で、本題の「ホテルローヤル」の話に戻るけれど、ここで描かれる人々は、貧乏だったり、経営していたホテルはつぶれたり、奥さんに浮気されたり、誰も彼も一見「不幸」である。しかし、物語を読むにつれて、幸福/不幸という単純な二元論は、そもそもそういう概念自体がナンセンス(意味をなさない)なのではないか、という気がしてくる。
物語の中では、劇的なことは何一つ起こらない。登場人物たちのにっちもさっちもいかない「生」がただ淡々と描かれるだけである。けれど、「淡々」であること、そのこと自体になにか大きな熱のようなものが感じられる。そういう「熱のようなもの」の存在が、「人の生」を「生」たらしめており、それは人が「幸福」であることを定義する上での一つの要素なのではないか、などと愚考した。戯言。
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