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数の発明――私たちは数をつくり、数につくられた

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どこか聞き覚えのある著者の名前。アマゾンの原住民ピダハンに布教活動を施す間、彼らの生き様に感化され最終的に自ら信仰を止めるという生き様を綴った『ピダハン』の著者ダニエル・エヴェレットの息子だ。ピダハンにちょくちょく登場していた小さな子供が言語学者となりこのような立派な本を書いていることに少し感動を覚えた。本書のテーマは 数である。数がどのように 生まれ それがどう人類に関わってきたのかを様々な民族や関連学問を引き合いに組み立てていく 議論は見事。
0255文字
renbo
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ピダハンから来ましたー
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S.T
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ネタバレ◯ 人間には小さな数を正確に数え、大きな数を大まかに捉える生得的能力がある。 ◯ 大きな数(4以上)を正確に数えるには言語が必要になる ◯ 10進法や5進法は人間の指の数と対応していると思われる ◯ 数字という名前に数量という概念を結びつけることで数を習得する(概念が先にあって名前をつけていうわけではない)
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roughfractus02
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父ダニエルが意識がない部族として紹介したピダハン族と数の概念のないムンドゥルク族の調査を通じて、息子の著者は、数の概念に生得的な数と後天的な数の区別があると主張した。2部族では量の概念(より多い、より少ない)はあるが正確ではない。が、1から3まではある程度理解しうる。ここから認知科学的な知見を通して赤ん坊も区別できるのは3までで4以上は文化的に習得されるアプリケーションであると表現した。一方、4以上の数は人間の身体(指の数)から5を基準とした2の倍数で増えるとし、レイコフら認知言語学の数の概念を刷新する。
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ツナ
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ネタバレ”ものごとをメタ認知するには何かと比較することが欠かせず、自分たちがAであれば、そうではないnot Aを理解しないと、Aのことは理解できない”「視点という教養」より。父エヴァレットとともに、数を持たない民族ピダハンと長い間暮らしていた著者。ピダハンはまさしくnot Aであったのではないだろうか。難しい話が多かったですが、”ヒトは1や2や3は正確に、それ以外の量はおおまかにとらえるように生まれついている”というのは興味深い。著者の父の書「ピダハン」の訳も手掛けた屋代通子さんの訳者あとがきも感慨深かったです。
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ゆずぴ
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ネタバレピダハンの作者の息子の本ってことで読んだけれど思ったより面白かった。ピダハンとの生活もうちょい読みたかったけど反れるからそりゃないか。それでも楽しかった生活のようでよかった。数量というものが文化的なものがほとんどなのだと改めて思い知らされたし、分かってるだろうことをきちんと結果に表すことの難しさも面白かった。お風呂に入るときに1から10まで数えたなとか(1から7までとかは言わないもんね)指の数が奇数だったらそれが普通の数になるのかとか考えると楽しい。
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ぬらりひょん
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生まれてすぐの赤ちゃんでも「3」までの数は生来正確に弁別できる。がそれ以上の数となると数詞が発明されて初めて厳密に認識できるようになった。著者はそのほとんどは言語や文化のみからいつの間にか生じたものではなく、人間の「手(指)」の対称性から生まれたものであると考える。人間は数詞を発明することによって、概念を表象する道具を得た。チンパンジーも幼児程度の知能がありながら、その能力を伸ばさなかったのはなんでだろう?ピダハンやムラブリが数詞や文字を持とうとしないのはなんでだろう?知らない方が幸せだったからかな?
ぬらりひょん

3400円の本。(図書館ありがとう)世界の約90%の言語には話題にしている事物の量が単数かそれより多いのかを表す文法的手段があるらしい。ということは日本語は残り10%!訳者のあとがきに「日本語は文法上では数にはかなり無頓着」、かといって英語も「神経質に区別するのは一なのかそうでないかだけ」という話があっておもしろかった。また一方で日本語の助数詞の多さも不思議。言語学は考古学、人類学、認知科学、神経科学などいろんな分野にまたがっていて、とてつもなく広くて深い世界。

