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2024年3月の読書メーターまとめ

buuupuuu
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感想・レビュー
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218ナイス

2024年3月に読んだ本
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2024年3月のお気に入られ登録
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  • フクロウ

2024年3月にナイスが最も多かった感想・レビュー

buuupuuu
ネタバレ舞台はコロナ禍であり、アメリカでのBLM運動や連邦議会襲撃事件などを踏まえて、日本でそのような運動や暴動が起こるとしたらどのようになるのかを描いた話だと言えるのかもしれない。それがエンタメ要素の強いものであり、理念よりも個人のキャラクターに焦点を合わせたものになってしまっているというのが滑稽でもあり、リアルであるようにも思えた。登場人物の背景が特殊なので序盤は感情移入しにくかったが、亜八が清掃の仕事や有吉との関係の中で居場所を獲得していく場面は、陳腐なようで、この話の中で一番良い場面であるように思った。
が「ナイス!」と言っています。

2024年3月の感想・レビュー一覧
9

buuupuuu
ネタバレ舞台はコロナ禍であり、アメリカでのBLM運動や連邦議会襲撃事件などを踏まえて、日本でそのような運動や暴動が起こるとしたらどのようになるのかを描いた話だと言えるのかもしれない。それがエンタメ要素の強いものであり、理念よりも個人のキャラクターに焦点を合わせたものになってしまっているというのが滑稽でもあり、リアルであるようにも思えた。登場人物の背景が特殊なので序盤は感情移入しにくかったが、亜八が清掃の仕事や有吉との関係の中で居場所を獲得していく場面は、陳腐なようで、この話の中で一番良い場面であるように思った。
が「ナイス!」と言っています。
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オースティンやサールによれば、発話は慣習によって定められた条件を満たすことによって言語行為とみなされる。それに対して著者は慣習よりも意図を重視する。話し手は聞き手に何らかの信念を持たせたがっているか、あるいは何らかの行為をさせたがっている。それを確認することで言語行為は成り立つという。意図の確認は命題を提示することで行われる。提示された命題が話し手や聞き手によって実現可能か、どちらかにとって望ましい事態を表現しているか等々を勘案することで意図が解釈され、どの言語行為がなされているのかが定まることになる。
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いわゆる分析哲学の文脈にハイデガーを置いて、現代的な議論とハイデガーの哲学の両者について光を投げかける。この接続は無理矢理なものではない。というのも分析的潮流の中には、ハイデガーに言及している哲学者たちがいたし、彼と議論状況や哲学的背景を共有しているような哲学者達もいるからである。たとえばアンスコムもハイデガーもアリストテレス解釈を下敷きにして行為論を展開している。ハイデガーといえば、訳が分からない、難しいという印象だが、近づきやすくなったような気がする。そろそろ『存在と時間』を読むべきなのかもしれない。
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心と物は同じ素材からできており、異なる文脈の中で、この素材が心や物としての身分を獲得していくのだとする。この素材を純粋経験と呼んでいる。感情的事実や価値、二次性質などを、私たちは対象の性質としたり心の性質としたりする。この両義性はそれらが属する文脈の曖昧さによって説明される。古典的な経験論は経験を原子から成るものと考えるが、ジェイムズは関係もまた経験に含まれるとする。これはゲシュタルトのようなものだろう。活動性もまた経験に含まれるとし、還元的ではない仕方で全体と諸部分の活動性の関係を問うべきだとしている。
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『哲学入門』や『論理的原子論』の頃のラッセルの解釈を通じてセンスデータ論を復権させようとする試み。センスデータ論が現在不人気なのはそれが基礎づけ主義の文脈で捉えられているからである。著者によればラッセルが応答しようとしたのは懐疑論ではなく「相反する現れ」の問題だという。センスデータ論は信念体系を整合的にするための仮説である。この点でそれは他の現代的な知覚論よりも秀でているという。面識の対象が仮説的に立てられるのは奇妙だが著者はサブパーソナル・レベルという考えや不完全記号の説によってその印象を和らげている。
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下巻では、回心後に示される様々な聖徳とその価値、そして神秘体験が論じられる。面白いのは、バランスを欠いた極端な聖徳はかえって悪徳であるとするところ、そして絶対的な理想型というものはなく、様々な状況へのそれぞれの適応があるのであり、評価の観点も一つではないとするところだ。ジェイムズは宗教の本質を上位の力との結びつきによって肯定感を得る経験に求めている。宗教においては生きることそのものが重要であり、知解することは二次的な事柄だということだろう。とはいえ、ジェイムズは多神論的な形而上学を構想しているようだ。
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ストア派は耐えるように人生を受け入れるが、宗教は喜びをもって受け入れる。この違いを成り立たせている心的経験はどのようなものか。上巻では、実在感、善いものだけに集中しようとする態度、逆に悪いものから目が離せなくなる性格、回心とは潜在意識下で進行していた統合過程が表面化したものだとする解釈などが論じられる。意見の価値はその起源ではなく効果によって測られるべきだというプラグマティズムや、人間の経験は多元的であるという見解など、ジェイムズ特有の思想も披露されている。手記などの引用が多数なされていて読みやすい。
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人には公と私の両方が必要で、両者は区別されなければならないと、ローティは言う。「本音で語る」政治家や、ゾーニングを無視した性的コンテンツ、あるいは何気ないポストが炎上してしまう場合など、現代にはたしかに公と私の境界が曖昧になっているような事例が沢山ある。普通は公に私を持ち込むべきではないということが言われるのだと思う。なるほどと思ったのは、現代ではむしろ、公が入り込んでこない私的な空間やボキャブラリーをいかにして確保すべきなのかということが問われているのかもしれないと、著者が述べているところである。
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徳倫理学の入門書。ヌスバウムとマッキンタイアを現代的な徳倫理学として、互いに補い合うものとして紹介している。徳倫理学は、原理ではなく、熟達者の判断という概念に訴える。思慮や中庸といったものはその内実を明確化できないことが弱みであるように見える。しかしこれは、倫理的状況というものの性質に由来するものだと言えるのではないか。私達は現実の状況に理想をそのまま当てはめることはまず出来ないが、かと言って開き直って現状追認に走ってしまうべきでもない。思慮というのは難しい状況の中で舵取りをすることなのだと言えそうだ。
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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2010/03/07(5166日経過)
記録初日
2010/01/26(5206日経過)
読んだ本
1593冊(1日平均0.31冊)
読んだページ
466600ページ(1日平均89ページ)
感想・レビュー
367件(投稿率23.0%)
本棚
10棚
性別
自己紹介

哲学科卒。ミステリなどを読みます。

参加コミュニティ1

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