45頁。庚午年籍は、調庸の賦課や徴集に役立ったはずで、大化改新での評制施行にはじまる、地方支配の強化と町税の再編の到達といえるだろう。しかし甲午の宣により氏の所有が認められた「民部・家部」は課税の対象外であって、「部局」(民部)が廃止されて公民になるのは天武朝になってからだった。今まで述べてきた緊迫したアジア情勢のなかで、天智朝は国土防衛が第一の課題であり、中央集権化や権力強化は進めたが、律令を体系的に継受する余裕はなかったのであろう。
歴史、特に近現代史を中心に読みたい。
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45頁。庚午年籍は、調庸の賦課や徴集に役立ったはずで、大化改新での評制施行にはじまる、地方支配の強化と町税の再編の到達といえるだろう。しかし甲午の宣により氏の所有が認められた「民部・家部」は課税の対象外であって、「部局」(民部)が廃止されて公民になるのは天武朝になってからだった。今まで述べてきた緊迫したアジア情勢のなかで、天智朝は国土防衛が第一の課題であり、中央集権化や権力強化は進めたが、律令を体系的に継受する余裕はなかったのであろう。