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2024年11月の読書メーターまとめ

松本直哉
読んだ本
9
読んだページ
4681ページ
感想・レビュー
9
ナイス
389ナイス

2024年11月に読んだ本
9

2024年11月にナイスが最も多かった感想・レビュー

松本直哉
鉄道で芽生えた恋は、鉄道による轢死とともに終わり、生き残った男も、鉄道に乗って死地へと赴く。鉄道ができて間もない時代、巨大な鉄の塊が遠距離を短時間で結ぶことへの新鮮な驚きと戸惑い、それが人間の感情にどのような影響を及ぼすかを考察した鉄道小説と言えようか。古い馬車時代の恋愛がリョーヴィンとキチイ、鉄道時代のそれがアンナとヴロンスキーとするのは単純化が過ぎるだろうか。馬車の速度なら目に見えていたものが、鉄道の速度ではもはや見えないことがある。どちらが不幸か問うのは愚問にしても、人間的な何かを失うのが鉄道時代。
松本直哉
2024/11/16 20:25

兄のスチーヴァが、浮気がバレて大喧嘩したあと仲直りして、表面的には平穏を取り戻したあとも、密かに浮気を続けて、家庭と恋愛を上手に両立させているのに、妹のアンナのなんと不器用なこと。自分の気持ちに正直に生きれば生きるほど、どんどん傷は深くなり、取り返しがつかなくなる。しかも、スチーヴァという男が、悪魔どころか、憎めない善良な男性として描かれているだけになおさら、誰に味方していいかわからなくなってしまう。

松本直哉
2024/11/16 20:41

二人の子ども、セリョージャとアーニャのその後が知りたくなる。嫌いな夫カレーニンの子なのに愛さずにはいられないセリョージャと、好きな人ヴロンスキーの子なのに愛着が湧かないアーニャ、この差はなんだろう。アーニャがカレーニンのもとに引き取られたという短い記述があるが、異父兄妹がどのように育ってゆくか、知りたい気持ちにさせられる。

が「ナイス!」と言っています。

2024年11月にナイスが最も多かったつぶやき

松本直哉

トルストイの戦争と平和全四巻をまとめてメルカリで買ったところ、三巻と四巻の見返しに、訳者工藤精一郎氏の妻への献辞が書かれていて、なんだかドキドキしてしまいます。どのようなドラマを経ていまここにあるのだろうと。

トルストイの戦争と平和全四巻をまとめてメルカリで買ったところ、三巻と四巻の見返しに、訳者工藤精一郎氏の妻への献辞が書かれていて、なんだかドキドキしてしまいます。どのようなドラマを経ていまここにあるのだろうと。
ななし
2024/10/28 21:53

お、お宝だ〜!と思いました。手放された方も事情はあると思うのですが、なんとなくもったいない気も…。古本買うのは新刊買うのとはまた違う面白さがありますね。

松本直哉
2024/10/29 08:12

奥付には平成15年とあってそれほど古い本でもなく、状態もよく、このような献辞があればもっと高い値がついても良さそうなのに、定価以下のお手頃な値段で、なんだか申し訳ないほどでした。

が「ナイス!」と言っています。

2024年11月の感想・レビュー一覧
9

松本直哉
たとえば今のフランス映画で普通に見られるディープキスも、19世紀末までは私的な場面でさえ破廉恥とされ猥褻罪に問われたとのこと。肉体嫌悪のキリスト教道徳が、つい最近までがんじがらめにあの国を縛りつけていた。その反動としての1968年の性革命がいかに劇的だったか、その極端から極端への振幅が激しすぎるようにも思えて、その反作用あるいは副作用もその後出てきている。先史時代から現代まで、それぞれの専門家へのインタビュー形式で駆け足に辿る愛の歴史は、我々の知っている恋愛がごく最近のものに過ぎないことを教えてくれる
が「ナイス!」と言っています。
松本直哉
健常な異性愛者のための恋愛論を読んでも少しも面白くない。「愛する人を見て触れて…」「ひとめぼれ」など、目の見える人々のためだけのことば。美によって恋に目覚めるというときも、視覚的な美が前提される。目の見えない人は恋愛しないのだろうか、いやそんなはずはないだろう。ハンセン氏病に冒されて容貌の変化した患者同士に恋が生まれる場合を考えれば、美しいから恋に落ちるともかぎらない。男はこういうもの、女はこういうものという粗雑な性別二元論も退屈だ。ユニバーサルでインクルーシブな恋愛論こそ、必要とされるものなのに。
松本直哉
2024/11/28 17:40

いつから人は男女間の恋愛を至上のものと考えるに至ったかを含めた恋愛の歴史、視覚を基本的な認識手段とする西欧文明のルッキズムへの偏向、異性愛主義やロマンティックラブイデオロギーが優勢となっていくとともに、それに当てはまらない同性愛やトランスジェンダーが排除されてゆく過程に興味があり、手に取ってみました。

ヴェネツィア
2024/11/28 17:44

私には具体的なアイディアはありませんが、もっとずっと古そうな気がします。

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松本直哉
身辺や時事を詠みこむことはあってもそれが主観の表出とはならず、何か神話的な象徴を帯びて異なる時空とつながり、ギリシャの神々やマーラーや宇宙と手を取り合って詩的世界を形作る歌人の、時にはユーモアを交えた軽やかで涼しげな歌の数々に、久しぶりに短歌を読むことのたのしみを満喫した。「サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい」「セラフィムが日記をつける ケルビムが日記を破る 洋梨の汁」「少年のイエスはじめて十字架という言葉を聞きし日はいつ」「洗顔の人となりつつまなうらにひろがる銀河とおりぬけたり」
松本直哉
2024/11/27 13:52

「たなばたの日の歯科医院にんげんの小暗き洞を覗ける女」「友情の西からのぼり恋人の東へしずむまぶしき馬よ」「みぎに滝ひだりにから鴉従えて春のあしたの散歩にぞ出る 」「十二人の妻にかこまれ時計(クロック)の針の男神はとどまらざりき」「撥音便ひとつ持つゆえ潔き人の名なりきいや離りゆく」「接吻に音階あるを知らざりしころより咲けるさ庭の百合よ」「春夏と秋冬四人の夫持つ女神の息に髪吹かれいる」「右側と左側とがうつし世にあるさみしさや君とあゆめり」「矢筒には花をみたしめ花瓶には矢をみたしめよ歴史負う民」

松本直哉
2024/11/27 16:00

打ち間違い「みぎに滝ひだりにから鴉従えて」→「みぎに滝ひだりに鴉従えて」

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松本直哉
描かれるのは異なる二つの義絶、一つは親の認めない相手と駆け落ちしたナターシャ、もう一つは身勝手な父に捨てられたネリーであるが、前者が、愛憎のもつれの末に啐啄同機のようにして互いに歩み寄り和解するのと反対に、後者のネリーは最後まで父を憎み続け、貧窮のどん底にあっても決して父を頼ろうとせずに、悲劇的な結末を迎える。わずか十三歳の少女の、父性的・父権的なものに対する、野生の獣のように狷介な不信のまなざしが印象的。あたかも、父なんていなくても私たちは生きていけるし、生きていきたいのだ、と主張するかのように。
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松本直哉
鉄道で芽生えた恋は、鉄道による轢死とともに終わり、生き残った男も、鉄道に乗って死地へと赴く。鉄道ができて間もない時代、巨大な鉄の塊が遠距離を短時間で結ぶことへの新鮮な驚きと戸惑い、それが人間の感情にどのような影響を及ぼすかを考察した鉄道小説と言えようか。古い馬車時代の恋愛がリョーヴィンとキチイ、鉄道時代のそれがアンナとヴロンスキーとするのは単純化が過ぎるだろうか。馬車の速度なら目に見えていたものが、鉄道の速度ではもはや見えないことがある。どちらが不幸か問うのは愚問にしても、人間的な何かを失うのが鉄道時代。
松本直哉
2024/11/16 20:25

兄のスチーヴァが、浮気がバレて大喧嘩したあと仲直りして、表面的には平穏を取り戻したあとも、密かに浮気を続けて、家庭と恋愛を上手に両立させているのに、妹のアンナのなんと不器用なこと。自分の気持ちに正直に生きれば生きるほど、どんどん傷は深くなり、取り返しがつかなくなる。しかも、スチーヴァという男が、悪魔どころか、憎めない善良な男性として描かれているだけになおさら、誰に味方していいかわからなくなってしまう。

