ニュースを目にする人々がその報道の正確性を信じられなければ、ジャーナリズムの価値は消滅する。
ピュリツァー賞受賞写真全記録 NATIONAL GEOGRAPHIC
「一般国民の目線で判断するならば、それは結局、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができていくことになるよ」
国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて― / 佐藤優
栄枯盛衰は世の常。きょう自分の口に入る糧のみが自分の所有物で、それが血となり肉となるもの、他はすべて天下のまわりもちである
徳川慶喜家の子ども部屋 / 榊原 喜佐子
「地獄絵を見て」という連作がある。
見るも憂しいかにかすべき我心かかる報いの罪やありける
こういう歌の力を、僕らは直に感ずる事は難しいのであるが、地獄絵の前に佇み身動きも出来なくなった西行の心の苦痛を、努めて想像してみるのはよい事だ。
モーツァルト・無常という事(西行)/小林秀雄
奇怪な世相が、彼を苦しめ不安にし、不安は彼が持って生まれた精妙な音楽のうちにすばやく捕らえられ、地獄の火の上に、涼しげにたゆたう。
モーツァルト・無常という事・実朝/小林秀雄
パスカルの「パンセ」には有名な警句は多くあるが、私はこの文章が気に入っている。
「つけ上がるなら、おとしめてやろう。卑下するなら、ほめ上げてやろう。わたしは、あくまでさからいつづける。かれがとうとう、さとるまで、わけのわからぬ化け物みたいな自分のさまを。」(パスカル著 パンセ・四二〇、田辺保訳)
小林秀雄の評論は賛否が多い。歴史上の天才的な人物しか扱っていない、と。しかし、下記のランボオについて書いたものは紛れもなく彼自身の本音であり、己の宿命と刺し違えた、彼の言語表現の原動力である。
「ランボーⅢ」の中で小林秀雄ははっきり明言する。
「――彼は河原に身を横たえ、飲もうとしたが飲む術がなかった。彼はランボオであるか。どうして、そんな妙な男ではない。それは僕等だ、僕等皆んなのぎりぎりの姿だ。」
「新文章読本」川端康成著・新潮文庫 p52より
文章はペンで書くものではなく、命の筆先に血をつけて描く
この言葉は表現者の覚悟の表明でもある。
さらに「深くなやむ者だけが、いつも正しい。」と。
横光利一の文章に対する評であるが、川端康成自身の本音でもある。
2021年3月、岡谷市照光寺の掲示板で見掛けた御言葉です。塞ぎ込む日々が続き、何とかして打開したいともがいていました。信号待ちをしていた時、ふと目にしたこの御言葉に、それまで重く伸し掛かっていたものが氷解。このことが切っ掛けとなり、御寺参りが始まりました。残りの人生、私は私の歩幅で、一歩一歩いきたいと思います。
「自由でいたいんだよ」
ドラマ『探偵物語』工藤俊作
リアルタイムで観てました。
まだ小学生だった自分が、何故あれほど迄に惹かれたのか…?
大人になり、ある日、このCMを観た途端、全てを理解しましたね。
私に影響力を与えてくれた出会いの一つです。
https://youtu.be/XLpwzOds5fo
「みんながノケモノだったら、それはもうノケモノじゃないですよね」
「ノケモノというケモノはいないです…。そう呼ぶ人が、いるだけです」
演劇『ノケモノノケモノ』
まったく同じ生き物はいません。みんな各々少しずつ違っているから良いんです。
周りと違うからといって、つまはじきにしたところで、何の徳がありましょうか?逆に徳を自ら捨てているとしか思えません。
良ければ是非、作品を御覧になり、あなたなりに考え、あなたの答えを見つけてください。
https://youtu.be/3blRrktmXdU
初めまして。様々なジャンルからの、数々の言葉に支えられ明日に向かっています。
宜しくお願い致します。
「希望は素晴らしい 何にも替え難い 希望は永遠の命だ」
映画『ショーシャンクの空に』
漫画家『水木しげる』の名言集をつくりました。
「人間はおたがいに助け合い、
そして利用し合わねばいかんよ。」
https://bontoku.com/meigen-mizukisigeru
『そもそも、大人が恰好良ければ、子供はぐれねえんだよ』
チルドレン (講談社文庫)伊坂 幸太郎
https://bontoku.com/meigen-anatagamosidorei
『誰も彼も……日本中の人間が戦争で大事なものを失った……
―それでもなにかを期待してせい一杯生きてる
人間てのはすばらしい』
漫画『アドルフに告ぐ』
https://bontoku.com/meigen-adorufunitugu
『世界に意味が満ちるためには、事物がただ、自分のためだけに存在するのでは不十分なのだと、蒔野は知った。彼とてこの歳に至るまで、それなりの数の愛を経験してはいたものの、そんな思いを抱いたことは一度もなかった。洋子との関係は、一つの発見だった。この世界は、自分と同時に、自分の愛する者のためにも存在していなければならない。憤懣や悲哀の対象でさえ、愛に供される媒介の資格を与えられていた。そして彼は、彼女と向かい合っている時だけは、その苦悩の源である喧騒を忘れることが出来た。』
☆マチネの終わりに/平野啓一郎☆
はじめまして。今日から参加させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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