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藤原定家 『明月記』の世界 (岩波新書 新赤版 1851)

感想・レビュー
40

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石ころ
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定家の息子(長男)が不憫。 『明月記』本文を読むのは大変そうなのでこちらを読んだけれどなかなか良かった。
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まやま
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「宝塚110年の恋のうた」観劇のお供に藤原定家の生涯を振り返るべく読む第2弾。日記「明月記」を読み解く中で、中世前期の宮廷公家社会に生きた定家や周縁の人々の姿を浮かび上がらせる。生涯に2回結婚した定家は、2度目の妻とその子たちを生涯大切にしている一方で、最初の妻の間の長男に対してかなり冷たく対しているのが残念。この書では、後世に伝説も生まれた式子内親王についての言及は無い(明月記に出てこないってことか)。しかし「紅旗征戎非吾事(こうきせいじゅうわがことにあらず)」は定家を象徴する文言として挙げられる。
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Yoshi
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和歌の御大、藤原定家の日記 明月記に関しての読み解き書。 当時の生活がどういったものだったのか、荘園制や新古今和歌集を編纂するにあたってのイベントや家族の事など書いてあり定家がどういった人物だったのかなんとなくだが分かった。 本書へ行く前の予備書として、、
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MUNEKAZ
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藤原定家の遺した日記『明月記』を読み解きがメイン。著者は『明月記』を「極私日記」と呼ぶが、故実書として部類化されず、定家の喜怒哀楽が生のまま残っているのが興味深い。御子左家の復権を願う定家の激情はなかなか面白く、「家」の発展と継続こそが平安貴族の心の中心を占めていたことがよくわかる、また同時に定家の嫌な面も紹介しており、とくに先妻の子を「外の子」呼ばわりして、後妻の子を偏愛する様はなかなかのクズ野郎っぷりである。のちに御子左家が分裂するのも、定家がこんなことしていた罰があたったのでないか。
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bapaksejahtera
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百人一首、仮名遣い、オーロラに触れた明月記から関心のあった定家が、長期間に渡り残した日記を基に、摂関期以降鎌倉初期までの貴族社会を述べる。日記家記とは他の貴族のそれと同様、有職故実を後に残す目的がある。時にはその目的の為、事項別に組換えられる場合もあったが、明月記は書き手の自己中心的で意固地な性格の故に加工されず、紀年的構成のまま残った。息子達への偏奇した態度、歌業の養護者後鳥羽帝との愛憎交わる芸術家的確執等、激越な彼の性格には必ずしも同調できぬが、同時代の貴族と地方との関係等新たな知識から得る所が多い本
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白山手賀
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見物が好きな定家。日記には、人間の内面がさらけ出されている。
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tyfk
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8章荘園と知行国、定家の子の為家は信濃の知行国主になったりしてる。知行国ってなんだっけ、調べる。
tyfk

「定家は知行国制を肯定的に見ていた節があるが、信濃や能登の事例が端的に示しているように、国務は困難な状況にあった。知行国制は、守護の下に国衙官人を含めて一国内の豪族武士が統率されていく過程で実現不可能となり、急速に崩れていく。定家の場合も、結局家産にはならなかった。……公家社会が累卵の危機にあった深刻な時代相を汲み取ることができる。」p.204

12/13 00:04
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ホークス
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2020年刊。定家は鎌倉初期の歌人として新古今集、百人一首の撰定に関わった。摂関家の九条兼実を後ろ盾にしていたが、兼実が皇室の姻戚争いに敗れると出世も歌の道も危うくなる。大物歌人の父、後鳥羽院、妻や縁者に助けられ、関東との縁故もあって公卿になれたが、実は困った性格だったらしい。本書は『鎌倉殿の十三人』の時代考察としても面白い。この頃の貴族はまだ武士的で激しく、腕ズクのトラブルが多い。一方で朝廷の女官を含め、女性の描写には臨場感があって詳しい。牧の方(ドラマでは宮沢りえ)の上洛で振り回される様子が面白い。
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まーくん
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国文学などには全く縁遠い理系出身のわたしは藤原定家の『明月記』というと、まず超新星爆発が思い浮かぶのだが…。『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の撰者として知られる稀代の歌人が18歳から74歳まで56年間にわたってつけたと思われる極私的な日記。この難解として有名な公家日記を御年90歳を超える碩学が定家のことを”骨の髄”まで知り尽くす気持ちで読み込んだという。平安末から鎌倉初期に生きた一人の自己中心的な中級公家定家の日常を追い、その喜怒哀楽を読む。ひたすら自身の出世を願い、一喜一憂する姿は何とも俗で正直。⇒
まーくん

