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2024年4月の読書メーターまとめ

ましろ
読んだ本
26
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6782ページ
感想・レビュー
17
ナイス
285ナイス

2024年4月に読んだ本
26

2024年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ましろ
どれもそれぞれに味わい深い読み心地ながら、一番印象に残ったのは、正宗白鳥の「胃弱者のたべもの観」だった。これぞ文章の滋味というべき深みを感じ、結びの言葉に痺れてしまう。西洋崇拝の人々への苦言や料理、文学にもふれ、胃弱者ならでは、宴会では皆が食べ尽くすのを不思議に傍観する。想い出補正や、人が旨いと言うならば旨いと思って食べて見る正直さが、何だかとても良い。梅崎春生の「腹のへった話」の究極まで我慢した先の空腹を満たす旺盛な食欲は、頷くことしきり。やはり幼少期の食や鮮烈な記憶は、その後も一生を支配するのだろう。
が「ナイス!」と言っています。

2024年4月の感想・レビュー一覧
17

ましろ
読めば読むほどに「退屈読本」という絶妙なタイトルに唸る。なかなかどうしてツレナクも読者を巻き込む潔い語り口に、いつしか呑まれて始終微笑んでいる。嗚呼知らぬ間に魅せられていたと思う頃にはもう文章の虜になって、いざ下巻へと前のめりになっている。とりわけ心掴まれてしまったのは、当時の文芸作品について容赦なく自分の思いを書いているところ。語り口の為せる業か、滋味と諧謔まじりに、不快には感じさせない可笑しさで読ませる。作家たちを語る言葉にも熱が込められ、とりわけ上巻の最後の里見弴に関する言葉は嗚呼何とも愛しきかな。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
異国を見つめる眼差しに惹きつけられてゆく。立ち入ることと立ち入るべきではないことの狭間で、廃墟に見る退廃の美やそこに生きた人々の姿を巡らせ、植民地に深く根ざす生活や言葉のやり取りに、罪の意識を伴う公平な立場で接している。ほんの漫遊というには重くもある旅路に時代と年月の根深さ、変化する心を感じる。通訳では伝わらない人と人との間に生じる行き違い、発する言葉の裏側に巡らせる人生の物語が文章に滲み、ときに鋭く、無関心ではいられない。懲りもすれば、期待もする。土地に伝わる話は創作意欲を刺激したことがわかる熱を思う。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
一篇一篇読み進めるたび、目を閉じ、じんと胸の奥深くに響く余韻に浸った。懐かしい感情が疼く。戻れない日々を巡らす。今なおある心残りさえ、すべてはこんなにも愛おしむべきものだったような心地になる。とりわけ「うけとり」と「尋三の春」が、いつまでも根深く残る幼き日の苦い記憶を呼ぶようで忘れ難い。子ども心とその心を理解しない大人の言葉、そこにある見えなくも確かに感じる隔たり、言葉にならなかったもどかしさに、ぎゅっと心締めつけられた。その心を思わず抱き留めたくなる。その他「竹の花筒」の結びがたまらず良くて親心を思う。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
改めて読む言葉に何度もはっと省みる思いになる。問われ、立ち止まり、自分に問い、自身と向き合う。忙しない日々の中で、本当の意味で大切なことを自らに問う時間の必要を巡らせた。言葉にできること、できないこと、その狭間に揺れながら、この世で簡単なことに思われていることが一番難しいという言葉にどこか救われた。目的もなく、ただ歩くことに楽しみを見出してもいいのだ。ありふれた光景の中にも真実があるし、何気ない目の前にも幸せがある。物語の始まりを巡らせてみる。見失いたくない言葉がここには在る。そう思える心も大切にしたい。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
データとして残る関東大震災ではわからない、細やかな一人一人の生活の声を文章から感じ取ることができる。多くの作家が手記や証言を残した理由、その時代背景や当時盛んに組まれた特集もあり、商業的な意味合いも含みつつも、作家たちのそれぞれの思い、事象との向き合い方、立ち位置など、どれも興味深い。生活者の細部が伝わる、武者小路実篤の「用意はいいか」は、とりわけ生々しいまでの体験の言葉を見たように感じた。人間が生きる道を見出すために必要なもの、その先へ向かうための、安心に結ばれるための、根源的なものを見つめる言葉だと。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
