【2024年3月の読書メーター】月間ベストは『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』。★読んだ本の数:21冊 読んだページ数:5983ページ ナイス数:499ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/73932/summary/monthly/2024/3
【熊本】阿蘇に降った雨水は、地下に堆積している阿蘇-4火砕流堆積物に浸み込む。阿蘇-4は軽石や火山灰から成り、水を通しやすい地層。20〜30年かけ、この帯水層を通って低いほうへと流れてきた水が、台地のキワで豊富に湧き出すという仕組みだ。さらに、阿蘇-4の下に、それ以前の噴火による阿蘇-1から阿蘇-3の火砕流堆積物が積み重なってできた第二帯水層がある。熊本市の水道水は、井戸を通じてここから湧き出す地下水。いわば2階建ての水の層が地中に存在している。そのことこそ、熊本を“水の国”たらしめている所以なのだ。
【熊本】古町と熊本城の間に位置する新町の入り口が坪井川に架かる「せんば橋」だ。せんばの表記には2説あり、川を使って物資を運ぶ船のたまり場という意味で「船場」とも、米俵を積んで運んできた馬をこの場所で洗ったことから「洗場」とも。せんば橋付近は童歌『あんたがたどこさ』の発祥地といわれている。「せんば山にはタヌキがおってさ」という歌詞におけるせんば山とは、堀を掘ることで出た土を盛って造った土塁のこと。土塁には草木が生い茂り、タヌキの棲みかになっていたのだろう。新町の守りの仕掛けはタヌキの棲む“山”だったわけだ。
【熱海】海に迫るすり鉢状の地形の急斜面に発展した人気温泉地、熱海。昔、熱海の海の近くには巨大な多賀火山があり、陸近くの海底にも噴火口があった。火山活動終了後も地下には余熱がとどまり、そこに雨水と海水が染み込み温められることで「塩化物泉」──塩分を多く含むため石鹸が泡立ちにくく、風呂上がりはぽかぽかが長続きする「熱の湯」──になった。熱海にある海食崖に「水冷破砕溶岩」が含まれていることこそ、そこがかつての火山の噴火口だった証である。また、熱海は丹那トンネルとその湧水によって観光客増と水不足解消を実現した。
【小田原】江戸の原点と考えられる小田原。江戸と小田原は「海が近く、井戸水に海水が混ざる」という点で共通している。江戸は、神田上水や玉川上水を開削し城下の飲用水を確保したが、その絶好のお手本になったのが「日本最古の上水道」といわれる小田原用水だろう。また、江戸城外堀の原点とされるのが小田原城総構である。小田原城総構とは、湿地帯と3本の尾根を利用して築かれた全長9kmに及ぶ長大な堀と土塁。傾斜地に築かれた山側の総構では「障子堀」──堀に仕切りを造り、雨水が均等に溜まるようにしたもの──が大きな効果を発揮した。
【松江】日本海と宍道湖を結ぶ水運で栄えた微高地「白潟地区」を取り込むかたちで城下町が造られた松江。湿地帯を克服するために堀を巡らせて排水し、宇賀丘陵の中の「赤山」を崩して出た大量の土を使って城下町の埋め立てを行った。また、大正の終わりから昭和にかけては、洪水対策として大橋川拡幅工事を実施。川幅を広げ、底を掘り下げることで、宍道湖から日本海に向けて2倍の水が流れるようになった。さらに川の拡幅によって満潮時には湖まで海水が入り、塩分濃度が高くなったことで、宍道湖全域でヤマトシジミがとれるようになったという。
【軽井沢】火山活動によって「高原だけど広大な平地」になった軽井沢の地名の語源は、一説には「かるいしざわ」。関東(群馬県安中市松井田町坂本)から軽井沢に至る山越えの道として江戸時代に整備されたのが東西日本の中央分水嶺・碓氷峠だ。碓氷峠は群馬県側にのみ大きな高低差がある「片峠」。つまり、信州から江戸に向かうときは大変な道ではないが、江戸から信州に向かう場合、碓氷峠は険しい登りのある厳しい道になる。そんな難所があったことで、宿場が開け、その後、軽井沢では上流層の人を呼び、パリのような放射状の町並みが形成された。
2010年9/7に登録。
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【熊本】阿蘇に降った雨水は、地下に堆積している阿蘇-4火砕流堆積物に浸み込む。阿蘇-4は軽石や火山灰から成り、水を通しやすい地層。20〜30年かけ、この帯水層を通って低いほうへと流れてきた水が、台地のキワで豊富に湧き出すという仕組みだ。さらに、阿蘇-4の下に、それ以前の噴火による阿蘇-1から阿蘇-3の火砕流堆積物が積み重なってできた第二帯水層がある。熊本市の水道水は、井戸を通じてここから湧き出す地下水。いわば2階建ての水の層が地中に存在している。そのことこそ、熊本を“水の国”たらしめている所以なのだ。
【熊本】古町と熊本城の間に位置する新町の入り口が坪井川に架かる「せんば橋」だ。せんばの表記には2説あり、川を使って物資を運ぶ船のたまり場という意味で「船場」とも、米俵を積んで運んできた馬をこの場所で洗ったことから「洗場」とも。せんば橋付近は童歌『あんたがたどこさ』の発祥地といわれている。「せんば山にはタヌキがおってさ」という歌詞におけるせんば山とは、堀を掘ることで出た土を盛って造った土塁のこと。土塁には草木が生い茂り、タヌキの棲みかになっていたのだろう。新町の守りの仕掛けはタヌキの棲む“山”だったわけだ。