85百年前にアナトリアから農耕民が移動してきて狩猟民は周辺に移動した。後に交雑がおこる。50百年前に今のウクライナあたりから牧畜主体の青銅器ヤムナヤ分化の主体がヨーロッパに入る。ペストを連れて来て、3/4を置き換えた。北方で影響が大きい。ヤムナヤがインド・ヨーロッパ語族だ。他のユーラシアでは置き換えはない。北上及び南ルートがあり、シベリア迄行ったのもある。ポリネシアにはアウトオブ台湾が進出。3万年前にシベリアに到達していたのが1.75万年には新大陸へ。民族というが、ゲノム上では純粋な民族などいないのだ。
2024年1月の読書メーター 読んだ本の数:13冊 読んだページ数:4724ページ ナイス数:242ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/307059/summary/monthly/2024/1 写真は某山で撮ったフキノトウ。
細胞の大きさは、1㍉の1/10の100㌨が植物の体細胞、10㌨が動物の体細胞、1㌨がバクテリア、0.1㌨がウィルスだ。好気呼吸は解糖系からクエン酸回路、電子伝達系でATPを獲得するが、概ね23~27分子だと。バイオテクノロジーでは3倍体の魚を作るという。卵を作らなくなった個体は、その分の栄養を体作りまわせるので大型化して寿命を延ばせる。血管内では血小板の活性化は抑制されている。毛細血管は破れやすく拍手でも破れることがある。植物は光周性があり、短日植物・長日植物・中性植物がある。連続した暗期の長さで決まる。
生態的ピラミッドは1段上がる毎に現存量(生物の平均体重×個体数)は1/10になる。遷移は火山荒野→草原→陽樹林→陰樹林となる。火山荒野は地衣類やコケ類の残骸が有機物として混ざることで土壌ができる。道路のない森林の中は穏やかな環境で、弱い生物が住む。熱帯雨林では養分が雨で流されるので根が浅い。生命の起源には熱水噴出孔説・表面代謝説・パンスペルミア説がある。電子供与体をH2SからH2Oにした化学合成細菌がシアノバクテリアの祖か。原生代の終わりからカンブリア紀にかけてカルシウム濃度が3倍になり外骨格が発達した。
サハラ以南以外のサピエンスは40万年前と6万年前の出アフリカ後直ぐにネアンデルタール人と交雑した。パプアニューギニアの人々にはデニソワ人のDNAが受け継がれている。サピエンスの化石はアフリカ全土から見つかるが、発祥地は不明だ。34万年前に分岐が始まり6集団くらいになる。初期農耕民の移動で拡散される。6万年前に東アフリカからユーラシア大陸に進出する。1万年で東アジア系統・ヨーロッパ系統・ユーラシア競う集団に分岐した。ヨーロッパでは最初の人類定着後に4万年前と1.4万年前に中東の狩猟採集民が進出し置き換わる。
85百年前にアナトリアから農耕民が移動してきて狩猟民は周辺に移動した。後に交雑がおこる。50百年前に今のウクライナあたりから牧畜主体の青銅器ヤムナヤ分化の主体がヨーロッパに入る。ペストを連れて来て、3/4を置き換えた。北方で影響が大きい。ヤムナヤがインド・ヨーロッパ語族だ。他のユーラシアでは置き換えはない。北上及び南ルートがあり、シベリア迄行ったのもある。ポリネシアにはアウトオブ台湾が進出。3万年前にシベリアに到達していたのが1.75万年には新大陸へ。民族というが、ゲノム上では純粋な民族などいないのだ。
これから抗体が作られた。だがタンパク質は完全なものではなかった。82年に琥珀の中の昆虫を顕微鏡で観察をすると細胞の中の構造まで保存されていた。86年にはクアッガの剥製からDNAの抽出が試みられた。脱アミノ化や脱塩基がおこっていた。ミイラのDNAを調べたがDNAの混入があった。当初は制限酵素でDNAを短く切ってプラスミドと断片を大腸菌に入れてDNAを増やしていた。今はPCR法(ポリメラーゼ連鎖反応)を使う。2本鎖のDNAを1本鎖にして、そこにプライマーを結合させてプライマーを伸長させる。温度管理でできる。
