吉野ヶ里です。
わるいにんげんです。
あまり明晰ではありません。
お仕事を辞めたので、今は高等遊民です。
歌をうたって、詩を詠んで、紅茶を飲んで暮らします。
ときどき矛盾します。
指摘して頂けると喜びます。
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お人形と美人画とお香が最近の趣味ですね。
よろしくお願いします。
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世界はかくある、と記述することは出来る。世界はかくあるべきだ、と記述は出来ない。明日も太陽が昇るとは限らない。
あくまで『論理哲学』論考であることに注目する。生活の上で実用的であることは顧慮されない。たとえば、我々は明日があると考えて、経済の計画を立てる。哲学的命題が疑似命題であることをウィトゲンシュタインは示した。しかし、疑似命題が有用でないとは限らない。
恣意的な解釈。ずいぶん、寄り添ったつもりだが、やはり難しい。あと写像は無理がある。「おはようございます」は対象を持たない。←正しいだろうか? 日常言語を完全とするためには、やはり『論考』は否定されねばならない。