Feさま、お教えいただきありがとうございます。後鳥羽院との関係は興味深いものがありますね。

07/24 11:33
Fe

後鳥羽院の本棚(登録冊数17冊)  https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091275 を、ご笑覧いただけましたら、幸甚と存じます。

07/24 11:35
4件のコメントを全て見る
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すずゆい
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【文喫 選書】 定家、結構激しい人だったんだな…時代が違うからあれだけど、子供差別するのは良くないよ…。ともあれ、この時代の個人の日記が残っていることが凄い。こういうの、本人的にはどうなんだろう?と思ってしまう。赤裸々に人々に読まれてしまうなんて、想定していないだろうな…。ただ、当時を知る資料としては貴重。
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つきもと
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明月記を定家の極々私的な日記として読むという内容。家族との関係や出世意欲、和歌への姿勢など、定家の人間味が生々しく描かれるとともに、同時代の様子も感じられ、とてもおもしろかったです。
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インテリ金ちゃん
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和歌が数種しか出てこない定家の本。かなり興ざめな点も多いが、それが定家の実態とするとまた興味深い。
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ロビン
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藤原定家というひとりの貴族の日常を日記『明月記』を読み込みながら解説する一冊だが、時々図解も入り堀田善衛のものより内容が整理されている印象で読みやすい。定家の妻、息子光家、為家、娘因子、また孫のことにも言及されるのだが、最初の妻の子である光家と、2人目の妻の子で和歌の道を継がせた為家に対する扱いが全く違い、光家は冷たく扱われたにも拘らず実直で親孝行であったということが一番心に刺さった。光家は健気である。定家という人は和歌の天才なのだが、険のある性格で自己中心的であるという理解は村井、堀田両氏共通している。
風に吹かれて

先日読んだ澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』で三島は定家を書きたいと言っていたことを知りました。平安鎌倉の激しい時代の定家の内面を追求したかったのかも知れません。三島の定家、読みたかったなあ、と思いました。

05/21 08:48
ロビン

三島由紀夫が定家を!貴族的で耽美で、執念が強い感じにふたりの共通項というか親和性を感じますね・・。わたしも読んでみたかったです(><)

05/21 10:46
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クラムボン
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「明月記」は子孫に書き残した日記。晩年には切断して有職故実の分類化をする予定だった。だが途中で気が変わり、補足を加えて子孫に分かり易く伝えることに専念した。そして冷泉家に伝えられた。一方これほど私的な日記は無いと著者は言う。官位昇進の時期には平常心を失い、望みが叶わぬと不満を爆発。主家の九条家の頼りなさや、縁故で昇進した同僚を激しく罵る。ただ家庭的には恵まれた方です。父俊成や多くの姉妹との関係は良好、妻とは円満そのもの、子の為家と因子への溺愛は凄い。ただ先妻との子光家に貧乏くじを引かせたのは何故だろう?
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oooともろー
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藤原定家の素顔。とんでもなく自己中。息子に対する差別。昇進への執念。とても魅力的。
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LUNE MER
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典型的なホームズのイメージから入って初めて原典を読んだときにヘロイン愛好者だったり部屋の中で拳銃をブッ放すような欠落した人間臭い一面も知り、「え⁈ホームズってこんな人⁈⁈」というギャップを楽しんだときの感覚。本書で知ることのできる定家の人間像もまさにそんな感じ。明月記に直接トライするのはハードルが高過ぎるけど、抜粋とはいえ、本書では明月記を通して垣間見える人間・定家の魅力が余すことなく伝わってくる。1年ほど前に出張した機会に二条寺町付近の定家邸宅跡を訪れたことを思い出しながら。
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chisarunn
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藤原定家、19歳から74歳までの日記。途中何年か抜けている(散逸している)部分もあるらしいが膨大な量である。現代文で書かれてたって読むのはたいへん、だから原文を読むのはハナから放棄しているが、やっぱり知りたいところはある。でも定家ってかなーり困った性格の人らしく、有名な「承久の乱」の時も、「紅旗征戎非吾事」(戦のことは俺っちには関係ねえよ)などと書いてあるらしい。著者は定家は古典を世に伝え継ぐためにあえてこういう態度でいると好意的に解釈しているが、それを堂々と言っちゃうのもなあ。
chisarunn

