自己紹介的なもの
Ⅰ 梵我一如
人生には何か理想がなければならぬ。自分が目指す理想の境地として思い描いているのは、己の欲する所に従えども矩を踰えずという事である。その為には己への執着が苦しみの源と理解し、時間空間を越えた視点から自分を俯瞰的に見て、再びまた俗に還ってくる一連の過程が必要である。俗に還るのは馴れ合いの為ではなく、調和を希求するからである。主客合一の瞬間が最も心地よいと確信しているからである。それが本を読みここに感想を書く理由である。
Ⅱ 声字実相義
人は掴み所のない世界の中で、任意の何かに着目し、わかった様な気になってはまたわからなくなるという事を繰り返している。そもそも人は自分の存在が何なのかさえよくわからない。人の認識はどこまで行ってもかりそめであり、見立てであり、仮定であり、近似であり、ラフ・スケッチであり、暫定的判断であり、結論の先送りである。人はそんな曖昧模糊とした世界を切り取って言葉を当てがい、自分なりの理解をし、それを確かめ合う。言葉は世界への働きかけである。言葉の用い方は世界の見方・切り取り方であり、そこに人となりが顕れる。それらの無数の重ね合わせで時代や社会の空気が醸成され、個に還ってくる。言葉の流れは双方向的である。
Ⅲ 自然法爾
何か手近なものを借りてきて利用して、破綻したらまた近くにある別のものを利用する。生命はそんな場当たり的対応を繰り返して進化してきた。そんな歴史が刻まれた60兆の細胞が人体を構成し、細胞間のコミュニケーションがこの動的複雑系を成立させている。免疫細胞は自他の弁別を司り、数百億のこれらが血流リンパ流を介して常時くまなく巡回し続ける事で、個が全体として保たれている。抗体はランダム性を内包し、あらゆる外部世界を想定し対応可能である。自他の境界は1か0かのように厳密ではなく、状況に応じて揺れ動くものである。免疫が弱ければ内憂外患に対応できない事は明白だが、無害なものに反応してはアレルギーを生じ、過剰になれば自己免疫疾患を病む。あるいはサイトカインストームで自滅する。身体のあり方からして状況に応じた柔軟なバランス感覚が必要で、柔よく剛を制すというのはこの普遍的真理を会得する事である。それは時と場と前後の文脈を読み、今なすべき事を当然の事として自然に行う事である。
Ⅳ 諸行無常と諸法無我
法もマネーも国境も、宗教も倫理も科学も芸術も、世間の常識というのは過去からの文脈を踏襲した一つの時代思潮の下に交わされた約束事で、偶然性に左右されながら移ろい変わりゆくものである。世の中のあらゆる言説には絶対的な根拠などなく、幾分かの嘘やごまかしや時に悪意が紛れ込む事を免れない。平素の私の振る舞いは、そのような曖昧で根拠不明な世間の常識に対し自分でもよくわからないままに同調したり忖度したりした結果である可能性を否定できない。そもそもこれ迄の人生で純粋に自分の意思だけで何かを選択した事などなかったのではないか。人生に自由意志の介在する余地はあるのだろうか。私が私であるというのはただの思い込みに過ぎず、確かな実体などないのではないか。
Ⅴ 近代的個人の自覚
私は私自身の事をうまく説明できないにも関わらず、世間における私という役割を引き受ける他ない。その不条理を自覚し、私は私という実存に責任を取ると決める事で、初めて人は社会の参加者となれる。主体の言動に価値があるかどうかは、合ってるか間違ってるかではなく(それはそもそも不可知である)、責任能力の有無で決まるのだ。社会人とは、近代的個人とはそういうものであり、責任を取れる人間になる為にはまず責任の自覚がなければならないという事だ。近代社会は個々人に説明責任を要求する社会である。近代的価値観の中に生きる人間は、自分の言動を神や悪魔や世間あるいはその場の空気のせいにしてはならず、責任は最後まで己に帰する覚悟を持っていなければならない。これは近代社会が勝手に敷いたルールではあるが、社会において現在最高神の地位にあるのはこのルールなのだ。法に代表されるルールあるいはルール作りの制度化は近代叡智の結晶であり、当然敬意を払うべきものである。しかし、現代はそのルールに基づく制度が抱えるさまざまな矛盾や限界が露呈してきている時代である、という認識も同時にしておく必要があろう。