増幅したDNAをシークエンサーで解析する。次世代シークエンサーでは大量の塩基配列を解読できる。90年に『ジュラシック・パーク』が流行る。研究者も琥珀の中のDNAを求めた。琥珀は高温に晒され、紫外線にあたる。だから無理であった。2010年に2万年前には絶滅したネアンデルタール人の核ゲノムの遺伝子領域の読み取りができた。我々人類との交雑が分かった。両種のゲノムの比較で、生存能力が高い為に子を多く残した個体が増えると分かる。絶滅種の復活は、選択的交配、クローン製作、遺伝子編集で行われる。クローンは難しいようだ。
ゲノムはその生物の生存に必要な最小限の染色体1セットだが、生命の定義を変えたので先天的に受け取る全ての遺伝情報とする。核ゲノムにミトコンドリアゲノムを追加する。ヒト核ゲノムは遺伝子領域が40%で反復配列が60%。タンパク質遺伝子は全体の30%で、エクソンは全体の1.5%だ。RNA遺伝子は全体の10%だ。特定の遺伝子形質を規定する因子の遺伝子を特定の生理的機能を規定する因子とすると、RNAに転写されるだけで翻訳されないRNA遺伝子や反復配列で遺伝子の発現を制御するエピゲノム修飾のスイッチが遺伝子に含まれる。
個体形成は細胞の分化であり、生命はテロメアの短縮で老化し、ゲノムは子孫形成で受け継がれる。逆転写酵素の発見によりRNAワールドが成り立ち、40億年前に最初に誕生した生物の共通先祖から細菌と古細菌の先祖が誕生し、21億年前に核とミトコンドリアや葉緑体を獲得して真核生物となる。立襟鞭毛虫が接着する遺伝子を獲得して多細胞からなる後生動物が誕生し、今に繋がる。ヒトたらしめるものが何かは分からない。ヒト核ゲノムで増えたのはレトロポゾンのAluというSINEだが不明だ。文明には学習することが必要で、認知機能の変化か。
マクリントックはゲノム内を転移する遺伝因子トランスポゾンを発見し、ゲノムに動的な側面があることを示した。ビードルは特定の遺伝子が特定の代謝ステップを支配し、一遺伝子一酵素説を提示した。アヴェリーにより遺伝子の本体がDNAであることが明らかになる。シャルガフはDNAの塩基組成においてアデニンとチミン、グアニンとシトシンが等量であるとした。フランクリン、ウィルキンズ、ワトソン、クリックにより二重螺旋構造が解明される。メーセルソンとスタールにより半保存的複製やコーンバーグらにより複製の生化学的メカニズムが解明。
ジャコブとモノーによるオペロン説により遺伝子が作動し始める為の分子的仕組みが解明される。20種のアミノ酸は3つの塩基で指定されるコドンが解明される。DNAからmRNAに転写されてタンパク質が作られるセントラルドグマだ。分子遺伝学の成果だ。以後は多様な生物の様々な遺伝子の発現制御機構の解明が進んだ。DNAにはエクソンとイントロンがあり、イントロンの部分は選択的スプライシングされエクソン部分だけのmRNAが作られ翻訳される。DNAの塩基配列に依存しないエピジェネティック制御が環境に応答した遺伝子の発現制御だ。
定住して農耕を始めると土地が痩せてくる。植物には炭素・窒素・リンが必要だ。その栄養分を取られた土地に肥料として栄養分を戻さなくてはならない。植物は炭素を空気中の二酸化炭素から利用する。窒素は空気の8割を占める窒素分子からは利用できず、地中の硝酸塩を利用する。リンも地中のものを利用する。窒素が硝酸塩になり元の窒素分子になるのは微生物の働きによる。リンは水に流されて川・海に沈殿してリン鉱となる。最初の肥料は糞尿であった。回収して使った。足りないときは西欧では南アメリカの海鳥の営巣地の大量の塊を輸入したりした。
そして窒素は化学工業でアンモニアを作り、リンはリン鉱石から取るようになる。だがこれらの過剰は公害となっている。昔は多品種で害虫被害を回避していた。日本ではあまり見られないが、世界では広大な面積の畑を数人でトラクター等を使ってモノカルチャー農業がなされている。農作物の生産量の3割、収穫量の1割は害虫に食べられる。それを予防するため殺虫剤が作られた。だがDDTは目的とする害虫以外の生物も死滅させる。生物の多様性の危機となる。大規模な変化の反動で、地球からしっぺ返しを食らうのは時間の問題だ。智慧を出し合おう。
