純文学原理主義過激派。
うつ病持ち。やや双極気味とも言われる事がありますが、一応、医師の診断名はうつ病という事になっております。
そんな状況ですので、多様性とかリベラルには、救われているとも言える状態です。
然しながら、世の中「全て」が多様性だとかリベラルだとか一本槍になってしまっては、これは世の中は持たないだろうと思ってもいます。
リベラルというのは、何も好き放題、何でもかんでも個人の自由で、楽をしていい、めちゃくちゃをやっていい。という思想では無いにも関わらず、現代日本に置いては、自由の名の元、多様性の名の元、社会を無視し「私」や、酷い人になると「私の利益」にしか興味が無い人が、余りにも増えすぎました。
こういった観点からの純文学を書きたく思い、普段より、読み、書き、通信制の大学で学ぶ日々です。
真面目に、一生懸命生き、学び続ける人とお付き合いしたいと思っています。
どうぞ、よろしくお願い致します。
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むしろ、人間にとって新自由主義の問題というのは、日本人の人々の心を退廃させた事にあるように感じています。 小泉構造改革以降、テレビ等にやたら「自己責任ですよ!」などと発言する芸能人が大量に現れて、持て囃されるようになった結果、何でもかんでも個人の自由!何でもかんでも自己責任!が当たり前になってしまった。 人間同士の協調とか、助け合いとか、お互い様とか、そういった精神を破壊した事は、財源の割り振りがどうのこうのより、遥かに深い罪科ではないか。 人と人が金銭的に争い合うような社会で本当にいいと思っているのか。