Ⅵ 近代的個人が生み出したもの
近代的個人を、啓蒙時代以降の「神を離れて理性的価値観を信奉している個人」と定義する。近代的個人の出発点には、デカルト的な我、即ち主体の実在への揺るぎない確信がある。近代においては、主体が「ある」という大前提が公理として要請されている。主体が対象として把握できる分別智の世界だけを問題とし、理性によって対象世界の解像度をムダなく上げていこうとする態度が合理主義であり、抽象度を上げ数学を用いて対象世界の最も簡潔かつ汎用性の高い記述を目指す試みが科学である。科学の発展のお陰で、飢餓や感染症といった、嘗ては人の生活のすぐそばにあった不条理の大半は克服されるようになった。機械文明の発達で肉体的労苦も軽減した。自然が人に与える試練を緩和するという意味においては、対象世界の科学的合理的把握という方法が大変有効であった事は間違いない。そしてその様な科学の発展を支えたのは、人々に夢を語り大規模な資金を集める資本の力であった。ここにも、怪力乱神を語らず存在を対象化可能なもの=貨幣と数字(利子)だけに割り切ってしまう近代の合理性が見て取れる。近代合理主義が産んだ科学と資本主義が車の両輪のように影響しあって、今日の文明社会を築いてきたのである。
Ⅶ 近代的個人の不安
現代文明は肉体的には快適である。しかし皆どこか生き辛さを抱えている。現代社会に蔓延る漠然としたこの不安の源はなんなのだろう。私はこの難題を考えるにあたってはまず、デカルト的な我に帰る必要があると感じている。主体の実在性ほど疑わしいものはない。にも関わらず、それを「ある」と確信してしまっている短絡的な所が不幸の源なのではないか。主体と客体は本来同じものであって、単に視点の違いを指す概念でしかない。近代人はその事をどこかにほっぽらかして忘れてしまい、まるで両者が別々のもの、しかも実在するものであるかのように取り扱ってきた。私はこれが過ちで詭弁で欺瞞であったと考え直したい。
Ⅷ 莫妄想
近代的個人は神を捨てた代わりに心身二元論を無意識に奉じるようになった。その数多ある弊害の中で最も忌まわしいものが、実存の悩み、実存の空虚である。近代的個人は、主体と客体が別々のものだという思い込みがあるために、両者が一致する事がない。その結果、自らが作り出した概念、錯覚に溺れやすくなっている。肥大した主体はやたらと他人の目を気にして承認欲求を満たしたがる一方で(臆病な自尊心)、簡単に客体に飲み込まれ少しの失敗少しの批判で立ち直れなくなるほど傷ついてしまう(尊大な羞恥心)。被害妄想を拗らせ、陰謀論に傾きやすくなっている。とかく主客のバランスが悪いのが近代人である。合理的思考が賢い選択だと信じるあまり、結婚や子育て、教育、葬式に至るまで何でもかんでも合理化してしまい、お前は人生で何がしたいのか、何を大切にしたいのかという事に答えられないでいる。コスパタイパと言いながら面倒を避け、ゲームやネットの妄想の中でちっぽけな自尊心を満たす無為な日々を送るうちに、肉体だけは残酷に老化していく。心身二元論の罠に落ちた人間の末路はこのようなものである。
Ⅸ 現代における文学の重要性
自分というのは、生い立ちや経験に基いた物語を紡いでいく中で自ずと顕れてくる何かであって、文学的に示されるより他にないものだと私は考える。それも言葉によってピタリと明晰に指し示されるような形でなく、行間から滲み出るような形で不恰好に語られ続けるより他にないものだと思っている。現代社会は、合理的思考(=少数の物差しで対象を捉え、それで真理を把握した様な気になり、その尺度で得た指標に最適化しようとする態度)をやたらと持て囃す。だがそれは世界を、自分を、他者を、死物(ただの玩具であり原子分子の塊でありデータであり金づるである)と見て、自他の限界を狭めているという事であり、そういうものの見方が、生を、性を、卑小なものに貶めている。私は先進国の引き籠りや少子化の根本的な病理をここに見る。行き過ぎた合理思考によって毀損された個人の価値を取り戻す事ができるのは、文脈に応じ適切な言葉で語ろうとする姿勢を持ち続けること、同時に言葉の限界を自覚することー即ち文学的感性を育むより他にないと直感している。
