こう言うと2・3章だけが優れていると思われそうだけれども、1・4章にも彼の立場の弁護になる以上の知恵が盛り込まれている部分もある。とりわけ、アイロニーを社会学者が論文で扱おうとする場合、その「論文」という形式自体が非アイロニー的であることを求められ、いつのまにか対象についてはアイロニーとして論じながら自らの立場については神になりやすい、という指摘はなかなか鋭いところで(彼はこの点で中沢新一や宮台のような猥雑な文体の方が免れやすいとも言う)、ドイツ・ロマン主義の遊戯的な文章の価値もそこにあるだろう。
変な本と音楽が好きです。そうしたものを教える講師ですが、本より人そのものと拘わる業務が多いです(嫌いではないです)。ときどき、いろいろ作ります。
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こう言うと2・3章だけが優れていると思われそうだけれども、1・4章にも彼の立場の弁護になる以上の知恵が盛り込まれている部分もある。とりわけ、アイロニーを社会学者が論文で扱おうとする場合、その「論文」という形式自体が非アイロニー的であることを求められ、いつのまにか対象についてはアイロニーとして論じながら自らの立場については神になりやすい、という指摘はなかなか鋭いところで(彼はこの点で中沢新一や宮台のような猥雑な文体の方が免れやすいとも言う)、ドイツ・ロマン主義の遊戯的な文章の価値もそこにあるだろう。