読書の記録管理と、新たな本との出会いを求めて利用中。
本を読むのは好きな方ですが、速度が遅いのであまり数はこなせません。それに飽きっぽい性格なので、読みたい本に次々目移りしてしまい、中途半端な積読が書棚の奥で埃を被ることもしばしば・・・多読家の方々には本当に敬服します。
令和6年は、昨年も目標に掲げながら惜しくも届かなかった年間60冊の読破を改めて目指します。
読むジャンルは、主に日本近現代史関係と、政治学や政治思想に関する本です。小説(娯楽傾向の強いものよりも、歴史や政治が絡む本中心。最近は歴史改変メインのSFも読むようになりました)も読みます。
平成元年の生まれですが、昭和戦前期世代の作家ばかり読んでいました。その影響で現代の作家はほとんど読んだことがありませんでしたが、最近になってぼちぼち読むようになり、その面白さを知りました。少しずつですが数を増やしていきたいと思います。
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⇒トムゼンはドルの妻ハンナへの恋愛感情(トムゼンにとっての「関心領域」)をきっかけに第三帝国に対して疑念を懐くようになり、体制への反逆を試みる。ただし、それはあまりにも非力なものだった。映画『ワルキューレ』でも有名なヒトラー暗殺計画を知りながら、それに列伍する勇気はない。ドルの反応は非道で弁疏の余地もないものだ。仕事の得点稼ぎという「関心領域」に影響が生じかねない失態を隠すために、いともたやすく数人のユダヤ人を「贖罪の山羊」に仕立て、あまつさえ自分の妻ハンナをも殺め(させ)ようとした。⇒(2/3)
⇒このような親衛隊将校ふたりの視点に、ゾンダーコマンドのシュムルの視点が挿入されることで、「関心領域」に逃避して物でも扱うかのようにユダヤ人を殺害するナチの異常性と無責任さがより強調される。第6章の結語におけるシュムルの行動は、悲劇的だが、しかしこの無責任さに対する最大の倫理的抵抗だったのではないか。親衛隊将校の立場にありながらささやかな抵抗に終わったトムゼンとの対比ができると思う。ハンナ・アレントのいう「悪の陳腐さ」とその果てない恐ろしさを、強烈なリアリティとともに見せつけられる小説。(3/3)