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2024年3月の読書メーターまとめ

しゅん
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感想・レビュー
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107ナイス

2024年3月に読んだ本
10

2024年3月のお気に入られ登録
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2024年3月にナイスが最も多かった感想・レビュー

しゅん
宝塚、ジャニーズと副題にあるが、実際にはその二つに対象を限定せず、童謡の誕生、渡辺プロの拡大、グループサウンズの流行についても語られる。「スター誕生」の応募者が期せずにして低年齢層と女性に集中したという話。女性の集中は、結婚以外の物語が一般女性に与えられていなかったからだろう。成長を見たい欲求と未熟さを保存したい欲求が同時並行する流れがあるのはわかった。そこから、日本国民の問題を確定するには、「未熟さ」のカルチャーをジェンダー論に接続する作業が必要に思う。
が「ナイス!」と言っています。

2024年3月の感想・レビュー一覧
9

しゅん
ギトリの映画と演技が好きになりまくってきたので。本書で強く焼き付いた情報は、ギトリが映画を意識的に軽視しており、そもそもは敵視していたこと。彼にとっては演劇が至上であり、映画つくりの際も、単に演劇の再現に終始する側面があった。にもかかわらず、映画としてめちゃ面白いと感じるのがギトリの不思議さ。偉大な俳優である父、リュシアンの反復として、人生=演技を繰り返してきたサッシャ。その反復は、演劇の革新やアヴァンギャルドを一切無視したかたちで進行した。アルトーのようには語られない存在であるのも、面白いと思う。
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しゅん
トークイベントで宮台真司が天皇の祭式を「外と内を交流するための装置」として規定しており、その論拠に折口を挙げていた。というわけで、天皇制に対する理解のために読んだが、語源の解明がメインであり、これ単体で一挙にわかる類の文章ではないと感じる(単に読解不足かもしれないが)。直感で語源を断言しているように思える箇所もあるが、説得される感じはなんなのか。単に折口の権威ゆえか。温泉が宗教と結びついていて印象に残る。
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しゅん
展示の図録以上に、展示作家のインタビューと批評集が中心。読み物としての機能が強い。アドルノの引用が多かった。昨今の美術事情や今回のキュレーターへの批判を伴う梅津庸一の文章と、その隣で絵画の美学にひたすら向かう印象の松浦寿男の文章が全然違くて面白くなった。
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しゅん
ティンパンアレーの商業性への批判がユダヤ人差別と結びついたこと。ラジオの発展が、ささやくように歌うクルーナーボイスを生み出したこと。「ライヴ(live)」に生の音楽の意味が付随したのは、テクノロジーに対する批判運動からだったおと。商業性と人種性、放送と歌唱技術、言葉の意味と技術進歩。複数のテーマが交差する記述が多く登場することが、本書の面白さだと思う。キーワード集のようなものは、それぞれの相互関連が重要だと思う。
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しゅん
7年ぶりの再読だったけど、こんな面白かったっけ?読者の拡大による経済圏の確立によって、文芸時評と座談会という形式、非専門家の批評家登用やメタ批評の発達という状況が1930年頃に偶発的に生み出される。形式は文芸誌で90年間延命し、メタ化や専門/非専門の溶解は反復される。環境としての批評の誕生を最短距離で探知していく文の流れ。単独の批評家として読まれている小林秀雄の批評方法も、メディア状況から生まれたものだという相対的な視点を提示している。論点のはっきりしない論争も、批評家のキャラ化も、昔からあったという話。
しゅん
2024/03/14 11:02

最後に大宅壮一に肩入れする理由がわからんというか、ここで問われているものって大宅の集合性の議論とは違うものでは?という感じが残る。終章が、そこまでのクリアさに比べて混乱しているように読めるのはなぜか。単純に、2章や3章に比べてすっきりしない。東浩紀『存在論的、郵便的』の終わり方と似ている。あるいは似せている。あと、結局最初から男性同士のゲームだったんだなという感慨が途中から広がって、後半で馬鹿らしくなった感は否めない。

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しゅん
坪内逍遥は穏健な改良家、二葉亭四迷は根っからの革命家であると中村光夫は対比する。明治期において、文学の形式を変えることも社会を変容させることも片輪では不十分だと認識する長谷川辰之助は、必然的に自らの小説に満足できない。家の生計に圧迫されつつ小説を断念し、語学や調整の仕事で才を発揮するも永続的な仕事とならず、自嘲的な文筆家となった末に念願のロシア滞在の中途で病に伏す。抽象的に図式化されているにもかかわらず評伝が安っぽくならずめっぽう面白いものとなるのは、テクストと実人生のズレを著者が強く意識しているからか。
しゅん
2024/03/14 10:17

二葉亭の、何を苦しんでも傍目に滑稽になってしまう(ように中村が描く)人生は同時代人のチェーホフの小説を想起させる。船上での死は「グーセフ」を思い出すし、友人宛の手紙における嘆き節はほとんど「ワーニャおじさん」である。チェーホフへの言及は本書に一切ないが、ロシア文学と日露関係を青春に生きた果てに、二葉亭の人生はチェーホフに接近したと思える。その同時代性にぐっときているおれがいる。日露戦争時の、戦況について詳しすぎた故に(悲観的な論調を取らざるを得なかったゆえに)新聞で重宝されなかったという話が面白い。

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しゅん
こんだけやるのは大変だったろうなと思いますので、労いたいと思います。「歴史を書く」ってなんだろなぁと考えながら一気に読みました。日本人の国民意識を担う「うた」が必要、というのが著者の意識。前著『戦いの音楽史』のあとがきから持続している問い。アメリカの音楽収集で著名なアラン・ローマックスが別の場で三度名を出しているのは、ローマックスと同じ作業を自分がやらなくてはならないという意識の表れに思える。
が「ナイス!」と言っています。
しゅん
宝塚、ジャニーズと副題にあるが、実際にはその二つに対象を限定せず、童謡の誕生、渡辺プロの拡大、グループサウンズの流行についても語られる。「スター誕生」の応募者が期せずにして低年齢層と女性に集中したという話。女性の集中は、結婚以外の物語が一般女性に与えられていなかったからだろう。成長を見たい欲求と未熟さを保存したい欲求が同時並行する流れがあるのはわかった。そこから、日本国民の問題を確定するには、「未熟さ」のカルチャーをジェンダー論に接続する作業が必要に思う。
が「ナイス!」と言っています。
しゅん
ここでの「初期歌謡」とは『古事記』『日本書紀』から『万葉集』、そこから『古今集』へと至る誕生期の和歌のこと。「うた」がどのように発生したかを追う書物である。自然描写が、どうして/どうやって生まれたのか(心を表すために自然が必要なのか、自然を表しているうちに感情表現が重なったのか)など、現在の人間につながる問いを発しているところが吉本らしさか。〈あわれ〉や〈かなしみ〉に満ちた自然観というのは嵯峨上皇統治期に特有のもので、「日本的」でもなんでもないという指摘は面白い。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2015/11/12(3082日経過)
記録初日
2015/11/12(3082日経過)
読んだ本
2036冊(1日平均0.66冊)
読んだページ
540538ページ(1日平均175ページ)
感想・レビュー
1792件(投稿率88.0%)
本棚
0棚
性別
外部サイト
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