後鳥羽上皇にしてみれば、身体弱くて年も取ってる定家に、剣を取って味方しろとは言えなくても、文章というキミの剣で状況を書き残してフォローして欲しかったよ、と思うんじゃないだろうか。

09/16 19:57
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六点
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『新古今和歌集』を編み、『小倉百人一首』を創り、膨大な数の古典を書写し、現代まで伝える基礎を築いた本邦国文学史上の巨人、藤原定家の日記『明月記』を読み解き、その実像に迫った一冊である。「自己中」でありながら、出世のため、権門勢家の為に馳走し、家産経営に苦心し、思い通りに行かぬ子育てに懊悩し、「歌道の家」確立を成し遂げた天才の、余りに人間的な姿に「偉い人はエライ」と言う中部地方の成句を思い浮かべた。初学者にもそれなりの質の学術を提供するという意味では、新書の機能として十全であるなあ、と、思った事であるよ。
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JR関内駅より徒歩2分 ☆ 永遠番長
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古典文学の貴重な史料としてではなく、定家一個人の日記として・日常生活に光を当てたありそうでなかった明月記の解説書。定家の姉弟事情や、建久の政変の欠落事情(第三者の抜き取りと推定)等、興味深い話が満載で面白かったです。荘園紀行が非常に斬新。著者さんの情感豊かな筆致が印象に残りました。二人の息子の差別扱いに対する「定家さん、冷酷過ぎませんか。」がとても良かったです。実母の家格が子供の将来に反映される当時ですら定家の仕打ちは奇異だったようで、周囲から咎められたことが記録にも残るほどだったとか。
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中村禎史
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和歌の話ではなく、藤原定家の日記(18歳から73歳、平安末から鎌倉初期)に基づいた歴史書。 当時の政争、人事(官位)への大きな関心、自分の望んだポストを得た人物に対する酷評など、現代と同じ宮仕えを感じさせる。 定家は気骨で宮廷内での暴力沙汰の他、後鳥羽上皇に対しても遠慮のない所があった。 私生活では仲の良い姉や兄と接する様子は心温まる。定家は2度結婚したが最初の妻の事は日記に全く言及がない。最初の妻の子より二人目の妻の子を明らかに優遇しているが理由は不明。冷遇された息子が父を立てる様子が痛々しい。
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浅香山三郎
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中世を代表する歌人・藤原定家の日記『明月記』を仔細に読み込んだ評伝。院政期から源平合戦を経て承久の乱へと、激動の時代の様相と、宮廷社会のありやう(貴族の生活、価値観、ライフサイクル、家族など)を活写してゐる。文化史と政治史の両方に通じる大家らしく、双方の研究分野にとつての基本史料である『明月記』と記主・定家の生涯を満遍なく描く筆致はさすが。
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太田左衛門大夫
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明月記から再現した藤原定家の経歴、業績、係累、生活、人となり、最も要領よくまとめられている。叙述がたいへん平易でありながら、いろいろと含蓄に富む。この著者の本は、昔から皆そういうものであつたが、年齢を見れば今年九十一、健筆健啖驚異的である。ただルビに変なものが目立ったが、これは出版社の責任であろう。
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Fe
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岩波書店 2020年10月刊。280ページ。「定家の『明月記』は数ある公家日記のなかで最も難読・難解な日記である。そのため(藤原定家論を含めて)この日記全体を通して論じた仕事は稀有であり、堀田善衞『定家明月記私抄 正続』ちくま学芸文庫[単行本 1986.2-1988.3]が殆んど唯一のものである。定家の言説を素材として、その内面に切りこむ手法は、理解の異なるところもあるが、『明月記』を極私日記という観点から理解しようとする私にとって、甚だ魅力的であった。」p.251「基本史料・参考文献」 2005年→
Fe

8月に堀田善衞本を読みましたけど、もう内容を憶えていません。600ページ以上を二週間ぐらいで読み通しましたから、面白い本だったという記憶はあります。 「承元元年(1207)七月四日のこと、一昨年より飼っていた猫が放犬にかみ殺された。日記には、「年来私は猫を飼わない主義だったが、妻がこれを養ったので自分も共に養った。三年来掌の上や衣の中にいた。他の猫は時々鳴き叫んだが、この猫はそんなことはなかった」と記す。妻が可愛がっていたので定家も世話をするうちに、猫がとてもなついてきて可愛くなった。だから猫の死に「悲慟

