入れ共存する術なのだと繋がりさらに腑に
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ひよピパパ
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「贈与」に関わる論考。後半はかなり難解。「贈与」というと単に「贈り物」のことだけをイメージしがちが、本書はその奥の深さを教えてくれる。特に「贈与」が宗教的な「供犠」と関わる側面があることについて多くの示唆を得た。
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atmarkatcodotjp
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ネタバレQ:純粋な贈与は本当に可能なのか? A:むりぽ。  原始社会では純粋な贈与はあったかもしれないけど、習慣化して目的-手段の関係に回収されちゃうし、一見純粋贈与っぽいイエスの自己犠牲による贈与も、天国での報酬や返済不可能な負債として残る側面がでちゃうから。 q:じゃあ贈与行為に価値はないの? a:純粋贈与っぽいしでもよく考えたらそうでもなくね的な<宙吊り状態>としての贈与には価値がある。生き直したいやり直したいと思うような過去の負債に対し、擬似的に接近、反復するということが贈与においては可能になるから。
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Haruki
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モース、バタイユ、ランボー、ニーチェ、カントなどの思索を巡りながら、贈与の持つべき性質を逍遥する。初期の贈与は、時間的な遅れないしは、神の審級を媒介にした交換の次元で発展。中世では、債務などの義務を通し、尊厳の概念を育てたカント義務論や神学的な原罪概念がモラル的法則として整理される。真の贈与は究極的な自己犠牲、不可知な他者との交流での自己変容が前提となるが、未到達であり模擬的、反復的な性質を有する。モースが取り上げた公的な贈与の喜び、人を歓待する喜び、祝祭の喜びなども重要な要素であると思うが深堀りされず。
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蛸
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エコノミーの回路から逃れ、見返りから解放された、「交換」ではない純粋な「贈与」は可能なのか。それ自体のうちに目的を持つ「贈与」について思考するために議論の俎上に乗せられるのは、キリスト教における「恩寵」であったり、ニーチェやアリストテレスらの思想だったりするが、根底にはバタイユの思想が濃厚に感じられた。永遠に到達できない「死」に近付く、極限体験としての「贈与」。それは決してクロノス的な時間の中で経験しきることができないという意味で、宙吊りの状態で問い直し続けられる。そしてそれゆえに価値あるものだとされる。
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yu-onore
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ちょうどイエスの死が、それ以降負債を人民へと背負わせルサンチマンを感じさせるようなものとなったとはいえ、一時的には経済を脱臼させて打ち止めにするようなものだったように、最終的には絶対贈与などできないのではないか、という矛盾を抱えながらも、それでもその宙釣りを経て贈与を行うという行為の、経済を一旦打ち止めにするような遊戯的なものとしての贈与の価値を見る。祝祭の中で法を破る暴力を通して、人は未踏の領域へと開かれるというバタイユは遊戯の性質としてもすごく面白い。
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Hiroki  Nishizumi
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正確に読み取れていないかもしれないが、なんとなく功利的な側面を主張している気がして、ちょっと期待外れだった。
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kourin
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A
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cybermiso
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初代キリスト教やカント、ヘーゲル、ニーチェらの徳の思想をもとに、純粋な贈与という行為について考察した本。贈与は意識しようとしまいと返礼を期待するエコノミー的要素をはらむ。キリスト教の無償の愛、自己犠牲も突き詰めるとイエスへの負い目による償いである。さらに真の贈与は死と類似し近づけば近づくほど経験不可能で遠ざかる性質があり、模擬性や反復性を含んで経験されると論じられる。これは有る無しの二項的対立で表現不可な行為である。その中で都度贈与なのか?が問い直され続けることが贈与という概念に力を与えると結論付ける
cybermiso

原初の贈与(神への生贄・祭り)にも、論じたバタイユとともに触れている。その行為は贈与や交換でなく服従させ事物化させた有用な自然(作物、家畜)をあえて破壊することで、それらの精霊的な世界を甦らせる目的である。結果、贈物をうけた神から豊穣等の恩寵を授かるがこれは結果論でありそもそもの目的ではない。(とはいえ生贄→豊穣のサイクルにより生贄の返礼を求めるエコノミー的要素が生まれる)この論は興味深かった。古代人も自然を作り替えるある種の疚しさが現代のようにあったのだろうかと想像してしまう。

11/20 01:07
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遊動する旧石器人
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ネタバレ2020年6月9日第1刷発行。図書館よりレンタル。マルセル・モースの贈与論や柄谷行人の交換様式論など、国家形成の過程で必要である贈与と交換の認識。本書は、その贈与が真の純粋な贈与でもなく、エコノミー的な交換に還元されるものでもなく、宙吊りにされる状態に意味を見出す。ドゥルーズなどの反復の問題なども関わり、真の純粋な贈与にならず絶えざる中断と再開始という問い直しの試練を受けていく。昨今、ボランティア論に関しても、ボランティアというsacrificeが単なる無償労働ではなく来るべき時への期待を含む対価が必要。
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たくやよ我に帰れ
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贈与や自己犠牲という言葉には(宗教的な)正しさという価値を見出されるため、まずはアリストテレス、キリスト教における正しい行いとはどのようなものかということがまず参照され、キリスト教的価値観に関する鋭い批判をしたニーチェの議論が続く。後半においては、贈与という行為がもつ経験不可能性に着目し、ヘーゲルやハイデガーにおける死を参照しながら、贈与という行為が常に真なるものか?純粋なものか?という疑問に付され宙吊りされるが、それゆえに終わることなく反復される。それによって贈与/自己犠牲の価値を保たれる。
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aoi
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面白過ぎた。 人はされた事受けた恩を意識的にも無意識的にも返そうとする、物理的精神的なものも含めて均等を取ろうとする…ってのはめっちゃ有るなぁ😣私は相手の望みを聞くと無意識に行動や思考を縛られる。またそれを相手に行うのを恐れて軽口でも思いを言えなくなる。そのループにハマりそうな相手とは関係を築けない。返せない贈与を貰うのは負担だ、罪悪感が生まれて負担になる。 純粋に贈与を贈るのも貰うのも本当に難しい。 唯一の純粋な贈与は自分に固有な特有で独特のなにかを手放し相手を迎え入れること…それなら出来るかもなぁ。
aoi

1800円でこの本が買えるなんて安くない?????手元に置いときたい!ポチろっと

10/13 23:55
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Mc6ρ助
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自助、共助、公助、そして絆、なんて言われる以前から、共助に感じる幾ばくかの違和感。神戸の震災以来ボランティアの活躍は喜ばしいが、「ボランティアだから労災保険外」?爺さまの理解力を超える本書を読んでも、無宗教と言われる国での共助のドライビング・フォースに答えは得られない。『たとえば、他者の求め・・に応答して贈り物をすること。宗教・・がそうすべきだと説くように、自分の富(の貴重な部分)を犠牲にして、他なる人に贈り、譲ること。それは徳ある善き行いであり、人間としての責任・義務でもあるとされている。(p205)』
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chiro
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人間が狩猟民族であった時には獲物は自ら消費することに何の疑いもなかった。しかし、その後農業や畜産を通じた定住社会を構成するに至り、その果実を自らで消費することを是としない認識が生まれた。その果実を神が与えたもうた物とする考えから、供犧という方法がとられる事になった。この行為を贈与という概念で理解することが通念となっているが、こうした贈与にまつわる様々な理解についての系譜を示した著作。交易、交換といった経済行為から離れて贈与に絞ったことでより深い考察に及んでいる。
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