06/02 20:28
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bono
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ネタバレ人類の数の認識は数を表す言葉と同時に生まれた。数の発明及び認知により人類の文明は加速的に進歩することになった
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コンタミ
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ピダハンの著者の息子が書いた本。人類学、言語学専門の学者。幼少期にピダハンと暮らした話も少し出てくるので、ピダハン本ファンにはたまらない。非常に幅広い観点から、人間の数の感覚の習得について論じている。世界中の狩猟民族の言語、手話話者、赤ちゃん、動物等。
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hatman
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L ピダハンの著者の息子による数の発明の探求。人類が数を認識し始めて2~3千年。数は現代までの発展の基礎として特定の文化に根ざしている。時計の60進法はシュメールやバビロニアで使われていた名残、12進数はエジプトの日中10分割+日の出前と日没後が由来。数のベースは手の指だと思われるが、指の関節や指の間などで8,12,60進法が作れる。数えることは3つくらいまでは生得的にあるが、それ以上は訓練が必要。よって数の概念は文化によって体得される。ピダハンはその数の文化を必要としなかった。農業・工業・宗教がないから
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aquilane
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C 数によって農業が効率化できた。計測。  色は言語ごとに微妙に違うが数はどの言語でも同じ
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ランディ
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ちょっと期待外れ。世界中で十進法が主流なのは手指が10本だからという主張がしつこかった。立証のしようがなく、かつ妥当な推測はしつこく主張しなくて良い。「数に作られた」の部分は「言うまでもないこと」と「俗説」の列挙というかんじ。そんなことより人類学者ならば、数えられない人たちについて掘り下げてほしかった。狩猟採集民でも数えられる人たちの暮らしぶりはどうなのか。狩猟採集民といったって暮らしぶりは色々だろう。
ランディ

これまた重箱の隅かもだが。ソロバンの素晴らしさは身をもって知っているが、少なくとも現代日本では十進法である。著者は一体どういう意味でソロバンを「非西洋の数体系」と言っているのだろうか。なんとなく東洋の神秘ぽいからか?なお、ソロバンは古代ローマでも使われていた。

12/12 18:31
ランディ

だいぶけなしてしまったが、乳幼児などに対する実験について丁寧に纏めてあったのはよかった。知ってることも多かったが、それは私の個人的な事情だし。

12/12 18:32
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yo_c1973111
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脳神経科学的認知として1~3は直感的に把握できるだろうという結果と言語調査の実態は矛盾しない。人類学者らしい直向きな調査と文献へのフラットな精読を礎に読ませる良本だ。脳と並列に身体の具象が10進数の所以であるとする著書の本旨にも頷ける。数字(数詞)の発案が現代のわれわれへとたらしめたことも尤もだ。論考の細部も興味深く(4は表しの狭間にある:なるほど直感(1~3)と指の5本(カウントする基礎)など)、全編にわたる丁寧な語りに惹かれる。
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中村です
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ケイレブ・エヴェレットは『ピダハン』の著者ダニエル・エヴェレットの息子。彼は家族とともに2歳からアマゾン奥地でピダハンと暮らした。あのケイレブ坊やがこんな立派に!と勝手に感動。言語人類学、認知心理学、考古学、大脳生理学、動物行動学と多方面から数の発生と発展を推論。数詞は二足歩行した人間の発明。10進法は我々の手に指が5本ありそれが両手に対にあるから。数を持たない狩猟採集民や数の概念のまだない幼児の実験は面白かった。人間は1.2.3の数量の違いは認識できるけど、それ以上の数量の概念は後天的に獲得している。
ポプラ並木(コメント率だだ下がり🙇)