06/07 08:21
Fe

の思い、人倫に異らず」と、人の死と同じように悲しんでいる。あの気ままな定家にも、こんな一面があったのだ。」p.138「第六章 定家の家族 1 定家の妻 愛猫の死」 定家は応保二年(1162 月日不明)生まれですから45歳ぐらい。正治二年(1200)から正四位下、建仁二年(1202)から左近衛権中将。最勝四天王院障子和歌撰進の年。 大淀の浦にかり干すみるめだに霞にたへて帰るかりがね 定家朝臣 最勝四天王院の障子に、大淀かきたる所 新古今和歌集 巻第十八 雑歌下 1725『新日本古典文学大系 11』p.503

06/07 08:21
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踊るらいぶらりあん
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後世の一族郎党が故事を参照できるように、公的な記録として書き残すのが普通の公家の日記。対して『明月記』は「記録」というにはあまりに私的な感想・感情の記載が多い。本書では「明月記」を私的な日記と捉え、個人としての定家の姿をあぶり出していく。定家の強烈な性格に惹かれて楽しく興味深く読んだが、逆に公的記録の部分にはあまり触れていない。「明月記」は翻刻もされているようなので、自分で読んでみるのも良いかもしれないと思った。
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ぽちまるこ
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藤原定家が個性強い人なのは知ってましたが、よもやここまでとは。しかし後妻の子の為家を溺愛しつつ、先妻の子の光家は冷遇しまくりなあたりは酷い。為家の後妻が十六夜日記の阿仏尼なのは有名ですが、先妻が北条時政と後妻牧の方の孫に当たる人とは初めて知りました。定家が九条家や西園寺家と繋がりあるのは知ってたけど、鎌倉幕府にも繋がりあったんですね。明月記が承久の乱前後の部分残ってないのはこのせいもあるのかな?
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KAZOO
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私は堀田善衛さんの定家明月記私抄を読んだことがありますが、このような本とはことなり定家に焦点をあてて書かれたものだという気がしていました。ですのでこの本のように本格的にこの日記を分析されてその日常の様子がわかります。また当時の殿上人の生活がどのようなものか、定家がどのような気持ちを持っていたかをうかがい知ることができました。
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はるわか
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定家の個性-自己中心的な性格こそが和歌の革新の原動力。見物大好き。除目(人事)が近づくと必ず心神悩乱に、不満の鬱積、激烈な怒り、不遜な発言、誹謗・罵詈雑言の連続。猫の死に慟哭。円満な夫婦関係の一方、息子たちへの差別的扱い。長男光家を疎外、為家を溺愛(親孝行な光家がかわいそう)。九条兼実、後鳥羽院、家司忠弘。明月記-俊成・定家・為家三代55年の記録。俊成のとき御子左家は、家跡は低下する一方、荘園を主とした家産形成。主家・九条家(兼実・良経)との関係から鎌倉幕府と緊密に。嵯峨、百人一首。御子左家は冷泉家に。
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パトラッシュ
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百人一首や新古今の撰者として知られる藤原定家だが、その生涯については何も知らなかった。本書で語られる出世志向の強い自己中で昇進を願って猟官運動を繰り返し、後妻の子を寵愛して前妻の子を差別し、後鳥羽院に振り回されながら歌道発展に尽くす姿は実に生臭い。特に居宅の変遷や財産の形成、北条執権家との意外なつながりなどは公卿らしい巧みな立ち回りすら感じさせた。90歳でこれだけの本を出した著者の力量には感嘆する。ただ彗星や超新星爆発に関する記述など、明月記の天文学方面で有名な部分について一言もないのは歴史学者の限界か。
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ひろふみ
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参考文献のページに、堀田善衛の本がこの日記全体を通して論じた殆ど唯一の仕事との記述。比較して、当書はまあまあって感じなのも致し方ないと納得。
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かふ
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宮廷歌人の藤原定家の日記だが、それほど興味あるわけでもなかった。ただ堀田善衛『定家明月記私抄』のサブテキストぐらいのつもりで読もうと思ったのだが、なんかエリート高級官僚が上皇からあれこれ言われて不平不満を書いているような。堀田善衛が藤原定家 『明月記』に入れ込んだのは、戦乱の世にありながらわが文学を突き通したから。「紅旗征戎吾事に非ず」。承久の変で内裏が焼けて書物も焼失したが、定家は和歌集などを書写した。そして『源氏物語』も書写させた。そして我々がそうした古典を読めるのも定家の功績。
かふ

