(2)それが、科学的、論理的思考の発達につれ、一段価値の低いものとみなされる様になった、と言うのが日本の近代以降の実態ではないだろうか。しかしそれは、恣意的な価値の序列化であって、本来の価値に、あえて蓋をすることによるバランスの喪失とも言えるのではないか。科学や論理への偏向は、それ自体がある意味一神教的宗教とも言え、それに対して、多様な宗派や教義を持つ仏教が見直されつつあるというのは、わたし自身の偏見であろうか。しかし、その仏教自体も、多様性を特徴とするのみで無く、全ての論理の統一、→(3)
(3)或いは釈迦本来の教え(正法)への回帰、といつたことが、古くから探究されて来た。その代表的な仏者・仏典が、空海の『即身成仏義』であり、道元の『正法眼蔵』である、と言うのは、少し強引な解釈かも知れないが、私自身も仏教者として、さらには日本史を代表する思想家として、注目する存在であるだけに,より興味が深まった。
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(2)それが、科学的、論理的思考の発達につれ、一段価値の低いものとみなされる様になった、と言うのが日本の近代以降の実態ではないだろうか。しかしそれは、恣意的な価値の序列化であって、本来の価値に、あえて蓋をすることによるバランスの喪失とも言えるのではないか。科学や論理への偏向は、それ自体がある意味一神教的宗教とも言え、それに対して、多様な宗派や教義を持つ仏教が見直されつつあるというのは、わたし自身の偏見であろうか。しかし、その仏教自体も、多様性を特徴とするのみで無く、全ての論理の統一、→(3)
(3)或いは釈迦本来の教え(正法)への回帰、といつたことが、古くから探究されて来た。その代表的な仏者・仏典が、空海の『即身成仏義』であり、道元の『正法眼蔵』である、と言うのは、少し強引な解釈かも知れないが、私自身も仏教者として、さらには日本史を代表する思想家として、注目する存在であるだけに,より興味が深まった。