Ⅹ 日本人としての私と死への先駆
私は自分の人生の物語をどのような文脈の中に当てはめ思い描いて行けばよいのだろう。私の関心を惹くのは、ある対象に身心を捧げる事を美徳とする価値観が、我が国の思想的基盤となってきた点である。その行動原理を大義と言った。大義を掲げる対象は政治的には天皇や主君であったが、一般には肉親でも友でも恋人でも何でもよかった。多神教で神仏習合の日本の思想とは、元々はそのくらいのゆるさのものであった。ある対象に対する真っ直ぐで純粋な心ーきよき心、あかき心を神聖なものとする考え方があり、私を滅して誠を貫く生き方=死に方を理想とする様式を我が国は文化として持っていた。
(本当にそうだったかどうかは今となってはわからない。これは私がさまざま見聞きした結果としてそうだったんじゃないかと信じている、一種の神話である。しかし何かこのような聖的なものを原初に想定しないと、ひ弱な私の近代精神は、際限のない冷笑的相対主義の波に押し流されてしまう、あるいは相対主義の沼の中で腐ってしまうのである。一方で、この様な近代人の弱みに漬け込んだのがナチスであり皇国史観であり、歴史を知っている現代の人間はそういうものに飲み込まれてはいけないという認識をしている事を先に断っておく。)
Ⅺ 国民的トラウマとしての戦争
しかし、この世に地獄を生んだ先の大戦を経て、これらの価値観は大きく歪み、捻じ曲がってしまった。真珠湾攻撃は、誰がどう考えても当時の常識からしたって狂気の沙汰だった。だが、そうと知りつつそれでもやるのが当時の日本だった。それは薩英戦争や下関戦争をやらかした幕末の武士と同様の気骨であった。それは西南戦争であり会津戦争であり、大塩平八郎であり、赤穂浪士であり、桶狭間であり、湊川であり鵯越であり、日本人からすれば歴史上何度も経験されてきた、大義に殉ずる行動様式の一つのバリエーションに過ぎなかった。死中に活を求めるのが武士道の最も理想とするところであり誉れであり、真珠湾はそれを体現したものだった。しかし、大量殺戮兵器の時代に国を挙げて死に狂いに染まった事は、取り返しのつかない事態を招いた。この思想は組織や社会に適合されると破滅に陥る危険を孕んでいた。葉隠が門外不出とされていた理由でもある。こんな危険思想を全国民に強いて突っ走った当時の日本は、最初から花と散り滅びる運命が決まっていた。近隣諸国を巻き添えにし膨大な犠牲を払いながら、正義の戦争と信じ突き進んだ結果が亡国だった事は、深刻な国民的トラウマとなった。我々が千年育んできた武士道精神はマッカーサーから12歳のmoronとバカにされる始末で、敗戦を境に嘗ての美風は蛮風となり果てた。戦後の日本ではそれまで思想の核にあった忠義や誠があまり触れてはいけない危険で野蛮でクレイジーなものになった。日本人は自己の本来性から目を背けるようになり、死を思わなくなった。嘗ての美意識や矜持を失って責任の取り方が分からなくなり、失敗しないようにする事、世間の顔色を伺う事、損得勘定ばかりが行動原理になり、自分の言葉を持てなくなった。
安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬからー原爆慰霊碑に彫られた言葉である。過ちとは何か、考えていかなければならない。武士道とは死ぬことと見つけたりー自分の死は自分にしか決められない。であるからこそ、武士道は本来極めて個人的な美学であったはずだ。本来なら個人の内面から発せられるべき倫理や規範意識を、国家が外からの強制力として利用し、世間もそれに加担してもの言えぬ空気が醸成された事、それに対抗しうる自律的倫理観を個々の日本人が持てなかった事。こうした武士道の曲解と退廃こそ、戦前日本の思想的過ちだったのではないだろうか。
