どうも、皆さん、こんにちは。
人によっては、僕の感想を不快に思う方もいるとは思いますが、ご容赦いただけたらありがたいです。
また、こちらの都合なのですが、お気に入りに登録してくださっても、こちらの能力の範囲内でしか対応できないので、こちらからの登録をしない場合もあることをご理解ください。
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逆に、僕自身が言葉と言葉の対話が好きなので、こちらからそういった方を望んで、登録する場合もあります。
(「言葉と言葉の対話」というと大袈裟ですが、平たく言えば、僕自身が尊敬したり、好きになったり、新しい視点をもらえてしてしまうようなレビューやコメントを書かれていたりして、この人のこれからのレビューやつぶやきを読んでみたいと思うような場合です。)
結局は、本というツールで、物事を考えたり、他人の気持ちや思想を慮ることが好きです。
そういった人との交流を望んでいます。
宜しくお願いします。
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中島敦は授業で習った「山月記」以来ずっと難しいイメージで読んでいなかったのですが、ここ数年改めて向き合ってみてそのあまりの素晴らしさに心底から打たれた作家です。今では日本文学の最重要作家の内の一人だと思っています。殊に「李陵」「山月記」「悟浄出世」は人生の道標になり得ると思いました。兵士Oさんのおっしゃっていることは「弟子」などにも当てはまりそうな気がしました♪( ´θ`)
めりっくさん、コメントありがとうございます。実は「李陵」、僕も難しいイメージがあって、冒頭の李陵の軍勢が匈奴と砂漠で戦うシーンで、めんどいな、ということで途中放棄していたんです。ただ、読み友さんの一人がユーチューバーの森大那という気鋭の批評家を紹介していたんで動画(彗星読書倶楽部)をたまたま観たんですよ。その人がスゴかったんです(!)文学とは人生訓を得るために読むものではなく、自分とは違う認識を得るために読むものだ、みたいなことを言っていたんですよ。それでハマって無料の大那さんの動画を観ていたんですが、
そこで、中島敦が森鴎外や夏目漱石を超えて、ユーラシア大陸まで射程に入れた近代人だったんだ、みたいなことを彼が述べていたんです。たまたま、その紹介していた本がウチにあったんで、その中でも「李陵」が一番、中国史が好きだったこともあり、てっとり早いと思い再読してみたんです。その時の司馬遷のくだりでボクの心の中に激震が走りました。ボク自身、史記は昔から好きで、中でも岩波文庫の「史記列伝」は時々読み返していて、その解説の所でいつもうっとりするんですが、その感動を百倍くらい増幅したような感覚でした。特になぜ、司馬遷の
文章が小説的なのか?というボクの昔からの疑問に、中島敦はこの作品の中で答えていたんですよ(!)(それがボクがレビューで触れたくだりです)この衝撃は、リアルでの別な読書家のお兄さんに夏目漱石の「坑夫」がスゴいと聞いて、その岩波文庫での紅野謙介さんの解説を読んで、近代人が闇の世界に潜ることになって、そこではすべてが不安の中、という顛末で震えたのと同じくらいのインパクトです。多分、ボク自身が自意識過剰で、そんなアンテナにこれらの作品がビンビン響くからだと思います。長々と自分語り失礼しました('ω')ノ
得難い読書体験ですね( ´∀`) そんな風に体験したくて読書家は本を読み継いでいるのかも知れませんね♪
めりっくさん再度のコメントありがとうございます。僕の読書する理由も齢を取るにつれ変わってきたように思います。サザエさんの波平の齢に近づいてきたのもあるかもしれませんが、本に娯楽以上のものを求めるようになったかもしれません。以前は敬遠していた漱石も、その自意識に自分と重なるものを感じるようになりました。実生活では人間関係で以前より躓くようになったり、ちょっとしたことで怒りっぽくなったり、老いを感じています。そんな時に文学は寄り添ってくれるように思うようになりました。めりっくさんとまた本を共有させてください。
度々すみません。本に娯楽以上のものを求め…ってすごーくよくわかります。本に限らず映画などの創作物も同様に感じています。不惑を越す辺りからもうずーっと人生に惑い躓き続けています。だから文学や芸術が以前よりももっともっと身近なものに私もなりました。失礼しました。