
あと感想に入れられなかったのですが、ソフトウェア化してコピーが何体も作れるなかで自分とは何かとか、ヤチマが「意識の不変量」を探求するようにやはりアイデンティティの問題が通奏低音のようにあって、その辺も気になりました。どうでもいいのですが、最後パオロがヤチマとの子作り(?)を拒否するところは、その辺ドライそうだったので意外でした。恋人とかの概念はあるけどそれとこれとは別なのかと思ってた。イノシロウとブランカの家族の話を考えるとこの世界、親が二人とは限らなそうですが。というかパオロはオーランドと誰の子なの?
『神の亡霊』と中島義道のカントの本、久しぶりの古井由吉が面白かったです。遅くなりましたが今月もよろしくお願いします。2025年9月の読書メーター 読んだ本の数:7冊 読んだページ数:2014ページ ナイス数:1149ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/596110/summary/monthly/2025/9
syaori さんなら大丈夫ですよ😊 あっ、ケイさんの『黒人理性批判』のレビューに対する僕のコメントもお読み頂きありがとうございました。あの著作もカントの純理に引っ掛けてなかなか内容が深かったです。syaoriさんにもお薦めです😊
Majorさん、ありがとうございます。『黒人理性批判』は噛み応えしかなさそうな本なのに立ち読みであれだけ読めるんだなと思いながら拝見してました。今、カントへ向かうテンションを上げるために中島先生の『カントの時間論』に手を付け始めたので、それが終わったら探してみます。
syaoriさん、おはようございます😊 「理性の役割が分かるような分からないようなふんわりした感」→この感性は大事だと思います。そもそも認識論は、感性と悟性(他の主にデカルトなどの大陸合理論の哲学者が理性と呼んだもの)の能力で十分にデカルト以来の認識論、身心二元論を止揚するものであり、この二つの能力とその相互作用を論証するだけでも、認識論はとしてはまとまっているわけですから。このいわば新しい概念としての理性(の権益)を見出したことが、カントの超越論哲学の肝であり自由の哲学車と呼ばれる所以です。
「デジタルメディアにおける情報の即時性やコミュニケーションの双方向性は、ファッションを加速度的に変化させているように思えます。しかし、デジタルメディアを流れるイメージは、従来のファッション誌で再現されていた理想的な女性像や男性像を踏襲したものが多いということを見のがしてはなりません。」「ファッションを伝えるメディアは各時代の技術発展とともに進化してきましたが、ファッションがメディア上でのイメージ化をベースとして生成されるという構造自体には、いまだ本質的な変化は見られないのです」
という指摘はそのとおりだなと思いました。ちなみに「ファッションを考える/ファッションで考える」はこの集中講義のタイトル。どうでもいいのですが、いろいろ言われますが一度コルセットは締めてみたい。バルザックの女性たちな気分を味わってみたいので。どうせ着るならバッスルスタイルが好きなのでそちらの方がいいですが。
Majorさん、こちらこそ忙しいなか読書会や展覧会も欠かさない姿勢とフットワークの軽さにいつも敬服しております。『侍女の物語』は読書メーターに登録する前から読もう読もうと思っている本なのですが、毎回、フェミニズム文学への苦手意識×500ページ超で「まあ、いいか」となりがちでした。しかしそろそろ本当に読み時なのかもしれません。この本を読んだのと「ディストピア小説の傑作」というMajorさんのお言葉とで頑張ってみたいと思います。
syaoriさんがお読みになればまた鋭い考察と豊かな想像力から素晴らしいレビューを読むことができそうに思います。読みやすいですよ。僕は読書会のお陰様で海外現代文学に親しむ機会を得て、この『侍女の物語』で文体や技法にようやく馴染んできたところです。しかし読書会がなかったら、おそらくジョイス•プルースト•ムージルあたりまでで打止めだったと思いますから、得難い読書体験をしています。レビューUPまでには長い熟成期間が必要になりそうですが😅
「それは脚が四本、腕が四本の生物で、腕の一本を頭上高くにのばしている。指はない。(略)足の一本の先は、六番目のマクロ球にはいりこんでいた。うえにのばされたトランスミューターの腕のいちばん高いところは、いまヤチマたちがいるレベルのすぐ下にあって、さらに上にむかってのばされていた。無限上の数のレベルにむかって。その生物が決して見ることも、決して触れることも、 決して理解することもないだろう、すべての世界にむかって」/読んでいて無駄に感動したトランスミューター様のお姿を。
あと感想に入れられなかったのですが、ソフトウェア化してコピーが何体も作れるなかで自分とは何かとか、ヤチマが「意識の不変量」を探求するようにやはりアイデンティティの問題が通奏低音のようにあって、その辺も気になりました。どうでもいいのですが、最後パオロがヤチマとの子作り(?)を拒否するところは、その辺ドライそうだったので意外でした。恋人とかの概念はあるけどそれとこれとは別なのかと思ってた。イノシロウとブランカの家族の話を考えるとこの世界、親が二人とは限らなそうですが。というかパオロはオーランドと誰の子なの?