Ⅻ 大衆の時代
戦後は大衆の時代として始まった。大衆社会の萌芽は既に大正の頃からみられていた。真珠湾攻撃に快哉を叫んだのは、大本営発表を鵜呑みにして報道したのは、大衆でありマスメディアだった。戦後その事実は都合よくなかった事にされ、「戦犯」だけに罪を押し付け、自分達の民主主義で選んだ指導者を絞首刑にして、米国の「進んだ」大衆文化を無条件に受け入れた。平和主義は対米従属とセットであり、反共の為の方便であった。背後には逆コースと言われた政治取引があった。戦後民主主義平和国家の共同幻想はこれらの欺瞞からスタートした。大衆社会で生きる事のばかばかしい喜劇性は、時代の変化を鋭く察した太宰治が、小説「斜陽」に描いている。浮薄で、下品で、卑屈で、陰湿で、残酷で、嫉妬深くて、不誠実でー大衆は人の醜い部分の集合体である。戦争は二度と御免だと情緒的には反省した日本人だが、戦争を支持した大衆の悪徳に関してその本質を突くような議論は起きなかった。責任から逃げ利権構造の中で私腹を肥やす卑怯者が特をする国づくりがここに始まり、大衆はわれ先にと利権の蜘蛛の糸に群がってそれを事実上受け容れたのである。間に合わせで作られた憲法と自衛隊は、多くの矛盾を抱えながらも超国家アメリカに支えられ盤石に機能し続けた。そのカウンターとして左翼的思想が蔓延したが、多くはかぶれてるか過去を自虐しているにすぎなかった。米国の核の傘に守られながら反戦を叫ぶ虚しさよ。しかし、だからといって打倒米帝資本主義などと息巻く事に、もはや大義はないのである。偽善に耐えられなかった者は極左暴力集団となって自他を傷つけ、極端に振れる事の愚かさを身を以て証明するばかりだった。
XⅢ 三島の蹶起
1970年は戦後が一つの区切りを迎えた年だと思う。時あたかも高度経済成長が頂点に達すると共にその終焉を迎えようとしていた。大阪万博が成功を収め、岡本太郎が太陽の塔に込めた思いとは裏腹に、人々は科学技術の発展による進歩的未来を夢見ていた。万博が閉幕しその熱狂も落ち着きつつあった11月25日、三島由紀夫が世間を震撼させた。魂を失った戦後日本に違和感を抱き続けていた彼は世間に絶望し、その思いを檄として突きつけた。自衛隊にクーデターを促すような体裁を取っていたが、成功させる気はなかったと思われる。当然「失敗」に終わったが、自分と殉死者以外に一人の命も奪う事なく世間に強烈な衝撃を与えた彼の行動は見事と言う他ない。彼は自分の自決くらいで変わるほど世の中は甘くない事も分かっていただろう。その自決には美しく死にたいという個人的な願望があった事も否定できない。当時の世間は自分勝手と非難する声が多く、実際この国は何も変わらなかった。だが私は、戦後日本が捨て去った、大義に殉ずる至誠の行動様式の体現者として彼を評価したい。大義とは何か?単純には定義できない。その場の文脈や立場や見方で揺れ動く文学的な概念である。三島の蹶起は認識と行動の哲学であり、全ての日本人に託された禅の公案なのだ。彼は戦後社会が目を背けていた日本文化の野蛮で非合理な美の源泉を、大衆の面前に引っ張り出して突きつけた。偽善に耐えきれず振り切れたという意味では赤軍その他と同じかもしれない。だが彼は誰を傷つけることもなく、日本人の心の奥底に未来永劫楔を打ち込むことに成功したという点で、安易なテロリストと同列に語られるべきではないと思う。これがどれだけ見事だったかは、令和の私達が安保闘争その他類似の事件よりもはるかに三島の方を記憶しているという事実が全てである。いまだに我々の心に不穏な胸騒ぎを起こさせるという点も含めて。近代化がもたらす明るい未来に皆が胸躍らせると共に、岡本が、三島が釘を刺した1970年の日本。五輪に万博にこの頃が戦後文化のピークで、以後はその劣化した焼き直しに過ぎないような気がしてしまう。
XⅣ Japan as No.1の時代
