形式:単行本
出版社:河出書房新社
メモ→自分の力でやることは、人の暮らしや社会システム全般を考えるきっかけになったのである(考えて調べることによって、知らなかったことを知ることは単純に楽しい)。/自分という人間がどういう生き物であるのかを、ほかの動物の視点から見るというのは、新鮮で興味深い。/まだ現代文明が一般に浸透していなかった時代に建てられた家は、自給自足で生きることを前提に造られている。そんな古民家こそ、お金も文明にも頼らずに生きるための最高の住処になる。
メモ→本当の生きる喜び(豊かさ)は、楽することや、便利で刺激的な物質に囲まれていることではない。ひとつの鼓動から一生まで、小さな循環代謝から大きな循環代謝までを、すべて楽しむことではないか。
でもまあ、正直とても面倒で大変なことの繰り返しの紹介であり、それらを逃げたいほどの苦だと考えないだけの人格と経験を積み重ねた服部文祥さんだからできることであり、暗にに触発されてフォローしても絶対にうまくはいかないだろうとも。
安易に、が暗にになってしまった。恥ずかしや。そうそう、掲題の解として小蕗での暮らしに際して購入等した物資や利用した手続きの金額も律儀に記載しているけれど、法定の支出は別として経験と工夫で見積り、任意に調達したそれらの額は非常に廉価であり、それらを駆使して目的を達している服部さんの存在がイレギュラーでプライスレスという点はさておいて、本当に眉の根も動かない僅少な金額で廃村サバイバルは実行できるということに驚かされる。
はっとり・ぶんしょう(1969-)登山家、著述家。神奈川県横浜市出身。1994年東京都立大学フランス文学科卒業。山岳雑誌『岳人』の編集部員。「山に対してフェアでありたい」という考えから、いつ死ぬかわからない山に住む生き物達と対等の関係で向き合う「サバイバル登山」と自ら名付けた登山を実践する。食料を現地調達し、装備を極力廃した登山スタイル。/「生きていくとは、循環と代謝を続けていくこと」…身体の、命のやり取りの、宇宙の中の地球の、全ての循環と代謝。効率化というのは、突き詰めれば「死」であり、存在否定。⇒
⇒つまり、反せば 「生きていて面倒に感じることが、実は生きることそのものなのだ」生活は、循環代謝なのだ。
ミヤビとライライさん、良い本でした、教えて下さってありがとうございます!
kahoさん、著者の考え方には共鳴しましたが、快適便利さにどっぷり依存した私が実践するのはなかなか…。ささやかなことから始めたいと思います。
人間がいる/いない、獣がいる/いないで村の自然の在りようが違ってくるあたりの観察が興味深い。獣に野菜や果樹の苗や芽を喰われては、労力と金と時間の喪失にがっかりしている。春は限られた回数しかその人に巡ってこない事実を想う。狩猟のときには決して言わなかった『鹿が憎い』にドキリとする。雌鹿を独りで仕留めた、愛すべきナツ(フィクションです)。面倒くさいと口では言いながら、服部文祥は溺愛していると感じる。久保俊治氏の猟犬フチを思い出した。女神だ。ナツの性別は知らんけど。
まあ、未成年には劇薬ですよね。吸収するとなったときの吸収っぷりが大人とは桁違いになる。相変わらず面倒くさいことを言っているけれど、読みたければ小難しい文章だって読む子供は読むのだから。…って言ってたのも服部文祥だったか。
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