でも『明月記』は親ばかの息子の話ばかりなり。そこだけ選んでいるのもあるのだろうけど、先妻の息子には冷たくて後妻の息子には溺愛しているが和歌はどちらもだめだったようだ(定家判断によるから一概には言えない)。でも出世はした(公家になった)。弟の出世が著しかったので長男は出家したのだった。娘も出家した。親父に問題があったのか?晩年は嵯峨に引っ込み(隠遁生活)、『百人一首』などを編纂したので後世にとってはやはりありがたき人なのだろう。

01/26 00:43
千加

こんばんは🌿かふさん。私もそう思っています。ありがたき人、です!

01/26 01:13
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NAGISAN
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1200年代前半頃の定家(中級貴族)の私家版日記の解説本。建久の政変の定家への影響や、定家の『名謁』作戦など、時代考証が面白い。
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土建屋
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定家と家族縁戚などの人間関係を詳細に描く。「堀河百首」で定家がそれなりの歌を詠んだときの父俊成・母加賀の喜びよう、俊成の危篤時の兄成家や姉達の心配り、成家の子言家や姪の俊成女への定家の思いやり。特筆すべきは嫡子為家に対する親バカぶり。それに比べて、著者も指摘するが、先妻の子光家への冷たさはちょっと酷い。それを除けば偏屈自己中男の定家は家族には優しいし、親兄弟が血で血洗うあの時代に、一族仲も良好。それにしても、定家の出世に対する俗物ぶりは、ウンザリを通り越してかえって清々しい。詩人とはそんなものかもしれん。
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Tetsuji Yamaguchi
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★★★★
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午睡
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重箱の隅をつつくという否定的な言葉があるように、トリビアルな研究はあまり歓迎されないのかもしれないが、私はこういう瑣末な事象をとことん調べあげる態度や努力を好ましく思う。まして齢90歳を迎えた歴史家の情熱に支えられた研究と知れば頭が下がるではないか。 ふつう古代から中世の公家日記といえば体験した有職故実を家の子孫のために伝えるのが目的だが、筆者は定家の明月記を極私的な日記として捉える。その試みは成功していて、ひとりの個として屹立する定家の姿や行動から彼の自我や偏波なこだわりが浮かびあがってくる。良書。
 Galilei

2014年京大博物館での展示を見学しました。2018年には「日本天文遺産」(日本天文学会)に選定されたとおり、平安時代の3つの超新星の記録が世界的に重要な価値があり、星の最後に形成されるガスや惑星の根幹を成す元素の研究に、大いに貢献しました。定家の筆跡はストイックなのか、流麗とはいえない尖った感を受けました。△また別の機会に、冷泉家の御当主の講演を拝聴しましたが、上記の箇所に加えて自筆の解説を配布されて、定家の日常や背景を探る貴重なものでした。

11/21 18:01
0255文字
うーさん
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(図書館)一度読んでみたいなと思って手を出せずにいる定家の明月記。とりあえずこちらを読んでみました。定家がどういう人物だったのかが分かる日記でした(笑)
0255文字
tamami
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藤原定家といえば『小倉百人一首』や『新古今和歌集』の選者として、あるいは和歌の家である冷泉家の祖として知られたお公家さん、という印象が強い。本書では、鎌倉時代の中級公家であった定家が書き記した『明月記』を通して、当時の時代相を背景に、「和歌」という一事につらなる彼の生き方と家族や知己との関わり、当時の公家社会の日常が生き生きと描かれる。これまでの定家像、また公家社会観が一新される思いを抱きつつ、幸せな読書の時間を過ごすことができた。著者の村井さんは、同じ新書の前作『出雲と大和』を読んだ時にも、歴史を見る→
tamami

