「そうどすなー。もし田沼はんがチャーハン拵えてくれはったら、場合によっては間に合わんこともないこともないこともないこともない可能性がゼロとは言えないということができるのかもしれまへんけど、それも吉田はん次第なんやろか」みたいなことを言い、相手を驚愕させる。なぜ相手が驚愕するかというと、自分はリビングのカーテンをオーダーしたのに、突然、チャーハンとか言われて、意味がまったく訣らないからである。そして田沼と吉田というのも聞いたことがない名前である。kindle位置:1,209
瞬間の考えが文章になったその瞬間、それが推進力となって次の言葉が生まれてくる。そこから操作できない、物語が生まれる。それを改変できないものとして許容して、というのはつまり、やったことは取り返しがつかず、性別国籍その他を選んで生まれることはできないのと同じように諦めて、または許容して、または嘉納して先へ進んでいく、その意志こそが、文章のいけず、なのである。だから、文章のいけず、のやり方は、書き始めが結末と心得て、書くことによってそのとき生まれた観念と文章を混合して爆発させることである。: 1,410
本を読むと、何かを思う。
本など読まなくても、思えることはいくつかある。だが本を読まなかったら思わないことはたくさんある。人が書いた作品のことがらやできごとはこちらには知らない色やかたち、空気、波長を持つ。いつもの自分にない思いをさそう。読まないと、思いはない。思いの種類の少ない人になり、そのままに。そのままはこまるので、ぼくも読むことにした。
荒川洋治『読むので思う』p.19
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます