つまり一見して似た語を扱うのは要注意で、数千年経っても変化しない方がおかしいとの事。結論としては日本語はまずオーストロネシア語があり、そこにツングース語が加わった南北起源説。 二:日本民族と日本語の原郷をたずねて。日本語シナ・チベット語起源説への批判。詳しくは『日本語系統の探求』を参照。日本でもイモの栽培があったのではないかという推測。イモを掘り起こす農具が見つかっている。米(コメ)と稲(イネ)の語源と、東アジアの稲の起源。稲は江南において仰韶文化に先んじて北漸していた。→
三:朝鮮半島における稲作文化と言語。中国東南沿岸から黄海周辺にいた倭人について。これは『山海経』の記述から。一般的にはこれらは史実とは見られていないが、本書ではそう見ない。つまり日本列島外の倭人は『論衡』と『史記』に見え、僅かな記述から彼等の痕跡を追い、日本列島にやって来た経路を推測する。江南地方で稲作をしていた人々が北進し、山東半島から渤海沿岸を回って朝鮮半島を経由して日本列島に来たというルート。これは現在でも概ね受け入れられている。もう一つは江南から西南諸島を北上して九州へと来たルート。→
しかしこちらは現在では顧みられていない。沖縄は稲作に不適で本格的に栽培が開始されたのは13世紀。この説は伊波普猷も唱えていたが実は大変政治的なシロモノだった。詳しくは『古琉球』を参照。要するに近代国民国家としての「一つの日本」に沖縄も乗りたいので「稲の道」に加えて下さい、という。彼と親交があった柳田国男はこれを歓迎し、また東北にも稲作を勧めた。その結果冷害で悲惨な犠牲を出してしまい、赤坂憲雄に『東北学/忘れられた東北』において怒りを込めて書かれる事になる。なので気をつけた方がいい説。→
もちろん本書にこうした事は書かれていない。 四:原始日本語の成立。まず日本列島に渡って来た人々がオーストロネシア語を話していた。そこに縄文後期から弥生時代初期に朝鮮半島から稲作を持った人々がやって来た。彼らが話していた言葉が「倭人語I」で、既にオーストロネシア語の影響を受けていた。そうして交わって出来た言葉が「倭人語II」で、これは現在の日本語の祖先。この稲作が伝わった時期と中国での呉越滅亡との関係を見る説もありつつ、それ以前から断絶的に起きていたと本書では見ている。また倭人語の復元例文も載っている。→
五:原始日本語の形成と琉球語。日本語と琉球語の「水深」の求め方への批判。朝鮮語との「水深」であれば、ずっと以前知ったが4000年以上前に分かれたと。でもその数値の根拠が確かでないとしている。琉球語といっても色々あり、それを更に区分している。オーストロネシア語の範囲とここのつながりについて、言語以外にも文化面からも考察。港川人他の人骨からは、東南アジア起源説もある。なお片山一道『骨が語る日本人の歴史』では港川人を根拠とした「縄文人南方起源説」への批判がなされており、港川人と本州人との断絶が指摘されている。→
六:オーストロネシア語語族と日本の文化と言語。二大航海民族はインド・ヨーロッパ人とオーストロネシア人。後者は実に広い範囲まで活動しており、日本に来なかったと考える理由はないとしている。古代以前の東アジア及び日本の船について。また海洋民族っぷりと航海ルート。 稲荷山金石文について。「獲加多支鹵(ワカタキル)」で有名な鉄剣に刻まれた金石文について。「獲」は音にkを含む(wak)ので次の音がカ行の場合に選ばれたとの事。→
所で『日本語系統の探究』で「論点の先取り」を批判していた村山氏、本稿で「雄略天皇の本名が生前は『ワカタキル』だったと分かった」との趣旨を書いているが、これこそ「論点の先取り」だ。笠井倭人といい、なぜ本件では慎重な論者がこうした間違いを犯すのか。「獲加多支鹵」が「雄略天皇」だと何も証明されていない。何より雄略の皇居は「泊瀬朝倉宮」であり「斯鬼宮」ではない。後者なら欽明天皇だ。この天皇の本名は不明なので「ワカタキル」の可能性もない事はない。名前以外での不整合が多すぎて成立はしないだろうけど。→
坂田隆『巨大古墳の被葬者』が論理的で説得力があった。もう一点、「邪馬臺国」ではなく「邪馬壹国」で最も同時代の『三国志』の表記に従うべきだ。そして「邪馬臺国」が正しいとしても、「臺」の万葉仮名での実例はない。よってこれを「ト」と読む根拠は存在しない。この読みに関してはこれまでも論争があった模様。https://nagoya.repo.nii.ac.jp/record/2007079/files/nagujj_26_1.pdf 本書はこの論文の9年後の発表なので、比較言語学者の碩学も文献史料の読み方は素人。→
とはいえこれは橋本進吉が万葉仮名に追加したから。現在では専門家ですら「邪馬台国」表記となっており、学問が時と共に進歩するとは限らない実例となっている。とはいえ、甲音のトと乙音のトとは比定地の決め手にはならないとしている。つまり、畿内では甲音が保存され、九州では甲音から乙音へと変化した可能性を挙げている。しかしこの点を考慮した論者をほぼ知らない。やはり学問が時と共に以下同文
読書傾向:日本の古典 / 日本史 / 民俗学 / 政治 / オカルト / 精神医学 / 青空文庫 / 少女マンガ / 百合漫画 / 萌え4コマ思想信条:個人主義の保守派 / 反帝国主義 / 反戦 / 反リベラル兼反権威主義 / 易(経)趣味:写真撮影 / お菓子作り / ジャム作り / 漬物作り
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つまり一見して似た語を扱うのは要注意で、数千年経っても変化しない方がおかしいとの事。結論としては日本語はまずオーストロネシア語があり、そこにツングース語が加わった南北起源説。 二:日本民族と日本語の原郷をたずねて。日本語シナ・チベット語起源説への批判。詳しくは『日本語系統の探求』を参照。日本でもイモの栽培があったのではないかという推測。イモを掘り起こす農具が見つかっている。米(コメ)と稲(イネ)の語源と、東アジアの稲の起源。稲は江南において仰韶文化に先んじて北漸していた。→
三:朝鮮半島における稲作文化と言語。中国東南沿岸から黄海周辺にいた倭人について。これは『山海経』の記述から。一般的にはこれらは史実とは見られていないが、本書ではそう見ない。つまり日本列島外の倭人は『論衡』と『史記』に見え、僅かな記述から彼等の痕跡を追い、日本列島にやって来た経路を推測する。江南地方で稲作をしていた人々が北進し、山東半島から渤海沿岸を回って朝鮮半島を経由して日本列島に来たというルート。これは現在でも概ね受け入れられている。もう一つは江南から西南諸島を北上して九州へと来たルート。→
しかしこちらは現在では顧みられていない。沖縄は稲作に不適で本格的に栽培が開始されたのは13世紀。この説は伊波普猷も唱えていたが実は大変政治的なシロモノだった。詳しくは『古琉球』を参照。要するに近代国民国家としての「一つの日本」に沖縄も乗りたいので「稲の道」に加えて下さい、という。彼と親交があった柳田国男はこれを歓迎し、また東北にも稲作を勧めた。その結果冷害で悲惨な犠牲を出してしまい、赤坂憲雄に『東北学/忘れられた東北』において怒りを込めて書かれる事になる。なので気をつけた方がいい説。→
もちろん本書にこうした事は書かれていない。 四:原始日本語の成立。まず日本列島に渡って来た人々がオーストロネシア語を話していた。そこに縄文後期から弥生時代初期に朝鮮半島から稲作を持った人々がやって来た。彼らが話していた言葉が「倭人語I」で、既にオーストロネシア語の影響を受けていた。そうして交わって出来た言葉が「倭人語II」で、これは現在の日本語の祖先。この稲作が伝わった時期と中国での呉越滅亡との関係を見る説もありつつ、それ以前から断絶的に起きていたと本書では見ている。また倭人語の復元例文も載っている。→
五:原始日本語の形成と琉球語。日本語と琉球語の「水深」の求め方への批判。朝鮮語との「水深」であれば、ずっと以前知ったが4000年以上前に分かれたと。でもその数値の根拠が確かでないとしている。琉球語といっても色々あり、それを更に区分している。オーストロネシア語の範囲とここのつながりについて、言語以外にも文化面からも考察。港川人他の人骨からは、東南アジア起源説もある。なお片山一道『骨が語る日本人の歴史』では港川人を根拠とした「縄文人南方起源説」への批判がなされており、港川人と本州人との断絶が指摘されている。→
六:オーストロネシア語語族と日本の文化と言語。二大航海民族はインド・ヨーロッパ人とオーストロネシア人。後者は実に広い範囲まで活動しており、日本に来なかったと考える理由はないとしている。古代以前の東アジア及び日本の船について。また海洋民族っぷりと航海ルート。 稲荷山金石文について。「獲加多支鹵(ワカタキル)」で有名な鉄剣に刻まれた金石文について。「獲」は音にkを含む(wak)ので次の音がカ行の場合に選ばれたとの事。→
所で『日本語系統の探究』で「論点の先取り」を批判していた村山氏、本稿で「雄略天皇の本名が生前は『ワカタキル』だったと分かった」との趣旨を書いているが、これこそ「論点の先取り」だ。笠井倭人といい、なぜ本件では慎重な論者がこうした間違いを犯すのか。「獲加多支鹵」が「雄略天皇」だと何も証明されていない。何より雄略の皇居は「泊瀬朝倉宮」であり「斯鬼宮」ではない。後者なら欽明天皇だ。この天皇の本名は不明なので「ワカタキル」の可能性もない事はない。名前以外での不整合が多すぎて成立はしないだろうけど。→
坂田隆『巨大古墳の被葬者』が論理的で説得力があった。もう一点、「邪馬臺国」ではなく「邪馬壹国」で最も同時代の『三国志』の表記に従うべきだ。そして「邪馬臺国」が正しいとしても、「臺」の万葉仮名での実例はない。よってこれを「ト」と読む根拠は存在しない。この読みに関してはこれまでも論争があった模様。https://nagoya.repo.nii.ac.jp/record/2007079/files/nagujj_26_1.pdf 本書はこの論文の9年後の発表なので、比較言語学者の碩学も文献史料の読み方は素人。→
とはいえこれは橋本進吉が万葉仮名に追加したから。現在では専門家ですら「邪馬台国」表記となっており、学問が時と共に進歩するとは限らない実例となっている。とはいえ、甲音のトと乙音のトとは比定地の決め手にはならないとしている。つまり、畿内では甲音が保存され、九州では甲音から乙音へと変化した可能性を挙げている。しかしこの点を考慮した論者をほぼ知らない。やはり学問が時と共に以下同文