読むこと、書くこと、居眠りすることが好き。生活のために仕事も。家事や庭仕事もなんとか。
読書は雑食系かな。でも、読めるのは月に十数冊なので、実際には幾つかのジャンルに限られてるみたい。
苦手なのは、専門書や法律、マニュアル本など。
小説やエッセイを書いたりしてます。
バイクでのミニツーリングを折々。
グルメ、スポーツ、コンサートも楽しみたいけど、仕事や家事でなかなか実現しない。昨年(23年)末、薪ストーブ設置。庭木の枝葉を焚き火代わりに燃やしてます。薪はなくて柴だけなので、心底寒い時だけ。焔と共に柴の燃えてはぜる音が心地いい。
外部ブログも20年以上になりました:
日々の日記:「壺中山紫庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/
創作の館:「壺中方丈庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/
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数とは何かの探求ではない。数観念の発生自体を探るもの。数を持たないとされる集団、あるいは幼児や動物であっても、1,2,3までの観念の萌芽はあるという。ある程度までは、多いか少ないかの大づかみの感覚能力も、人に限らず(魚やサルなどにも)あるとか。語られざる非言語的な領野だけに研究の困難さを門外漢の吾輩にも痛感させられる。データの蓄積が長年続けられてきた。本書は既存の研究をベースにどのような成果を示せたのか。いずれにしろ、表題にあるように、数は発明品であるという主張はまさに明確だ。その余波は今も続いている。
この(原書が書かれた時点で)20年間、多彩な専門領域の考古学者たちが、アフリカの最南端の海岸線に近いスティールバーイという村の洞窟で発掘してきたという。何やら目を奪われる結果が現れているとか。「黎明期のホモ・サピエンスの研究は、ホモ・サピエンスがアフリカから大移動を始める前の長い年月を、わたしたちの祖先がいかにして生き延び、ひいては生を謳歌していたのか、新たな光で浮き彫りにしてくれる。」とか。
人骨などの遺物は乏しかった。が、祖先の暮らしについて、人骨より雄弁に語る遺跡が見つかったのだ。「わたしたちが今現代人のものと見做している行動のほとんどが、この海岸線の近辺で発生したようだ。」!
19万年前から13万5千年前にかけての気候変動が影響していた。アフリカ大陸から居住可能な場所が著しく削られた。そんな中、この辺りだけ、海産物や球根や塊茎などが豊富だった。人類はこの海岸線で暮らしている間に、ある種の技術の開花を迎えたのである。詳しくは書かないが、「かつてこの地に住んでいた太古の人々が、言語を持っていたことが窺われる」…当然、数の観念の萌芽もとなる。ただ、この点は類書を当たるほうがいい。考古学のホットスポットである。専門家はともかく、我輩には目新しい情報だった。