氷期から後氷期にかけての環境変動は高緯度地域ではより大きく、低緯度地域では少なかった。温帯環境が拡大し始め、中緯度地域の温帯林環境の拡大に対応して定住生活が出現した。何時でも何かが食べられる低緯度ではその日食べる食料を探せば良い。だが四季がある中緯度地域では採取不可の冬用の食料を貯蔵しなくてはならない。その貯蔵の為に定住が始まったのだ。一次植生の陰樹を開墾すると二次植生の陽樹や人里植物の競争がおこる。人にとり有用な植物を保護して採取する。不要な樹木は薪となる。この状態が栽培化であり、この先に農耕化がある。
漁撈が始まる。網を設置した漁撈は危険ではない。著者は理学博士であり、通説ではないユニークな学説は読む価値がある。口型動物の魚から進化して哺乳類では口型と手型に分かれた。その手型動物の最も成功したのが人類だ。二足歩行の原因は一般に疎林化に求めるが、著者は大型のヒヒ等が現れ、それに対抗する為に棒等の道具を手で使うようになり、手で棒を握ると樹上生活は不可能で下に降りたと。多くの動物は同種を殺さない。類人猿は殺すことがある。人類はこれを避けるために分配や言語を使って緊張を和らげるようになったのではないだろうか。
関東大震災は小田原で海溝型の面的断裂がおこり、10秒後に三浦半島下で断裂が続き、10㍍の津波を発生させたM8.1の地震と、その3分後に東京湾北部を震源とするM7.3の直下型地震を合わせて言う。約10万人が亡くなり、9割が焼死だった。竈の時代だ。全体的に見れば復旧レベルを大きく超えて近代都市東京を建設する立派な創造的復興となった。阪神・淡路大震災は明石海峡下から淡路島及び六甲山南麓に渡って断層が動いたM7.3の地震。盆地生成表面波と焦点効果で断層から離れた震災の帯で震度7を記録し、約6500人が亡くなった。
多くが圧死で1割が焼死。政府の初動は遅れたが、関東大震災や東日本大震災よりも効果的な良き全政府的な対処と復興を成し遂げた。私財に国費を投じてはならないとの建前で創造的復興は阻まれる。東日本大震災は海溝型のM9の大地震。死者は約2万人で9割が津波による溺死だ。創造的復興を国費で行う等復興面では優秀だった。だが原発事故では後手に回り、アメリカの信頼を失いそうになる。被曝の危険を顧みない自衛隊のヘリコプターによる放水で日本側が本気で原発事故に対処していると示し、日米間の暗雲を取り払った。公助が災害では大事だ。
日本地図に断層を書き込み、断層の動きから圧縮力の向きを書き込むと圧縮力の向きが平行な線で現れる。最初の実験の結果を測定したら、1年に5㍉くらい動くことが分かった。褶曲運動は今も行われている。日本は100万年前から活発な地殻活動を行っている。太平洋の日本近海でも地震はおこる。海の中なので断層を調べることはできない。三角点を測定すると南東に向かいゆっくり動いている。断崖段丘はゆっくり沈降して地震で大きく隆起する。今はGPSで観測することを自ら行いながら、現在の地震学に繋がる道を開いて行ったことが分かるのだ。
これが2番目。初学者に研究者の先輩として優しく語る。まずは褶曲のある地層近くに水準点標石を埋める事から始まる。海進と海退は隆起と沈降でおこるが、大陸の氷床により海面が下がることもある。地盤沈下は否地殻活動。関東大震災で江ノ島の様に隆起した所がある。海岸段丘になっている。地震の度に隆起か。東京湾・相模湾の段丘を調べる。地震でできた地表の断層を調べる。現場でみると過去の地震断層の跡がある。日本地図に断層を書き込む。すると南北型の断層は左ずれ、東西型の断層は右ずれだと分かる。断層運動は時と共に積み重なって行く。
②ベートーヴェンは19歳でフランス革命を経験する。ハイドンと師弟関係もあった。当時の交響曲は30分くらいだが英雄は50分と革命的だ。③④は同時に初演奏された。しかも6番の田園から演奏だ。運命は情熱ソナタと共通する。田園は他の作曲家が描く自然の情景を蹴散らかした。⑤シューベルトは31歳の人生と短いが、6百以上の歌曲を残した。⑤未完成は死の間際に作曲されたのではない。第2楽章までで人に託し、死後41年目に発見された。⑥ベリオールズは楽器を弾けない作曲家。演奏不可能な曲まで作る。この曲を越える曲はできなかった。
