強調していたのに対し、藤原惺窩は人の主体的営為を重視する立場を採った。林羅山は「天地造化」の本質は、物を生じさせることであり、人に内在する仁がそれに対応すると考えた。植物の種子が発芽する如く、人の仁も広がりを以て施されるのである。当初、為政者の教養であった修己治人の実践は、庄屋や富農などいわゆる中間管理職にまで拡大していく。本書では家訓などの資料を通じて紹介。そして江戸後期になると寺子屋の普及とともに「考える文化」が拡大していったことを確認できる。
読書がつなぐ人の縁って素敵ですね。
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強調していたのに対し、藤原惺窩は人の主体的営為を重視する立場を採った。林羅山は「天地造化」の本質は、物を生じさせることであり、人に内在する仁がそれに対応すると考えた。植物の種子が発芽する如く、人の仁も広がりを以て施されるのである。当初、為政者の教養であった修己治人の実践は、庄屋や富農などいわゆる中間管理職にまで拡大していく。本書では家訓などの資料を通じて紹介。そして江戸後期になると寺子屋の普及とともに「考える文化」が拡大していったことを確認できる。