ドッグフード1粒1粒だね。

11/16 20:27
中村です

▼⁠・⁠ᴥ⁠・⁠▼〜♡

11/16 21:10
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Takeshi N
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書店にみすず書房コーナーがあり、タイトルが気になる本書を見つけて読了。人は胎内にいるころから、自分の指を認識し、数の認識が始まっているらしい。小さい数、大きい数の捉え方は、言語を構成する文化や生活習慣によりまちまちのようだ。世界各地の小数部族への取材、乳児を対象にした実験など、根拠を丁寧に積み上げている。面白かったが、少し疲れた
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おふとん
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普段何気なく使っている数がどれだけ抽象的で、恣意的なものであるか、数の歴史や様々な言語での数体系を通して理解できた。 統計検定の優位水準に5%を使うのは、実は人間の手に指が5本あることに起因しているなどの例も面白い。
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knenet
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人が生得的に持っている数の能力は1,2,3を瞬時に識別する能力と、それより大きい数でも1:2以上ならどちらが多いか分かる能力。その程度なら他の生き物も持っているが、数を発明することで数学やその応用の道が拓けた。要約すればこのようなことを筆者の体験も交えて論じている。論点からすると冗長に思える分量なのだが、ピダハンをはじめ、数を持たない文化とはどのようなものなのか、彼らの数の認識がどうなっているのか、体験を伴う説明は興味深い。図面があまりなくて、指に節があるみたいな誰でも分かるようなのだけだったのは惜しい。
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tsuki2b
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ヒトはどのように数を見つけてきたか、数は本能的に持っているものか、数が私たちの文化にどのような恩恵をもたらしたかなど。NDC410.2が付いているけれど、著書は人類学者のようで、あまり数学していない本。
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なつ
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数のない状態を想像するのは難しい。数に頼らずにして世界を捉えることはできるのだろうか。
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cocolate
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ビダハンが登場してびっくり。なぜ数えられるのか。
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いちは(精神科医)
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損切り。面白そうではあったが、自分にはもう少し軽めで良かった。
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jackbdc
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著者の父は「ピダハン」のエヴェレット氏であった。熱病に罹ったエピソードなど記憶に新しい。知人の子供の成長を喜ぶような(一方的な)感慨を抱いてしまった。本書にもピダハン族のフィールドワークの知見が含まれている。3を超える数を示す言葉が存在しないという。父の著作にも数を教えても関心が得られず習熟もしないという話題が紹介されていた。別の環境で育った子は数を使いこなすというから、遺伝ではなく環境:言語や言語を通じた量の識別能力の問題である事が理解できる。数の概念が後天的能力であるというのは実感と異なるため驚いた。
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清水勇
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「なぜヒトだけが言葉を話せるのか」で言葉の起源を探ったが、この本は数の起源を探る旅で同様に楽しめた。著者は子供の頃「数」を使わない先住民族との生活経験を端緒とし世界中の言語の分析を通し幼児や類人猿の数認知の研究成果も活用してヒトが数を認知し数の言葉を生み出した経緯を丁寧に説明。驚いたのは哺乳類、鳥類、魚類も3つまでの数は正確にそれ以上の数は大まかに認知する能力を有すること。その中でヒトだけが数の実体を把握して使いこなし現在の豊かな文化を作り上げるには仲間同士で協働しようとする意欲が鍵であることは納得。
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やいっち
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著者は、「マイアミ大学人類学部教授、同学部長。専門は人類学・言語学。言語と非言語的な認知・文化・環境の相互作用に関心を持つ」とか。彼の「父は『ピダハン』の著者のダニエル・L・エヴェレット。幼少期に、宣教師の父とともにピダハン族の村で過ごした」という。その体験が研究のベースにあるようだ。内容案内には、「ピダハン族などの数を持たない人々の社会や、乳幼児と動物の量の認識、世界の言語に残る痕跡を通じて、数の発明という忘れられた人類史の転換点を探る書」とある。
やいっち

人骨などの遺物は乏しかった。が、祖先の暮らしについて、人骨より雄弁に語る遺跡が見つかったのだ。「わたしたちが今現代人のものと見做している行動のほとんどが、この海岸線の近辺で発生したようだ。」!