⑦チャイコフスキーはピアノ協奏曲第1番他があり第一人者であった。悲愴の公演の成功をした6日後にコレラで死ぬ。悲愴は私の人生だと。⑧史上初めてアメリカで作られた交響曲。チェコの人気作曲家がアメリカの音楽育成の為に招聘されて作った。⑨マーラーは生涯で10曲の交響曲を残し、11曲名を制作中だった。その最初の1番が巨人。第3稿まである。⑩今迄の作曲家は他の作曲家と交流を持っていた。革命後の作曲家であり、今度失敗したらスターリンの粛正にあう可能性がある中で成功させたのが革命だった。強制されたとの告白が疑義を呼ぶ。
9世紀に楽譜らしき物が現れ(ネウマ符合)、10世紀にドレミで唄うようになり、異なった高さで唄うオルガヌムが現れ、ポリフォニー(多声音楽)へとなる。②中世では音楽は神に向けての祈りの言葉だったが、ルネサンス期には人間の耳にとって美しく響くものになる。対位法により協和音程が出てき、響きが重視された。宗教改革後はプロテスタントではコラールが歌われた。楽器が現れる。③バロックでは劇的な形式と手法を通して感情の表現がされた。オペラができる。モノディー(通奏低音)が現れ多声音楽が否定される。楽器が声楽の代わりとなる。
協奏曲ができる。ヘンデル、ヴィヴァルディ、バッハがいた。④古典派は優美な旋律を中心とした艶やかに美しい判り易い音楽だ。交響曲ができた。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンがロマン派から手本とされた。逆にロマン派は小作品が中心となる。新しいものは進んでいる必要があり、ベートーヴェンを超えるのは難しい。国民国家の出現により民族音楽の旋律を取り入れる様になる。オッフェンバックのように娯楽音楽に進む者も。20世紀になると新しさが求められ前衛的になっていく。古楽復興運動がおきて各時代の音楽の価値が再認識されだす。
政策が政治で決められ、その政策を実施するのが行政だ。行政サービスは国と地方自治体で行われる。地域的な事柄を地域で決めて行うことを地方自治という。住民自治と団体自治だ。地方自治は基礎的自治体である市町村と広域自治体の都道府県で行われる。住民は地域の政治に参加し、自治体から平等にサービスを受ける権利があり、必要な費用を分担する義務がある。住民は長と議会の議員を選挙で選ぶ。地方自治体は大統領型の統治だ。選挙以外にレファレンダム・イニシアチブ・リコールや請願・陳情等がある。自治体の予算は1年間の政策を表している。
明治時代になり立憲国家になると藩が集められて道府県となり、村が集まり市町村となる。明治政府は自治体に委任した事務の処理に人民が参与させその経費を負担させた。戦後新憲法下で地方自治が憲法上保障されたが、機関委任事務が多く自治体の自由度が著しく低かった。99年に成立した地方分権一括法で機関委任事務が廃止され、自治体は自治事務と法定受託事務を行う様になった。だが三位一体改革が行われても国の補助負担金を通じた関与には変わりが無い。だが地域のニーズをよく知る自治体は住民の生活の質向上に向けて独自の政策を立てだした。
日本の所得税は全ての所得を集めて累進税を適用せず、多くの所得に分離課税を適用して金持ちに多くの負担を強いていない。消費税では税率を上げるにはインボイス方式が必要だ。政府は自分では仕事をせず政府関係機関や地方自治体にお金をだして仕事をさせる様にしている。人には生存に必要なニーズと、そうではないウォンツがある。前者は財政で賄い、後者は市場に任せる。財政は借金しない方が良い。建設国債は許される。赤字国債には内国債で発行されているので国家破綻はない。問題は所得の再分配機能が果たせず逆分配機能を持ってしまうことだ。
財政の危機は社会的・経済的な危機を解消できないことだ。日本は先進国の中で最も所得再分配機能が小さな政府だ。昭和時代は市場が行う所得分配が先進国の中で最も平等だった。1980年代から非正規社員が増え出し市場による所得分配が不公平を拡大し格差が拡大したが、所得再分配機能の小さな財政機能だけは残された。西欧は新しい労働市場に誰でも参加できるように教育を施した。日本は対応しない。財政責任を放棄した。これからは財政民主主義を機能させて、効率優先の市場が作り出す格差を財政の出動によって格差を是正していく事が望まれる。