→視点がとても斬新で、それまでの見方が一新される思いがしたことを記憶している。今回、時代や歴史的背景が全く異なる領域での作品を拝見し、自由闊達かつとても粘り強い方なんだろうなと(失礼!)お見受けした。というのは、読み解くのは容易ではなかった(あとがき中の著者の言葉)この日記を、こんなに興味深く面白く、当時の人々の心の中まで活写するような形で示されたことに、読者として感謝したいです。先日テレビで、定家直筆の『源氏物語』の写本が発見されたとの報道があり本書も手にしたのですが、思わぬお宝に巡り会えた気持ちです。

11/21 00:34
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Noelle
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面白かったー。定家さんの「明月記」は漢文体日記で、公家日記の中でも難読と言われている。当時の公家日記は有職故実を継承する公的な役割がある故、定家さんもそれを詳細に記す一方、著者によればチョー「極私日記」の趣で、住まいのこと、出仕して切々と昇官を望む様や、公家社会の中での家族の繋がりや成長のことなど、中世社会で生きて暮らした定家さんのちょっと自己中な姿が如実に浮かび上がって、面白くって一気読み。歌の家としての「家跡」を大切にしたからこそ、今の冷泉家に繋がる道が続いたのだと、定家さんの頑張りに拍手したい。
Noelle

中級公家だと思っていた定家さんだが、関白九条兼実家の家司に始まった九条家との関係、妻の兄弟である西園寺公経さん(こちらも太政大臣)の後押しや、息子為家の妻が北条時政の孫で、岳父宇都宮頼綱との関係から百人一首かうまれ。また後鳥羽院からの勅命による新古今集、その後の新勅撰集など、かなり公家社会中枢との繋がりでもって諸々のことが大成されたことがよくわかった。歌の家としてやはり卓越した資質の持ち主だったのだろう。その反面の、人間くさい一面が日記の合間にこぼれ落ちているのが、好対照だった。

11/20 12:30
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chang_ume
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面白かった。中世前期に生きた個人と家族が浮かぶ。『明月記』の特質を藤原定家の「極私日記」と評価しながら、定家の「自己中」な性格に発した親族や周辺人物への言及解釈がまずよかった。定家は公武関係の中で意外と中枢に近かったことが興味深いし(嫡男為家の妻はなんと北条時政の孫だった等)、息子間で理不尽な待遇差をもうけた点も彼の奇妙なところ(長男光家が気の毒)。また「知行国制」について、定家たちの実体験からの解説も生々しくタメになった。著者が思わず、定家の肩越しにハラハラしたり小躍りしたりするような筆致も楽しい。
chang_ume

“『明月記』は徹底して私の視点で書かれた、いってみれば「極私日記」であった。この時代に、これほど“じこちゅう(自己中心的)”な記述も珍しい”

11/15 15:26
0255文字
ろば
新着
20年刊、藤原定家の生涯をめぐる史伝。平安時代史研究の大家が大化前代の「出雲と大和」を論じたかと思えば、今度は中世の「明月記」が対象、関心の広さと分析能力にびっくりする。新古今や百人一首の編者として名高い歌人定家だが、ここでは明月記に見られる中級貴族の生活を余すことなく伝えている。九条家の家司として活動しながら父俊成以来の歌道に励み、自身の出世や官位昇進を強く願って政界にも参画した。家族の動向も詳しいが、個人的には知行国や荘園の研究が有り難く、こうして具体的事例を紹介すると抽象的概念がよく分かる。→
ろば

→また細かな訓読文ルビがあることも貴重。この時期の公家日記は独特の言葉遣いがあって初心者にはむつかしいが、難解な言葉の説明や読み方がさりげなく記してあって、癖のある言葉遣いの意味を明らかにしてくれる。ただ、著者自身はさほど教育的配慮は無く、思うままに文章を書くことを楽しむ様子も。奥付によれは1930年生まれ、今年90歳になるがお元気で何より。

11/12 09:31
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さとうしん
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『明月記』から読み解く藤原定家の生涯、日常、人間関係。有名な「紅旗征戎非吾事」が承久の乱の頃の書写である『後撰和歌集』の奥書にもあり、同じ文言でも治承の頃とは異なる感慨があったのではないかという話、当時にあっても違和感があるという庶子光家の扱い、始祖長家の時代の家格復興への願い、意外な所から生じた鎌倉との縁などを面白く読んだ。
0255文字
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藤原定家 『明月記』の世界 (岩波新書 新赤版 1851)評価89感想・レビュー40