形式:文庫
出版社:講談社
形式:Kindle版
円仁『入唐求法巡礼行記』は大学時代にゼミで読んだのを懐かしく思い出した。いずれ全体を読んでみたい。
314頁。ウイグルはなぜ大量の絹を必要とし続けたのか。中央アジアの交易では元々ササン朝銀貨などが広く用いられた。そこに唐が進出すると銅銭を持ち込んだ。銅銭は当初、補助的貨幣として扱われたが、8世紀には銀銭にとって代わり主要通貨となった。ただしこれは遠距離や高額の取引には不向きであり、そこで重用されたのが中国産の絹であった。かくしてウイグルが唐から入手した絹は本来の交易品の他に、高額の通貨や決済手段としてウイグルに巨額の富をもたらした。ウイグル遊牧社会はこのようにして大きく変質(遊牧民→商業民、定住民)した
315頁。吐谷渾は4世紀後半、鮮卑族募容部の一部が青海に進出し、チベット系原住民の上にたてた征服王朝である。南北朝時代、青海から西域南道に続くシルクロードの裏ルートを押さえ、東に進めば北朝に、西南に道をとると四川を経由して南朝に連結し、中継貿易で利益を上げ栄えた。そればかりか、北魏に対抗して、南朝が柔然と連携をとりあう政治的仲介役としても存在感を示した。吐谷渾は中国が分裂し、また北アジアと中国世界との対立する時代の隙間をぬって300年もの間政界地方で自立し、最後は唐と吐蕃の狭間で引き裂かれ姿を消した。
"隋の大興城に始まる長安城に、最初からそのような一貫した理念があったかは疑問である。それらは時々の状況に応じて付加され、膨らまされてきた経緯をもつ。儀礼や理念と実際のあり方との関係はどうなのか、検討の余地もある。その上、北族的色彩も無視できず、中国的理念だけで説明することはむずかしいだろう。とはいえ、こうした都城の精神と論理をつよく意識させることじたいに、唐という時代の特質があることは間違いない"(p222)
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円仁『入唐求法巡礼行記』は大学時代にゼミで読んだのを懐かしく思い出した。いずれ全体を読んでみたい。