こうしてしらけた拝金の時代が到来した。無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない或る経済大国が極東の一角に残り、私は生まれた。ファミコンが発売され東京ディズニーランドが開園した。物心ついた頃には身の回りがモノとアイコンで溢れていた。藤子アニメがジブリが、戦隊モノゴジラウルトラマン仮面ライダーがあり、ビックリマンシールキン消し霊幻道士スケバン刑事尾崎豊が流行っていた。小学校に上がると少年の心はドラゴンボールに染まり、TVではとんねるずたけしさんま志村けんがキラキラ(ギラギラ)輝いていた。Jリーグ開幕頃まで日本は敗北を知らず、いつも新しい刺激に溢れていて、子供にとっても楽しい世界だった。だが、現在大人の視点で振り返ると、同時に軽薄で愚かな時代だったとも思う。全国に今も残るリゾート廃墟やバブル遺産を見れば、当時の日本人がいかに先を見る目がなかったか明らかであろう。この頃の日本は暴力団やヤミ金や総会屋やエセ同和やカルト宗教や悪徳代議士など魑魅魍魎が跋扈する未成熟な社会だった。それは戦後の混乱を反共一つで無理やりまとめ上げ、人口増加を追い風に、がむしゃらな働き方で資本主義の見本市の役割を果たした戦後日本の集大成の輝きであった。しかしその繁栄とやらは三島の遺作「豊饒の海」(=月の海)に象徴されるような、見せかけだけのハリボテの虚像でもあったのだ。幼い私は大人達の庇護の下、その輝きの片鱗を垣間見ていたのだが、それは地獄をみた戦争世代の悲哀が正反対に振り切れた結果でもあり、同時に我々世代が解決しなければならない無数の問題が暗示されていたのである。そして恐らくその深奥には、武士道に自ら背いて捨て去ったにも関わらず、西洋由来の近代というものをうまく噛み砕いて消化しきれていない、日本人全般の問題があるに違いないと私は思うようになった。当時権勢を誇ったヤクザその他や、それを当たり前に許容していた社会も、歴史的視点で振り返ると、近代のルールを素直に受容できない日本文化のある一面を表していたとも考えられるのだ。
XⅤ 衰退日本と私の虚無
1995年。日本の凋落が子供心にも感じられるようになった。そしてこの頃から私は自分を見失い始めた。そういう年頃になったせいでもあるが。バブル崩壊の取り返しのつかなさが明確になってくる中、阪神大震災からのオウム事件でユートピアだった筈の日本はぶっ壊れた。連日ワイドショーでオウムの闇が報じられ、日本中の小学生が尊師マーチを口ずさむ異常な時代が訪れた。その後も親父狩に援交にチーマーにノーパンしゃぶしゃぶに、みっともない言葉が次々にTVに取り上げられ、私自身のモラルも崩壊した。お笑いも以前のわかりやすさわざとらしさが消え、ダウンタウンのシュールな笑いに変わっていった。私と同世代の弱い人間はキレる17歳なんて言われ、同じ様に弱い大人達から恐れられた。こんな時代に青春を過ごした私は、全てを斜めから見る癖がついてしまった。信じられるものは自然科学しかないと漠然と考え、唯物論的思想に傾くようになった。若い頃の私は、作者の気持ちとかいう訳のわからないものを答えさせる国語が大嫌いで、敢えて文学と親しまなかった。それは私の心の奥行きを狭め、思想を痩せ細らせる結果となった。この頃の私は、人間の感情など所詮は神経伝達物質の作用で、人間の営為は全て地球を汚す結果にしかならず、それなら何もしない方がいいと考えている虚無的な若者だった。健康に恵まれていながら、何をやってもばかばかしく思えて仕方がなかった。今思えばこれも、当時の若者に蔓延していた時代の空気であった。自分を見失い、ただ世間の空気に呑み込まれ虚無的な毎日を送っていた。そうした思想的貧困(社会に不満がありながらそれを言葉にできない愚かさ)の必然的成行きとして、いつしか私は自分の言葉が持てなくなり、気づいた頃にはその場を取り繕うことばかりに最適化し、グランドデザインが描けず、周囲に迎合する事しかできない、典型的なダメな大人の一人になっていた。成人後も、リーマンショックが私の資本主義への懐疑を深刻にし、原発事故が科学や現代社会に対する不信を増幅していった。私は近代の恩恵に浸りながらも、近代というシステムの抱える矛盾に絶望しつつあった。一方で、唯物的なものの見方が己を虚無に陥れている事に気づき、思想を修正していく必要にも迫られていた。30代の私は、仏教や哲学の本を手当たり次第に読み漁り、虚無からの脱却を求め彷徨っていた。本当はこんな事は学生時代で済ませておくべきなんだろうが、私は遅かった。気づいたら不惑が迫っていた。