松本直哉
2024/11/16 20:41

二人の子ども、セリョージャとアーニャのその後が知りたくなる。嫌いな夫カレーニンの子なのに愛さずにはいられないセリョージャと、好きな人ヴロンスキーの子なのに愛着が湧かないアーニャ、この差はなんだろう。アーニャがカレーニンのもとに引き取られたという短い記述があるが、異父兄妹がどのように育ってゆくか、知りたい気持ちにさせられる。

が「ナイス!」と言っています。
松本直哉
クローゼットに閉じ込められて、いないことにされて、小声で囁かれるか忌み嫌われるかだけだった女性同性愛を、堂々と真正面から歌いあげようとする歌人の姿勢がうかがえる歌集。深爪に込められた深い意味、香水や化粧品のやり取り、この世界にふたりで生き残ることへの決意、私が産んだかもしれない幻の娘の幻想などが文語を基調としつつも時折口語が混じる文体で歌われる。少し長い感想をブログに書きました。https://francoisdassise.hatenablog.com/entry/2024/11/13/134058
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松本直哉
産業革命の発祥の地マンチェスターにおける労働者階級の悲惨な状態(若きエンゲルスも目撃した)、貧窮極まってアヘンに溺れたり女性は売春したり、しかしそれを変えていこうとする労働運動に身を捧げたメアリーの父ジョンの行動的な生がきわやかだが、その行動が一つの事件を引き起こしたことで物語が大きく動き出し、冤罪の思い人を救うために東奔西走するメアリーの活躍が目覚ましい。労働者の敵であり被害者の父でもある資本家カースンによる赦しと和解はいささか作り事めいているが、たとえ虚構でもこのような寛容の物語を皆欲していたのだろう
が「ナイス!」と言っています。
松本直哉
アンナの視点で見るカレーニンはただのうざいおっさんだったが、その彼が、不義の子を産んだ後の産褥熱に苦しむアンナを見舞い、ヴロンスキーと握手して全てを許す場面では、この男の意外な側面を見た。彼が百%の悪であるはずもなく、ただ間違ったり鈍感だったりするだけなのだ。しかし彼が許したことで何も解決しないばかりか、彼女が家を出て、セリョージャを孤独に育てるところはなんだかしんみりする。善意は空振りに終わり、一度狂った歯車はもはや元に戻らない。かといってアンナとヴロンスキーがうまく行くかと思うとそうでもない。
松本直哉
2024/11/09 21:38

リョーヴィンの脇筋では、田舎くさくて垢抜けないけれど純真な男の、ついに意中の人に思いを通じる場面の初々しさが印象的。農村経営での彼の迷いと苦悩、近代的な設備や学校教育の重要性を認識しつつ、もしかしたらそんなものは全て余計なことで、そんなものなしでも農民たちは十分やっていけるのではないかという洞察、西洋近代文明を盲目的に崇拝するのではなく立ち止まって懐疑する、しかしこの流れは不可逆的という悟りもある、そのあたりの堂々巡りの思考、わかる気がする。学校なしでやっていければこんないいことはないのに。

が「ナイス!」と言っています。
松本直哉
不幸な家族はどこもその趣が異なっているという冒頭の命題についての例示として、対照的な二人の不義を描く。不義を行う主体が夫の場合がオブロンスキー家、妻の場合がカレーニン家。前者において、姦通した夫に妻が激しく怒って夫も反省し、少なくとも表向きは雨降って地固まるのに対し、後者では、妻の不実を知った夫はその現実とまともに向き合おうとせず、ただ世間体ばかり気にして、喧嘩にさえならず、公然の秘密となったあとは妻が後ろ指をさされ、更に妊娠のリスクを負う。浮気をするにしてもされるにしても、男の方が何かと気楽なのだろうか
松本直哉
2024/11/05 20:44

高校生以来の再読だが、戦争と平和よりもこっちのほうが面白い。アンナとヴロンスキーが初めて出会う場面での鉄道員の轢死事故が暗示的で、この長編の最後のもう一つの轢死と対をなしていると言えよう。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2013/02/17(4324日経過)
記録初日
2011/08/10(4881日経過)
読んだ本
1142冊(1日平均0.23冊)
読んだページ
373228ページ(1日平均76ページ)
感想・レビュー
1119件(投稿率98.0%)
本棚
24棚
職業
自営業
現住所
大阪府
URL/ブログ
https://www.instagram.com/francois708/
自己紹介

兼業主夫です

アイコンは エドワード・バーン=ジョーンズ Edward Burne-Jones です

見た映画の感想をこちらに書いています

https://filmarks.com/users/francois708

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