ミソジニーとは性差別・家父長制の法執行部門である。家父長制は性差別を自然化しようとする。「女性はそもそも〜である」として。ミソジニーはこの規定に背く女性たちを処罰しようとする構造なのだ。ゆえにミソジニストが自分の母、妻、娘等、個々の女性を「愛している」などということはいくらでも観察される。さらに、女性がミソジニーの執行者として振舞うこともありふれている。家父長制の枠内の「女性」として生きれば、自らがミソジニーの対象になることはないのだから。それでもミソジニーを告発する女性たちは後を絶たない。その理由を(続
著者は「連帯」に求める。自分一人のためだけならば、少なくとも損得勘定の上では、ミソジニーに抵抗しない方が楽なのだから、そこには他者の存在が織り込まれているというわけだ。著者は本書で、ミソジニーなる概念についての明快な分析を行ったが、それに対する処方箋を示すことなく、さらにこの「連帯」についてもほとんど語ることはない。とすれば、読者に託されたのはその処方箋についての考察であり、「連帯」の可能性の模索及びその実践だろう。構造化されたミソジニーにいかに抗するのか。少なくない死者さえ生じている今、喫緊の課題である
前回のアメリカ大統領選やオーストラリア初の女性首相だった、ジュリア・ギラードのことが主要な事例で、この書物では触れられていないが、読みながらずっと私の心のうちにあったのは、元従軍「慰安婦」の方々のこと、そして伊藤詩織さんのことだ。ひとまず微力ながら、「連帯」を積み重ねていくしかない。
ミソジノワールという言葉もはじめて知った。アメリカでは黒人差別と結びつき、とりわけ黒人女性がミソジニーの標的にされることが多いのだと。日本ではとりわけ在日外国人の女性がそうだろう。
日本のヘテロ男性向きポルノが、女性への「処罰」(マイルドな場合は「教育」)に類した表象を多く提示していることにも思いあたった。ポルノはミソジニーの増幅装置として機能していることは間違いないので、こうした類型化したミソジニックポルノではない、エロスの可能性も考えなくてはいけない。
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ミソジニーとは性差別・家父長制の法執行部門である。家父長制は性差別を自然化しようとする。「女性はそもそも〜である」として。ミソジニーはこの規定に背く女性たちを処罰しようとする構造なのだ。ゆえにミソジニストが自分の母、妻、娘等、個々の女性を「愛している」などということはいくらでも観察される。さらに、女性がミソジニーの執行者として振舞うこともありふれている。家父長制の枠内の「女性」として生きれば、自らがミソジニーの対象になることはないのだから。それでもミソジニーを告発する女性たちは後を絶たない。その理由を(続
著者は「連帯」に求める。自分一人のためだけならば、少なくとも損得勘定の上では、ミソジニーに抵抗しない方が楽なのだから、そこには他者の存在が織り込まれているというわけだ。著者は本書で、ミソジニーなる概念についての明快な分析を行ったが、それに対する処方箋を示すことなく、さらにこの「連帯」についてもほとんど語ることはない。とすれば、読者に託されたのはその処方箋についての考察であり、「連帯」の可能性の模索及びその実践だろう。構造化されたミソジニーにいかに抗するのか。少なくない死者さえ生じている今、喫緊の課題である
前回のアメリカ大統領選やオーストラリア初の女性首相だった、ジュリア・ギラードのことが主要な事例で、この書物では触れられていないが、読みながらずっと私の心のうちにあったのは、元従軍「慰安婦」の方々のこと、そして伊藤詩織さんのことだ。ひとまず微力ながら、「連帯」を積み重ねていくしかない。
ミソジノワールという言葉もはじめて知った。アメリカでは黒人差別と結びつき、とりわけ黒人女性がミソジニーの標的にされることが多いのだと。日本ではとりわけ在日外国人の女性がそうだろう。
日本のヘテロ男性向きポルノが、女性への「処罰」(マイルドな場合は「教育」)に類した表象を多く提示していることにも思いあたった。ポルノはミソジニーの増幅装置として機能していることは間違いないので、こうした類型化したミソジニックポルノではない、エロスの可能性も考えなくてはいけない。