「沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない」「ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない」 ブッダ
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《私の性格診断》
https://www.16personalities.com/ja/entj%E5%9E%8B%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%A0%BC
(ここを訪ねられた方へ)
あなたが何を読んでいるか、何を知っているかには基本的に興味がありません。あなたが読んだ本を通じていかに己を語るかに興味があります。
共読本ページに上がる感想のチェックを習慣にしており、よいと思ったものには勿論、自分とは違う読み方でも面白いものにもナイスを付けます。
ただし、文学作品ならともかく、既に入門書や研究書が出回っているような哲学・思想書を手前勝手に読んで体裁だけを取り繕った文章、はてはどうしようもない誤読にナイスは付けません。さらに、そんなものにナイスを付ける方とも関わり合いになる気はありません。
「名刺代わりの10冊」という本棚があるので、興味のある方は覗いてください。
(私の考えるところ 2021年8月19日)
「自宅療養」を「自宅放置」と言い換えているネット投稿を見かけ、やはり政府の欺瞞を突かずにはいられない人がいる事にいささか安堵する。当然私もその言い換えに我が意を得たりと思ったひとりだ。
「放置じゃないぞ」云々と擁護を口にしたい手合いにはマルコムx のこの言葉を聞かせよう。
「白人は黒人の背中に30cmのナイフを突き刺した。白人はそれを揺すりながら引き抜いている。15cmくらいは出ただろう。それだけで黒人は有難いと思わなくてはならないのか? 白人がナイフを抜いてくれたとしても、まだ背中に傷が残ったままじゃないか」
ありがたいとそこで思うような手合いこそ、私がよく言う「よきツァーリを待ち望む農奴」だということだ。自分の命より「お上」が大事、倒錯している。しかし、それがこの国の政府の無為無策を支え、命の軽視を容認している。
(以前投稿したつぶやきを一部修正して再掲)
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あの時代を知らない私たちにとっては、有無を言わさぬ反戦メッセージ・スローガンよりも、つぶさに見つめられた当時の人々の日々を知る方が、よほど力強く訴えてくるのではないか。
戦後生まれの私たちはとかく日常と戦争を対比させて考えがちだけども、日常はそれを打ち砕くはずの戦争すらその風景の一部にしてしまう。ここをよく知らないと為政者の嘘にたやすく乗ってしまう。
「原爆教育」って、生々しい言葉ですね。でも「平和教育」の耳触りのよさは何だか疑わしいと思ってしまいます。
とにかく、多くの人に読んでほしい。そして、そこから感じた何かを問い続けてほしい。
shimanさん、私も彼女から聞くまでそんな言葉は聞いたことがなかったです。確かに「平和教育」という言葉は時に白々しさを感じさせますね。