たまたま、武富健治先生の『鈴木先生』の1~2巻を読んだばかりだったのですが、私が『鈴木先生』を読んで「これはダメだろ」と思っていたことが、『ヴィエンナ・コネクション』では偶然にも「なぜそれがダメなのか」が分かるような内容になっていて、驚きました。
もしかしたら、高瀬先生は、セルフカウンセリングという概念は意識せずに描いたかもしれませんが、ウルスが「俺のほうがイヴェリンに一緒にいてもらってたんだ!!」と気づくシーンというのは、言い換えれば、「ウルスはセリフカウンセリングにエヴェリンを巻き込んでいたことを自覚した」ということです。 「大人が子供をカウンセリングしてあげているつもりが、実は、大人が自らのセリフカンセリングに子供を巻き込んでいるだけだった」という状況が、いかに害悪かが、ウルスとエヴェリンを通して描かれているわけです。
私が『鈴木先生』の1~2巻( https://bookmeter.com/reviews/125254493 https://bookmeter.com/reviews/125290787 )を読んで、最低だなと思ったポイントは、ここなんです。「大人が子供をカウンセリングしてあげているつもりが、実際には、大人が自らのセリフカンセリングに子供を巻き込んでいるだけ」という状況を、主人公が自覚できておらず、そして、作者ももちろん自覚できていません。教育がテーマである体裁を取っているだけに、たちが悪いです。
【訂正】 セリフカウンセリング → セルフカウンセリング
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たまたま、武富健治先生の『鈴木先生』の1~2巻を読んだばかりだったのですが、私が『鈴木先生』を読んで「これはダメだろ」と思っていたことが、『ヴィエンナ・コネクション』では偶然にも「なぜそれがダメなのか」が分かるような内容になっていて、驚きました。
もしかしたら、高瀬先生は、セルフカウンセリングという概念は意識せずに描いたかもしれませんが、ウルスが「俺のほうがイヴェリンに一緒にいてもらってたんだ!!」と気づくシーンというのは、言い換えれば、「ウルスはセリフカウンセリングにエヴェリンを巻き込んでいたことを自覚した」ということです。 「大人が子供をカウンセリングしてあげているつもりが、実は、大人が自らのセリフカンセリングに子供を巻き込んでいるだけだった」という状況が、いかに害悪かが、ウルスとエヴェリンを通して描かれているわけです。
私が『鈴木先生』の1~2巻( https://bookmeter.com/reviews/125254493 https://bookmeter.com/reviews/125290787 )を読んで、最低だなと思ったポイントは、ここなんです。「大人が子供をカウンセリングしてあげているつもりが、実際には、大人が自らのセリフカンセリングに子供を巻き込んでいるだけ」という状況を、主人公が自覚できておらず、そして、作者ももちろん自覚できていません。教育がテーマである体裁を取っているだけに、たちが悪いです。
【訂正】 セリフカウンセリング → セルフカウンセリング