形式:新書
出版社:中央公論新社
つながっているのだ、と堂目先生は力説されます。 (4)スミスが『国富論』を書き下ろしたのは、丁度米国による対米独立戦争の真っ最中でした。(3)に見た観点から「自由で公正な市場経済」を望ましいとするスミスは、本国・植民地の人々を共に縛り付け、かつ効率の良いリソースの分配を歪ませる重商主義や植民地支配には反対の立場でした。一方で、革命や独裁による社会的混乱・秩序崩壊を良しとはしないスミスが、独立戦争の行く末を占い英国はどうすべきかなど『国富論』に盛り込んだ内容は、思弁家だけに甘んじるを良しとは(5/6)
せず、彼が時事問題に対しても雄弁であったことを余すことなく物語ります。 (5)人間に対して過度な思い入れはせず、さりとて全てを否定するのではなく、ありのままの姿・本性を受け入れていきそこから思想を紡ぎ出そうとする、スミスの冷静沈着な姿勢に先ず惹かれます。そしてその中で少しでも良き方向へ社会へ向かわせしめようとする実務的態度に好感します。我々が今、直面する社会の様々な問題に対して取るべきあり方とはそのようなものでは無いでしょうか?(2009年初読)(6/6)
スミスは、規制を徐々に緩和するのが望ましいという。急激な改革は、多くの利害関係者に損失をもたらし、不満を招く。理想は自然的自由の体系である。植民地貿易の独占の結果は国民の大多数にとって、利益ではなく損失である。スミスの姿勢の根底には、人間にとって最も重要なのは心の平静を保つことであるという信念があるように思われる。『国富論』の概要を知りたくて読んだが、『道徳感情論』の公平な観察者が興味深かった。
「神の見えざる手」の陰には、見えざる絆が必要ということでしょうか。自由放任だからといって、何をしてもよいということにはなりませんし、それで丸く収まるとスミスは言っていません。「公平な観察者」の視点を内にもって、周囲の人と協調する。それは個人だけでなく企業についても言えることで、そのような企業が増えれば政府の役割は必然的に小さくなっても問題ない。「神」はどこかにいるのではなく、私たちの心の中に必要なようです。
心の奥底で知っていなければならない。幸福の中で傲慢になることなく、また不幸の中で絶望することなく、自分を平静な状態に引き戻してくれる強さが自分の中にあることを信じて生きていかなければならない。/病気で衰弱する友人のために「国富論」の出版を早めたという、スミスの人柄が窺えるエピソードが紹介されていました。本書を読み、アダム・スミスは経済学者というより、哲学・倫理学者という印象が強くなりました。
胸中の観察者の判断に従う人を賢人、常に世間の評判を気にする人を弱い人と呼ぶ。全ての人は賢人と弱い人の部分を持つ。公平な観察者の判断基準が一般諸規則を形成し、一般諸規則を義務として守る。義務の感覚によって制御されるものは利己心や慈愛心だ。社会の繁栄を導く本性は何か。人は他人からの同感を得るためにも富や高い地位を望む。弱い人は虚栄心があるので勤勉に働き、必要以上に富を得ようとする。徳と財産で評価を得たいが、多くの人は徳よりも財産の獲得を優先させる。公平な観察者が是認する財産獲得方法は正義感に制御された野心だ。
弱さも見えざる手に導かれて繁栄に貢献する。国際秩序では公平な観察者が周りにいないか遠すぎる。その為各国は勝手な主張をする。「国富論」では重商主義と違い、富は分業から発生する。一国の労働全体に占める生産的労働の割合は、生産的労働を雇用する為に用いられる資本の量に依存する。資本投下の順序は農業・製造業・外国貿易だ。地主・資本家・労働者のうち資本家が経済を動かす。資本蓄積により不生産的労働を生産的労働に切り替える。これは利己心で行われるが、利己心も正義により制御されている。見えざる手は正義による制御で機能する。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます