
最後のほうでは「観客の力。舞台芸術は役者と観客のスリリングな牽制によって作られるもの」という話があったり。受け取り手と作品の関係についても考えさせられる。実はこの授業のテーマは「シェイクスピアを批判的に楽しむ」なのだった。
読みたくなったシェイクスピア作品。『タイタスアンドロニカス』これずっと読みたい。一番私向きな気がしてならない。『尺には尺を』これたぶん十二国記のあるエピソードの元ネタや。作中でも生徒と一緒に鑑賞していて観たいと思った映画。『ロミオ+ジュリエット』。『O〔オー〕』。読みたいと思った本。『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』。アンドレ・バザンの『独裁者』の批評。『小海永二翻訳撰集4:映画とは何か』に入ってるらしい。
最近『マクベス』を読んで、あれはまさに魔女に言われた予言のほんの数言が物語になって襲いかかってくるという本だったので『「何者かになりたい」は呪いだ』というオビが刺さってしまったんだけど、いやーでも細かいところを言うと雑な本でしたね。オビで手に取った人かなりいそうだしオビが偉いわこれは。オタク文化についても推し活についても何も知らないし、私は東浩紀は動ポモしか読んでないけど、東浩紀のエロゲについての話はオタク目線でも完璧に正しかったから、東浩紀ってちゃんとオタクだったんだなーと思うなどしました。
しかも東畑さん自身もなんかの本で書いていたように、フロイト的な精神分析って言っちゃうとおわこん、というか今はかつてほど脚光を浴びなくなってしまったジャンルではあるんだよね。「うまくいかないのはあなたの過去のトラウマに問題があります」って、まあもちろんそういう人もいるんだろうけど、全ケースに当てはめられたらうざい思考回路ではある。この本読んで「冒険的カウンセリングやってみたい!」っていう気持ちが湧く人は多いと思うけど、自分の問題を解決するのに本当に冒険的カウンセリングが有効な手段だという人は少なそう。
関連した話題ではあるけどP175の図の、バイオロジカルな介入、ソマティックな介入、サイコロジカルな介入、コグニティブな介入、ソーシャルな介入という考え方は面白い。東畑さんに次に教えてもらいたいこととしては、近所のカウンセラーさんの有能無能の見分け方かなー。私のような物見遊山の客にとっては保険のきかないカウンセリングは高い(その人に必要だったら保険きくらしいけど私はきかないという話)
たとえば子供が明らかにメンタル要因っぽいけど「おなかいたいから学校行きたくない」と言い出したらどうすればいいのか。答えは、「ケアが先、セラピーは後」だから、まずは数日、何も言わずに休ませてあげないと駄目なんだよね。私は事実、体調が安定しない子供で、決して仮病で「熱あるから学校休みたい」と言ってたわけではなかったのだが、それでも両親に「気のせいでしょ。いいから学校行ってきなさい」などと言われたことはなく、いつもあっさり休ませてくれたことにより一層感謝しようと思った。あれがケアなのね。
カウンセリングの前は催眠での治療が主だったが、なぜか話を聞くだけで回復してしまった患者の話。転移の話も面白い。相談されても自分でも答えがわからない場合、どう答えればいいのか。カウンセリングの目的は正解を出すことではなく、対話を続けてつながりを保つこと(そしていつか終わること)なので、「私のほうでも考えてみますね。またこの話をしましょう」って言えばいいんだって!こんなこと誰にも教わったことない。ためになる~。
一方、ゼータを離れたズーフィリアには「ゼータの奴らは異常」と言われていたりするし、日本で見つけた素朴なズーフィリアは「わんちゃんとしたくて自分の異常性に悩む」と吐露していたりするし、この方針はゼータのズーフィリアに限定してのことなのかもしれないけど、人類がズーフィリアの理念を突き詰めて考えた結果の進化の方向のひとつではあるんだろう。
人類が理念を突き詰めていった結果性欲を失っていく話、と言ったら最近小説を読んで映画を観た『消滅世界』とも繋がっていく話題で、本を読んでいるとこういうのがリンクしていくのが気持ちいいんだよなと思うなどした。私自身は別に「性欲」をやめてもいいんだけど、人間の性欲によって生み出された作品の素晴らしさを思うと、今後これが生み出されなくなるのは損失だとも思うし、性欲が生きる意欲につながっている人もまあまあいると思うし。でもまあ、性欲が生み出した悪のほうが圧倒的に多い気もする……いやでもやっぱりな……。
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