連続の問題の歴史を辿る「直線を切る」も収録。こちらも古代エジプトやギリシアなど各時代や地域の「数学的なるもの」に対する態度などが語られて面白かったのですが、デデキントが出てきたあたりから私の数学能力では証明にほぼついていけず、とりあえず証明の部分は鵜呑み状態で読みました。「数学を知らないまったくの素人だけを始終念頭において書いた」って言ってたのに……!
初版が1939年らしいのですが、さすがにいろいろ古くて、表記も「オンマヤ朝」とか出てきて一瞬「何?」と思いました。すぐ後ろでアバス革命云々と言っていたのでウマイヤ朝のことだと分かったのですが。それから計算尺の使い方と結構親切に説明してくれていたのですが、使ったこともないしこれから使う予定もないなと思って読み飛ばした私のことを作者は許してほしい。これの基になっている対数を知らなかったためにコペルニクスとかティコ・ブラーエは「計算に非情な労苦をなめた」とか言われるとすごいなというのは伝わったので許して。
「(※護送時に)私は言ってのけた。「私は将校だ。ドイツ人(※の捕虜)に持たせたらいいだろう」「ドイツ人は間もなく疲れた。(略)すると、彼の隣りにいた、ドイツの捕虜生活でどんな苦労をなめたかわからない捕虜が(略)誰からも強制されずに自分からトランクを持って歩いていった。その後はほかの捕虜たちもトランクを運んだ。やはり護送兵の命令なしで。それからまたドイツ人が運んだ。だが、私は運ばなかった。」「私は自分が逮捕されたのは、→
→略奪や脱走や裏切りにもとづくのではなく、スターリンの邪悪な秘密を理性の力でつきとめたからだと誇らしげに思いながら笑っていた。」「だが、その間にも私のトランクは他の人びとによって運ばれていった……」「もし物事が次のように簡単だったら、どんなに楽なことか! どこかに悪党がいて、悪賢く悪事を働いており、この悪党どもをただ他の人びとから区別して、抹殺さえすればよいのだったら。ところが、善と悪を区別する境界線は各人の心のなかを横ぎっているのであり、一体、だれが自分の心の一部を抹殺することができるだろうか。」
読む本を選ぶときに、こちらの感想を参考にすることが多かったので、私の感想もだれかの本選びの一助になればと登録しました。多分外国文学が多いです。
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「それは脚が四本、腕が四本の生物で、腕の一本を頭上高くにのばしている。指はない。(略)足の一本の先は、六番目のマクロ球にはいりこんでいた。うえにのばされたトランスミューターの腕のいちばん高いところは、いまヤチマたちがいるレベルのすぐ下にあって、さらに上にむかってのばされていた。無限上の数のレベルにむかって。その生物が決して見ることも、決して触れることも、 決して理解することもないだろう、すべての世界にむかって」/読んでいて無駄に感動したトランスミューター様のお姿を。