早期リタイアし、念願の晴読曇読雨読パラダイスに突入。
旅に生き、好きな本を、好きなときに、好きなだけ読む暮らしをさせてもらっています。
飛ばし読み、流し読み、斜め読みは性に合わないので、本は一字一句最後まで読み切るタイプです。
なので、駄本に気づいて後悔することしきり。
近年はノンフィクションが多くなっています。
博覧強記を目指しているわけではありませんが、未知のジャンルの作品に出会うことが無上の喜びです。
読書以外の趣味は登山、歩き旅、昭和レトロを探す町歩き、B級グルメ食べ歩きです(歩くことが好きなんですよ)。
消え去りゆくホーロー看板がある風景を訪ねて、全国を旅した記録を発信するサイトを作っています。
◆ホーロー看板探検隊が行く
https://horotankentai.sakura.ne.jp/
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なぜドリフのコントにあれほど魅せられたのだろうか。同時代にはコント55号やクレイジーキャッツもいたし、似たようなコミックバンドはたくさんあったのに、ドリフターズの印象が、メンバーひとり一人の表情まで“刷り込み”のごとく強く残っている。それをずっと不思議に思っていた。本書を読んで、その答えが少し分かったような気がする。視聴率50%は伊達ではない。それは大衆の行動心理をも動かす影響力を持つ。大仰にいえば、メディアと絶妙に融合したグループのポリシーとメンバーの個性が、⇒
⇒忘れられない記憶として心の奥底に刻まれてしまったということなのかもしれない。だとしたら、まるで洗脳されたようでもあり、恐ろしい。荒井、いかりや、志村、中本が鬼籍に入った今、ドリフターズは個人の記憶から、更に国民の記憶として永遠に刻まれるだろう。