1930年に浜口雄幸が国際協調路線によりロンドン軍縮会議を成立させた。国際協調路線は立憲主義的側面を強化して議会政治の確立と財政緊縮により軍部を制禦する。それに対しアジア主義はアジアでの自給自足圏を確立して英米に対峙する考えで、軍部を中軸として天皇制を強化して議会を排除する革新官僚と結びつく。①中国の反帝国主義ナショナリズムの成長を危機とする満蒙問題を解決するために満州事変はおこされた。現地関東軍の暴発行為であった。越権行為が不問にされ後に影響を与える。②満州の資源では十分でないことから華北進出がおこる。
③日中戦争は偶発事件であり拡大を止められたが、軍内部の好戦派を石原莞爾が止められずに拡大した。南京陥落後に陸軍は戦争継続を望まなかったが、近衛の政府が押し切って戦争を継続させ、泥沼の日中戦争となった。英米の権益を侵害する。援蔣ルートの遮断を望めば南進となる。ノモンハン事件は北進を諦める。日独伊三国同盟を結び、欧州での独の活躍を見て南進する。英米との対立が激しくなる。④勝てるとした今しかないという理由で開戦する。初戦は勝ったが後が続かない。大東亜共栄圏も植民地支配だ。1億玉砕の覚悟をと。聖断で降伏となる。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
1930年に浜口雄幸が国際協調路線によりロンドン軍縮会議を成立させた。国際協調路線は立憲主義的側面を強化して議会政治の確立と財政緊縮により軍部を制禦する。それに対しアジア主義はアジアでの自給自足圏を確立して英米に対峙する考えで、軍部を中軸として天皇制を強化して議会を排除する革新官僚と結びつく。①中国の反帝国主義ナショナリズムの成長を危機とする満蒙問題を解決するために満州事変はおこされた。現地関東軍の暴発行為であった。越権行為が不問にされ後に影響を与える。②満州の資源では十分でないことから華北進出がおこる。
③日中戦争は偶発事件であり拡大を止められたが、軍内部の好戦派を石原莞爾が止められずに拡大した。南京陥落後に陸軍は戦争継続を望まなかったが、近衛の政府が押し切って戦争を継続させ、泥沼の日中戦争となった。英米の権益を侵害する。援蔣ルートの遮断を望めば南進となる。ノモンハン事件は北進を諦める。日独伊三国同盟を結び、欧州での独の活躍を見て南進する。英米との対立が激しくなる。④勝てるとした今しかないという理由で開戦する。初戦は勝ったが後が続かない。大東亜共栄圏も植民地支配だ。1億玉砕の覚悟をと。聖断で降伏となる。