政治は理想を求めるが常に理想と現実を考えて暴走してはならない。政治の情報はメディアから得るが、メディア情報はステレオタイプになりがちだ。視点をずらしてステレオタイプにならないように。政治家はその仕事の内容が分かりづらいので胡散臭く見える。小さな政府を目的とする保守派。大きな政府を目的とする進歩派。1990年の冷戦の終結により55年体制が動きだした。有権者から選ばれた議員で構成されるので国会が最高機関となった。公開の場で言葉による戦いがなされる。多数決は多様な主張の議論で合意形成されて行くことに意義がある。
国会は立法し予算を議決する。議会には与野党の活発な議論の場とする型と立法と国勢調査の場とする型がある。前者が日英、後者が米だ。政府には議院内閣制と大統領制がある。前者の三権分立は変形。政府は監視されてチェックされる必要がある。リスクの個人化・社会化の問題、裁量か普遍かの政策、により社会が変わる。普遍的政策でリスクを社会化すると西欧・北欧の政策に、普遍的な政策でリスクを個人化すると米の政策。日本は強者のつまみ食い。我々は様々な方法で声を上げて権利を主張することが大事。思ったより政治家は庶民の声を求めている。
民主党政権に対峙する為に戦略的に右寄りの保守系支持層を取り込んだ。国民政党の姿から遠ざかった。アベノミクスは、①大胆な金融政策、②機動的な税制政策、③民間投資を喚起する成長戦略であったが、②③に安倍は興味が無くカンフル剤でしかない①だけしかしない。日銀を政府の傀儡にした。安倍は財務省嫌いで経産省内閣であった。超円安による物価高で訪日外国人が安い安いと買い物をするのを眺める国にした。憲法改正を行わず集団的自衛権を閣議で決定した。政府を縛る憲法を無視した行為だ。憲法は権力が使い熟すとの御用学者の弁を利用した。
内閣人事局ができて官邸主導の恐怖人事が行われイエスマン官僚や忖度が広がった。その結果モリ・カケ・桜であり、働き方改革のデータ捏造だ。息吐くように嘘をついた。立法・行政の次に司法を牛耳ろうと凖司法である検察庁を特別法ではなく一般行政の国家公務員法で定年延長を図ろうとした。国会では束ね法案を使い、個別の法案の審議時間を短くさせるようにした。論点が多岐にわたり分散し、論点がぼやけることでわかりにくくする為だ。言論の自由確保の為の放送法を反対に解釈して言論の自由を威嚇したことが中でもとてつもなく悪いことだった。
グリコ森永事件は公安と刑事が対立して犯人を取り逃した。少年院の仮退院者の再犯率は25%未満。これを多いと見るか否か難しい。75%の少年にとって入院の継続は不要だからだ。裁判員制度が始まると裁判員は情緒的になり厳罰化に向かう傾向がでた。裁判がやたらビジュアル化して言葉が大切にされていない。自殺志願の殺人や身勝手な殺人がある。死にたい病苦老人と孤独な若者がそういうことをする。女性の殺人犯には動機を理解できない場合がある。尼崎事件は疑似家族の事件だ。当時の警察は民事不介入であり、今ではできない事件かもしれない。
グリコ森永事件で主犯の弟も聴取をうけていた。前科が或る者が温情判決受けていたのに凶悪事件をおこすと、前の判断を帳消しにする重い裁判になる。酒鬼薔薇事件の少年院でのプログラムは失敗したが、院と医師が結託して隠したと。元巨人の清原の薬物汚染は根が深いようだ。児童虐待は25年連続増加していて、2015年は10万件を超えた。これは警察を始め自治体も積極的な呼びかけをしたために認知件数が伸びたのではないか。少子化が進む中で児童虐待が増えるのは嘆かわしい。政府は総活躍社会を目指すが、自殺者はまだ多いままである。
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サハラ以南以外のサピエンスは40万年前と6万年前の出アフリカ後直ぐにネアンデルタール人と交雑した。パプアニューギニアの人々にはデニソワ人のDNAが受け継がれている。サピエンスの化石はアフリカ全土から見つかるが、発祥地は不明だ。34万年前に分岐が始まり6集団くらいになる。初期農耕民の移動で拡散される。6万年前に東アフリカからユーラシア大陸に進出する。1万年で東アジア系統・ヨーロッパ系統・ユーラシア競う集団に分岐した。ヨーロッパでは最初の人類定着後に4万年前と1.4万年前に中東の狩猟採集民が進出し置き換わる。