どれもそれぞれに味わい深い読み心地ながら、一番印象に残ったのは、正宗白鳥の「胃弱者のたべもの観」だった。これぞ文章の滋味というべき深みを感じ、結びの言葉に痺れてしまう。西洋崇拝の人々への苦言や料理、文学にもふれ、胃弱者ならでは、宴会では皆が食べ尽くすのを不思議に傍観する。想い出補正や、人が旨いと言うならば旨いと思って食べて見る正直さが、何だかとても良い。梅崎春生の「腹のへった話」の究極まで我慢した先の空腹を満たす旺盛な食欲は、頷くことしきり。やはり幼少期の食や鮮烈な記憶は、その後も一生を支配するのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
読み進める先々で、酔うがごとくに彼方此方で笑ってしまった。飲まない者としては金子光晴の文章に思わず心を寄せ、損な人生や耽溺性に思いを馳せながら、敢えて選ばない理由の深みにはまり込んだ。小沼丹の「のんびりした話」の絶妙なる味わいは、庄野潤三とのやりとりも相まって忘れ難い余韻がある。酒の席での記憶をなくす話が忘れ難く残る妙がたまらない。藤枝静男のことを書いた立原正秋の文章の次に藤枝静男が続く流れもさらなる面白さで、吉行淳之介の洒落気を堪能した心地になる。なだいなだの文章のリアルゆえの可笑しさも半ば沁みてくる。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
時代の光と影が立ち現れると、やはり若き日は夢のごとく感じられもする。同じ時代、同じ土地に生まれながらに運命がわかれること、自分の僥倖を思い、冷ややかに人間の運不運、幸不幸を見下ろす、神の不公平や気まぐれを巡らす箇所がどうにも忘れ難く残った。自叙伝的内容を持つ虚構談と著者は語るが、それでも奥底に在る真実が其処彼処に感じられ、心打つ言葉と出会う。文学への目覚めを始め、自分なりに生きようとする少年たちの姿を見守る。そこに反逆心があれ、自らの力で歩もうとする思いを見つける。エピローグもしみじみと良く、じんときた。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
怪異話は苦手ながら、虚構と事実のまじる不可思議な話や夢話に絶妙な説得力があり、すっかり魅せられた。とりわけ「夢に荷風先生を見る記」や「山の日記から」の泉鏡花、芥川龍之介、谷崎潤一郎、実在する書物に思わず前のめりになった。偶然の同じ日、忘れていたことの胸騒ぎにも似た流れ、雨、犬の声、芥川の書いた怪物屋敷での芝居、柿の木、目が覚めてもそのままに残る寂しさ。夢の中でも実生活を脱することのできない自身に向けられた言葉が何だか妙なくらい沁みた。続く展開にも魅せられ、詩的な文章に感じ入る。雨が晴れた先があることにも。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
言葉になる思いとならない思いの狭間に始終漂う心地で、ただ向かう先を見守っていた。明確ではなくとも伝わって欲しい思いが滲む言葉選びや、相手の出方を探り探りの切なる立ち回りは、それだけでもう、もどかしくも惹きつけて止まない人の心の複雑、その逡巡を描き尽くしていた。当事者でありながら、本人の知らないところですっかり話がついている立場を巡らせば、それでも心から思う存在に安堵する。愛すること、好むこと、友情の様々なかたち、犠牲の伴わない愛や関係性はないと改めて見つめる思いになり、未完ながら結びの美しさを噛み締めた。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
たどり着くべきところへ向かうまでのもどかしさを巡らせば、半貴石であることが腑に落ちてゆく。生きてゆく限り続く別れや喪失、意識する、しないに関わらず、変わりゆくものを人は皆、自分なりに受け入れることを繰り返す。正しい、正しくないではない、仕方のないことも含めて、様々に翻弄されながらのそれぞれの人生があることをはっと改めて見つめる思いになった。長編小説と短編小説のそれぞれの魅力にも思いを馳せながら、こうして魚住陽子作品を読めることの感慨にも浸る。もっとその先を読みたいと思うもどかしさと作品が結ばれた気がした。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