XⅥ 自己欺瞞の罪
現代人とか近代的個人とか大きな主語で語っていた人間の闇、それは結局は全部自分の事であった。自己肯定感が低くて人生に意味が見出せず、心に深い虚無を抱えていたのは、他でもない私自身であった。それを敗戦や近現代のせいにして自己正当化しようとしていたのも私だった。唯物論的世界観と極端な合理思考が人生を皮相なものにしていた。この思想は受験勉強と相性が良かった。10代の私は学歴社会に反発心を抱きながらも、自分を信じられず人一倍臆病であったが故に、自己の本来性に向き合わず社会に合わせる方を選んだ。己を省みることなくただ受験に最適化するよう認識を歪めていく中で、幸か不幸かこの試みは受験システムの中ではうまく行き、私は歪みに気づくこともなかった。私は、世の中には絶対的な真理があり賢い人は皆それがわかっているものだと思っていた。難しい事は賢い人に任せて、私は自分の分かる事できる事だけやらせてもらえればそれでいいと思っていた。それが人として謙虚な姿勢だとさえ思っていたからタチが悪い。私は私の人生の主人公となる事を最初から放棄していた。すべて人生に対するこういう逃げ腰の態度が問題だった。言葉を大事にしない事が投げやりな人生観を生み、自分を大事にせず他人を大事にしない事に繋がっていた。私の様な弱い人間は世間に飲まれやすく、最初から勝負もしてない癖に、悪い事があると安易に時代や社会のせいにして言い訳しようとする。こういう自己欺瞞的な生き方は、過去の賢人達に末人だとか世人に頽落しているとかいう言い方で批判されていた事を後に知った。
XⅦ 短絡の罪
私は四十を前にしてようやく小説を読むようになった。読めるようになってきたという方が正確かもしれない。唯物論に染まっていた私にとって、視覚は電磁波の、聴覚は空気の、触覚は末梢神経の振動で、味覚嗅覚は受容体化学刺激でしかなく、それが真理であり科学だと思い込んでいた。だがそんなものは真理でも何でもなく、ある一面的なものの見方で言葉を言い換えただけに過ぎず、実際には何の説明にもなっていなかったのである。自分の中にある、誰かが言った事を簡単に鵜呑みにする傾向、何でも短絡的に解釈する傾向、じっくり腰を据えて考える事のできない胆力のなさに気がついて初めて、文学が読めるようになってきた。私は一等愚かな人間だった。
「一番バカな人間は、分子や原子がほんとうに『ある』と思っている。 中くらいの頭の人間は、分子や原子は『概念』だと考えている。 利口な人間は、分子や原子をたんなる『約束』だと信じているのである。」(都筑卓司「物理学はむずかしくない」)
XⅧ Manifesto
・私は世界を死物と見るのでなく、活物として動的に捉えるよう努めたい。
・言葉を語るときには、それが世界(他者)への働きかけであることを意識したい。
・言葉を発する時、世界に働きかける私の主体は善なるものと信じていなければならない。信じられないのであればそれは語るべきではない余計な言葉である。仮言命法は自分への偽りであり、定言命法を信じて生きるのである。
・近代の良心はまさに言葉を語る瞬間にこそ存在する。己の良心を信じて物語ることそれ自体が自由意志の発露であり、主客合一の瞬間であり、人の幸福である。
・およそ善悪とは主客のバランスである。善なるものとして自らを規定できない人間は不幸である。不安には莫妄想、己の恥ずべき強欲には自律的美意識で、主客の均衡を目指したい。
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