10/14 22:18
やいっち

19万年前から13万5千年前にかけての気候変動が影響していた。アフリカ大陸から居住可能な場所が著しく削られた。そんな中、この辺りだけ、海産物や球根や塊茎などが豊富だった。人類はこの海岸線で暮らしている間に、ある種の技術の開花を迎えたのである。詳しくは書かないが、「かつてこの地に住んでいた太古の人々が、言語を持っていたことが窺われる」…当然、数の観念の萌芽もとなる。ただ、この点は類書を当たるほうがいい。考古学のホットスポットである。専門家はともかく、我輩には目新しい情報だった。

10/14 22:18
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EMI
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数というものを人間がいつどのように認識したのか、あるいは発見または発明したのか。本書は世界の言語に残る痕跡を通じて、数の発明という人類史の転換点を探るものです。同様の見解は既に出ており、あまり新鮮さが感じられませんでした。過去の遺物に数の痕跡は残り、現在、社会のあらゆるところに数字がある。言語の中にも数に関係する言い回しがある。しかし人は生まれつき数の概念を持っているわけではない。数の言葉のない世界ではどうなるか。著者はダニエル・エヴェレットの息子で、幼い頃はピダハン族の集落に滞在した経験があるようです。
EMI

ばたやん様、そうですか!父上の著作に「幼いケイレブ」と出てきたら、それが本書の著者になります!

10/09 09:45
ばたやん@かみがた

了解!幼児のときから、アマゾンの奥地(『ピダハン』)に連れていかれたら、そりゃ毎日がフィールドワークですね。筋金がはいるものかと。

10/09 09:49
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キムキム
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小生、子どもの頃から数字に弱く、典型的文系人ですが、本書をとても面白く納得して読み終えた。(両手指を使い10進法を発明→なるほど。また数を持たない人々もいるらしい→びっくり)。各章の最後に結論が提示され頭の中が整理されて読みやすい。良書だと思います。
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iwtn_
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数が生み出された経緯の仮説と数が私達をどう変化させたか。動物にもある少数を認識する脳の機能と、人間の両手にある5本の指によって基数である10が創られていく。そして数を示す記号、数詞が生まれ、記数法が発達していく。人間の文明と数が相互に関連して発達していく様子が描かれている。 「ピダハン」の著者を父に持ち、その影響も大きい仮説に読めた。個人的にも概ね支持する仮説ではある。二足歩行が手を、手が数を、そして数が文明を生む。更に現在進行中でコンピュータの出現で加速しているも現象でもある。基本に立ち返れる良い本。
iwtn_

とはいえ、こういう文明が一直線に進んでいる、という認識も良くない。常に他の要素と相互依存的で影響し合うことを念頭に置く。うっかり隕石でも落ちて人類が絶滅する可能性は常にあるのだし。

09/17 09:09
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Pinocchio
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「人間を作った」シリーズの最新刊(私にとって)。生まれついた能力として数え上げられる上限は3だという点は、体験的に納得できる。作業手順として、指差し確認、数え上げが重要視されるのも、この本を読むと頷ける。数の旅で、世界中を見てまわった気分。
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まいこ
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ネタバレ二足歩行を始めたことで手指をよく使うようになり、左右で対になっていることから5の倍数や10進法で数を数えるようになったのでは?と。他の霊長類も同じように手指を持っていても二足歩行しないから数を発明しないのかも、と。数も身体化認知されるからこそ、戒律の数は10だし、統計学のP値も0.05なのかもしれない。狩猟採集社会では5より大きい数を数えることは珍しく、数と農耕は共進化したという。月や季節を観察して農耕をし、収穫物や貯蔵量を計測し、さらに余剰は働かなくて良い人を生み出し数学を発展させた。
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kazumiw
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丁寧な文章で読み進めるのに苦労したが面白かった。 数学よりも算数よりも手前の「数えること」に焦点をあてた論考。 言語学、認知科学、人類学、考古学の見地から、人類がどのように「数えること」を発明したのかを考察する。 理解を2点にまとめる。 1.手指を対象物と対応づけ、位取りを考案し、数を表す言葉を作り、本能では認知できない大きな数を正確に共有し記録していった 2.「数えること」で暦を作り、計測し、分配ができるようになり、農耕と共同体の拡大をもたらした
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