◆太平洋戦争の敗戦は司馬には革命の一種のように思われていたが、よく考えてみると潰されたのは陸海軍の諸機構と内務省だけであった。このように一部(特に頭だけ)がすげ変わるパターンと、ドラスティックに変わるパターンがあると思うが、その中国の王朝や日本の歴史における事例の研究などはないのだろうか?ビジネスにおいては、巨大企業の中での自己変革と、スタートアップとして成長することほどの違い、ということになると思うが。つまり、実務家は残されて、実はそれほどの代わり映えのしない革命。
◆「旅団」の語は西南戦争で作られた新語であった。それまでは駐屯している兵団を鎮台と呼び、戦闘編制で動いている兵団を旅団と呼んだ。この頃は制度上の厳密な単位ではなかった。 ◆西南戦争を戦うためのロジスティクスは、山県がその有り余る実務能力を持って実行まで行った。本当にオペレーションの人。
この本が描いてきた大久保と西郷の関係性や、西郷の周囲を取り巻く環境、そして西郷その人の人格というものから察するに、西郷はあくまで巨大な「器」であり、それ自体で意志を持つのではなく、中に入れたものによって善にも悪にもなるのだという印象。「そいじゃ、俺の体を上げまっしょう」という言葉からも、自分はあくまで省庁に過ぎない、という自覚が感じられる。 ◆西郷に対して放たれた刺客が大久保も把握するところだった、という一事こそが西郷が鳴動するきっかけとなった。
◆幕府はその成立当初から薩摩島津がいつか徳川家に仇なすと考えていたため、骨髄からの佐幕であった細川家を熊本に転封させ、加藤清正が築いた難攻不落の熊本城を持って、薩摩に対する抑えとした。
◆日本の民主主義の走りとして成立した元老院だが、その成立経緯はトップダウンなものだった。太政官権力を再建するために木戸を必要とした大久保が、その入閣条件としてその成立を認めた。大久保の思想はビスマルクのそれに近い。三権分立は時期尚早で、まだ天才的宰相による専制の時期が必要だと見ていた。
◆ルソーの主張では、人間がまだ「自然状態」だった原始段階では人間は皆自由で平等で平和だったが、「社会状態」に入って人間は害禍の中に取り込まれた。ルソーは、自然状態の自由と平等の理念を社会状態に持ち込むべきだと主張した。本論ではないが、最近読んだ「万物の黎明」で、このルソーの主張(というか仮説)は誤りである、と繰り返し主張しておりそれがまだ頭の中にあったため、司馬遼太郎の簡潔な表現が心に留まった。
◆西郷の政治観として藤田東湖の影響があり、言ってみれば適材適所というものがある。小人と大人の器を持って、その人の役職を規定すべきなのだ。それはつまり、功のあったものに褒美として間食を与えてはいけない、あくまで褒美をやればよい、という考えをしていた。これはかつて薩摩藩の藩財政を立て直した調所笑左衛門のことが頭にあった。調所は奇略を重ねて藩財政を立て直したが、その功で仕置家老となり、藩政を握ったことでその後弊害が出たらしい。
本論ではないが、この調所が藩財政を立て直したときに借金の凍結の強要や、サトウキビ百姓への苛烈な収奪という文言を見るにつけ、現在日本の赤字財政の末期を見る思いがする。
◆志士仁人の時代は過ぎ、政治処理家の時代が来た。西郷は去り、伊藤博文らがきている。しかし「伊藤・山県程度の二流の人間が明治国家を作った」とは、歴史にifがないことに鑑みれば悲観的に過ぎやしないか。この論理は「世に棲む日々」の革命の3段階の論理で見た。 ◆長州の藩閥主義と薩摩の郷党主義は似て非なるもの。長州のそれが官僚組織にある相互保全で栄達と言う利益を目していたのに対し、薩摩のそれは薩摩人特有の士族的美意識が他藩出身のものを軽んずるという無邪気な同族意識にとどまっていた。
◆川路が作った警察組織。首都警察の邏卒は3000人と言う規模から始まった。江戸時代の町奉行の人数は奉行以下、与力同心合わせて366人であり、それに比べればはるかに多い。江戸時代は階級社会であり、被支配者を相互監視させることで治安維持に活かしていたため、それでも成立していた。また、新政府はその武力は十分ではなく、維新間もない不安定な時勢の中でこの3000人は準兵力としての役割もあった。
◆三条と岩倉はいちいち大久保の意向を伺っている。岩倉遣欧使節団などを歴史で習ったのに、それ以外で印象の無い岩倉などは、やはりリーダーシップを持って決断し歴史を作っていくタイプではなく中間管理職的な役割だったのだろうか。
そうなんですね。小説の方のWikiで見て大河で映像化されたことは把握してましたが、ドラマのWikiは見ていなかったので知りませんでした。かなり改変された、ということなのですね。政治劇で群像劇なので、画的にはかなり地味だと思っていたので、テレビ的には戊辰戦争なんかも描いた方が視聴者に受ける、という判断で手を入れられたのでしょうかね。
幕末部分はかなり分厚い感じでした。島津斉彬時代に西郷隆盛が力を発揮しまくっていた印象。島津久光については西郷が上手く取り扱えなかったのに対して大久保利通が上手に取り扱った点が感じられたと思います。私も観たのがかなり以前で、レンタルビデオで連日借りて観たので記憶も曖昧です。大河としては幕末も含んだ方が視聴率も取りやすかったのかもしれませんが、それを小説に組み込むと十巻が二十五巻位に膨れ上がりそうです!
また、他では見ないペイアウト戦略についても詳しい。配当や自社株買いの概要がわかる。そしてケースによって、その定量的インパクトの計算過程も見せてくれる。そのケースの中で、借入金による自社株買いによって、WACCはもちろん変化するのだが、それが資本構成の変化に留まらず、βの変化(オリジナルのレバードβ→アンレバードβ→リレバードβ)にも波及すること、それを計算として表現する必要があることは思いもよらないことだった。βってYahooファイナンスとかから引っ張ってくる定数だという印象があったが、めちゃくちゃ面白い
第5章。本場のフィナンシャルアドバイザーの実際の企業価値算定方式は、類似上場会社比準方式、類似取引比準方式、DCF方式を掛け合わせたものであり、特にターミナルバリュー算定には類似上場会社比準方式を用いることで、永久成長率を仮置かなくてもいいというのはなるほど。(5年後の市場環境と現在の市場環境はもちろん違うのだろうが)
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
◆三条と岩倉はいちいち大久保の意向を伺っている。岩倉遣欧使節団などを歴史で習ったのに、それ以外で印象の無い岩倉などは、やはりリーダーシップを持って決断し歴史を作っていくタイプではなく中間管理職的な役割だったのだろうか。