読み終えてみると、何とも絶妙な愛おしい題名に頷き、それだけでいつまでも浸れてしまう。思わずそう呼びかけたい、会ったことはなくとも折にふれ寄り添う、読む者の中に続く感情が疼く。作品に惹かれるのはもちろんのこと、その背景と共に、噛み締める人生の深さと包み込むような人物への理解は、大きな肯定の中に展開されていて快い。作品の中に滲む心根、弱さも正直さも、不運続きも悲惨も含め、彼を彼たらしめているものをまるごと受け止め、その先に在る人間への愛着、引き受けた人生への肯定を感じ取る。生きることも悪くないと思えるような。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
さらりと描く言葉の奥で感情が疼く。読みながら幾度もじんとくるものがあった。底には底がある、という理不尽な状況下、呆れるほどの様相がある。滑稽の中にいる悲惨と、それでもなお生き抜く市井の人々。辺境の地に在ってもなお飄々と生きる著者の精神に心打たれた。帰還後の夫婦の会話も忘れ難く描かれ、みさをさんの言葉からも当時の壮絶が伝わる。血の繋がりではない似姿には、思わず年月と心情の深さを巡らせる。墓地を巡る思いも実感を伴う確かな言葉が沁みてくる。軽石やツゲの木をめぐる話、尾崎一雄とのやり取りも何とも絶妙な良さがある。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
何度も嗚呼良いなあ、好きだなあと文章を噛み締めるように味わう。読み終えるのが惜しくてたまらない気持ちになる。絶妙な人との関わりやそのやり取りにふふとなったり、電話を躊躇い手紙を書くことに頷く。会えるうちに会おうという言葉やいずれまたがなくなることに、人のさだめを改めて知らされる。ユーモアを交えて語られる言葉に一つ一つ感じ入りながら、様々な書物を知る。好きな本が多く語られているとたまらなく嬉しくなり、至福の読書時間を贈られた心地にもなった。とりわけ杉本秀太郎や富士正晴、多田道太郎についての文章が心に残った。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
底の奥底を知っているよう。知っているからこそ、淡々と生きるのだと文章の其処彼処から感じる。敗戦後、生き延びるための職。飄々と、それでも揺るがないものを抱えながら、思いもよらないものも含め、現実をつぶさに見ている。出会う人々、とりわけ女性たちとのやり取りは、ぐっと物語に引き込み、どの人も皆様々な事情を抱え、生きる道を探りながら、今在ることを耐え、歩もうとしているように映る。ときにどこか呑気にも思える言葉に隠した心情を巡らせば、どの人も逞しく、どの人もどこか愛しく思えた。生きようとしている人の姿皆に感じ入る。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
無意識を言葉として理解する。自分の中に抱える「私」を、他者も同じように、それぞれに抱えていると意識する。そうして見えてくる社会や、その折り合いを思うのと思わないのとでは、やはり他者との接し方、自己の見つめ方も異なると感じた。普段意識せずに過ぎ去ることを言葉として巡らせば、内なる対話にもなるだろう。理解の過少と理解の過剰を巡らせば、人と人との間にある技法の入り込めない領域を知る。わかり合えないながらに一緒に在れる、安易な理解に着地せず、わからないでもいられる共生のかたちを、丁寧に探り続ける必要を見つめ直す。
が「ナイス!」と言っています。
ましろ
日々本を読む中で出会う思いに共感し、ううむとなり、また頷く。本を好きな人ならば、読みながらきっと自分の内に問う思いを巡らせるだろう。改めて見つめる豊かさがあり、本に纏わるあれこれに思い出が疼き出す。自分以外の人にはどうでもよいかもしれないけれど、ゆずれないものを人は内なる部分に持っている。無意味さを自覚してもなお、こう在りたい自分が在る。些細かもしれないけれど、些細ではない。空しい苦悩さえどれも愛しいのだった。旅と本を巡らせ、戻らない時間を懐かしむ。本はいつでも友として近いところに在って欲しいと切に願う。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2008/07/21(5764日経過)
記録初日
2004/09/24(7160日経過)
読んだ本
3673冊(1日平均0.51冊)
読んだページ
793273ページ(1日平均110ページ)
感想・レビュー
1459件(投稿率39.7%)
本棚
34棚
自己紹介

あくまでも自分のための記録、読みたい本の管理の場として。ただただ黙々と、興味のままに読み耽る愉しみ。日々の慰め、その繰り返し。
無理なく気持ちの赴くままに、感想やレビューは書いたり、書かなかったり。

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